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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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(Oyazの過去Blogアーカイブス)
2008年1月20日でAmebablogを脱退しNINJAblogにひっこしました。

2005年11月編


ヤカン理論:オーソドックスという大衆

Nov.30,2005

ヤカンの形はいろいろあるが、どんな形と素材が一番早く沸騰するのだろう?
という夢うつつな設問をかかえたまま起床した。
ので、朝一番からこれに取り組んでみる。

加熱する方法として、下からガスで、同じ火の強さと形で熱する、こととする。
同じ容積のヤカンである、とする。
素材は、
A.アルミ(アルマイト)、B.ステンレス、C.鉄、D.銅、E.チタンの5種類。

形は
1.底も含め全体が球状のいわゆるオーソドックスなヤカン型
2.底が平らで、胴は曲線を描くピーピ-ヤカン型
3.底が平らだが小さく、上に細長い水差し型
4.逆に背が低く、底の幅をできるだけ広くしたズンドー型
5.底が平らで、胴は直線的な円錐型

この実験の結果、得られるであろう答えはこうであろうと机上の空論をする。

D.の素材と、1.の対流性の高い形のものが一番早く沸騰する。
しかし、銅は腐食がはやく、耐久性という点では劣る。また銅の素材の値段も高い。
結局、値段がお手ごろな、A.と1.との極めて一般的でオーソドックスなものが一番経済的にも、使い勝手も、持ち運びも、耐久性も、熱効率も良い、という結論になるのだろう。ものを突き詰めていくと、極めて、つまらない結論に到達する。

勿論、だからこそ、
銅製の形のこったデザインの、値のはるものをわざわざ手に入れる人がいる。
白のホーローのヤカンを好むアメリカン趣味の人がいる。
鉄分も摂れるし、いろりで育ってきた日本人は鉄瓶に限る、という人がいる。
茶の間に居ても洗濯機のある洗面所にいても沸いたのがすぐわかるピーピーヤカンよ断然、という人もいる。

しかし圧倒的な数が売れるのは、やはりつまらないオーソドックスなA.1.ヤカンなのである。

この現象をOyazは、オーソドックス理論、と名づける。

共産党でも、社民党でも、民社党でもなく、大衆は自民党なのである。
BMWでも、ベンツでも、マツダでも、三菱でもなく、大衆は白のトヨタカローラなのである。
マイバックでも、エコバックでも、ハケゴでもなく、大衆はレジ袋なのである。
広島でも、ホークスでも、日本ハムでも、楽天でもなく、大衆は巨人なのである。
ゴザでも、毛氈でも、キャラクターシートでもなく、大衆は青いビニールシートなのである。
神道でも、仏教徒でも、クリスチャンでもなく、大衆はクリスマスなのである。
こまめにエンジンを切るでも、地球環境を考える、温暖化防止に寄与するでもなく、大衆は寒いから、おっくうだからアイドリングしっぱなしなのである。

ある面、いい選球眼、選択視を持っている。
ある意味、大河に流される。
ある種、イイ鴨。

あなどれない、大衆という、誰が誰やらわからない大人数のマスなのだが、
時々、大きく、間違ったほうに行く。
 

冬ごもり

Nov.29,2005

10棟のハウスにあふれんばかりにあったミニシクラメンの色とりどりの花々が、
花寄せされ、赤白ピンク紫のきれいな取り合わせでセットされ、大事に箱詰めされ、
大田へ、名古屋へ、大阪へと出荷されて出て行った。
その数7万鉢。
それがもう1棟にも満たないまでに、なくなっている。

外にずらっと並んでいた1万鉢の葉牡丹も、寒さが増して赤が一層鮮やかになり、白との組み合わせがバラを見るように美しかった。
それも、ホークリフト用パレットに4~5枚を残す程度となる。

夏を彩ったポーチュラカのしおれた鉢や巻きついたテッセンの大鉢を男二人でトラックの荷台に乗せ、田んぼに捨てに、3往復。

春まで不要なものをホークリフトとトラックで、倉庫に運ぶ。
10mも20mもあるビニールをたたみ、箱に詰める。捨てるものは産廃用ゴミにまとめる。
伸びなくなった事務所周りの雑草を掻き取り、箒で集める。
だんだんと仕事場が閑散としてきて、ガラ~ンとなる。

あんなに活気付いて、ポンポンと従業員たちに気合をかけていたシャジョーも、言葉少なに黙々と作業をこなしている。
予報では今週末から雪。
12月1日からはOyazもサラミ工場へ出稼ぎに出る。
虫も蛙も動物もみな、もう冬ごもりなのだ。大晦日、正月が近い。

手を抜く人、抜かぬ人

Nov.28,2005

いよいよ11月から12月にバトンタッチする端境期の週を迎えた。
5月の田植えから始まり、研修に入ってはや半年になる。
その間してきたこと。

1.水稲の田植え、管理、稲刈り、カントリーエレベーターへの運搬
2.ミニシクラメンの定植、肥料起き、花摘み、葉っぱ取り、つぼみ取り、取った箇所への有機緑銅コーティング、ジベ処理、一個一個の水掛、出荷
3.エニシダの挿し木
4.イソトマ、富良野ラベンダー、バコパ、サントリーナ、ヒベルチア、ポーチュラカ、星かずら、チェッカーベリー、ペンステモン、サフィニアの定植、管理、出荷
5.葉牡丹、ストック、パンジー、ビオラの播種、水遣り、赤葉取り、出荷
6.10棟のハウスのベンチ掃除、床そうじ、雑草・銭ゴケ除去
7.ポットへの土入れ・トレーの十段重ね・ハウスへの移動
8.銀マルチシートの水洗い
9.宮城県の花卉栽培農家視察、農業体験バスツアーへ参加および受け入れ
10.山形県内の花卉栽培農家を訪問(飯豊町・長井市・尾花沢市)

秋の出荷準備にむけ、それまで2人だったパートのおばちゃんたちも、8人になった。

パートの女性8人と一緒に仕事をする機会も増える。
自然と、その仕事ぶりの遅い早い、要領の良さ悪さ、きちんとする人・雑な人がわかってくる。

表面の言葉使いのていねいさや身のこなしとは裏腹に、手を抜く人がいた。
でっぷりした体格で、いかにも動きがとろそうな若い衆が、やらせてみると意外に一生懸命だったりした。

この違いを研修生のワタシにさえ見えていたのだから、管理者である社長や専務にはもっと鮮明に認識されていたのは言うまでもない。

何をしてもそうだが、言われないとしない人、言ってもしない人、返事だけはいい人、
黙っていても次の仕事を察して段取る人、コツを覚えて早い人、落ちてるゴミを拾う人そうでない人、困った場面ですぐに手助けする人・しない人、って必ず分かれる。

人間の仕事ぶりは、誰かがきっと見ているものである。
だーれも見ていないからイイヤ、ではなく、誰も見ていない・評価してくれないと思えるときでも、そんなのは関係なく一生懸命うちこむことが、結局その人の人間性を円満に、素敵にするのである。そうしていつか必ずそういう人は評価されるのである。どこかで神様はきっと見ている。大人でも子どもでも。

 

語らないこと

Nov.27,2005

毎朝夜明け前に家を出る。
すると外は、
満天の星だったり、満月だったり、三日月だったり、霜だったり、氷だったり、みぞれだったりし、本日の宇宙のお天気模様をかじかむ手足でいの一番にじかに肌で感じている。
自転車の電気ひとつで、山へ漕ぎ出す。

町が村へと変わり、
道が田んぼに変わり、
ぼんやりと白い綿帽子の穂をゆらすススキを横目に、
上り坂が暗い雑木林へといざなう。

夜明け前に山に入れば、
見上げる杉の大木の上で、
名も知らぬ鳥の声がきこえてくる。
テンかイタチかハクビシンなのかエゾリスか、ささささっとボクの横を走りさる。
お不動様の祠の屋根に松ボッ栗が突然ドスンッと落ちては、猿かっ!ってタマゲルこともある。
下の沼に住むウシガエルのグッ~、グッ~という低音の響きをききつつ、お不動様の守人は、竹箒できょうも落ち葉を掃き始める。

こんなことを、こんな神秘な雰囲気を、
いくら語ったとしても、人にはなんのことやら、と理解できまい。

シリアのダマスカスを現地人づらして歩き
ヨルダンのペトラの物売りとまけろダメダのとやりとりし
イランのペルセポリスでスケッチしてたら閉門のサイレンがなって中をひとっつも見られなかった。
けれど、それをどんなに雄弁におもしろおかしく語れたとしても、
人には何の役にも立たないし、その人の何の楽しみにもならない。
行った人のただの自慢話でしかない。
だから、語らない。

あの国のこんな横丁の年取った爺さんの店で気の抜けたビールを買ったんだよ、
エジプシャンバザールの雑踏の流れの中で二股の道のどっちに進んだらいいかわからなくなり迷子寸前だったんだ、言葉も話せず、字も読めないのに。
「もってけドロボー」なんていう下世話な日本語を誰が教えたのかと、ゲンナリするよね、こんなに日本から離れた異国の地に居るというのに。
クレオパトラの泉という名の湧水の溜池にもぐった時はその底からあったかいマリのような空気の球がボコッ、ボコッって湧き上がり、なんとも緑色の中で神秘的だった。
トルコではカッパドキヤの物売りバァさんが、きたないだがそのかっぷくのいい体に民族衣装が堂々と似合っていて素敵だったなァ。

京都の端の欄干を歩く。
まだ朝早い先斗町には新聞配達の兄さんか散歩のおじさんとゆきかう程度である。
この細い小路の入り組む町なかを歩くのが好きだった。

地元の町なかを歩いて、ふとあの町並みの一角を見るようなたたずまいに出会い、気持ちだけあの国へ飛ぶことがある。

それは旅し、歩き、漕いできた自分だけしかわからない楽しい一時。
誰に話したところで、ひとには何だかてんでわからぬ、ことではある。
 

農業が変わる時代

Nov.26,2005

今年の3月に閣議決定されたという「食料・農業・農村基本計画」という農業政策の新たな指針を読んだ。

それによると、
1.耕作放棄地を減らし、食料自給率を現在の40%から45%まで上げる
2.現在平均1.25haの水田面積を15~20haの大規模耕作に変え、一人当たりの総労働時間を短くし、なおかつ利益が出る稲作に転換していく(1農家あたり700万円から900万円の収益をあげられることを目指す)
3.トレーサビリティシステムを品目拡大し、さらに推進していく
4.環境保全型の農作を奨励する(バイオマスの利活用)
5.攻めの農業をやる(どんどん海外へ輸出する)

といったことが、素人ながら、印象的にOyazの頭の中には残った。

つまり、小規模農家はふるいにかけられ、会社も含めた、積極的にやろうという意欲のある農業経営従事者に農地が集約されていく方向性を示している。つまりみんなが狭い農地に、各戸、高い農機具と労働時間をついやすのではなく、まとまった土地を時間と費用の効率のいい規模に改めましょう、ということだとわかった。

そうして、なんという農薬を何回使ったか、作り手は誰か、を消費者が明確にわかる顔の見える安全な作物づくりを一層進めていこう、ということである。

農業するにも工程表を策定させ、計画的に、きちんと経営者として起業すろっ、て言っているのだ。日本の米だから政府が守れ、ではなく、積極果敢に外国に売れるのもなら、打って出ろっ、て言っておる。会社も農業に参入OKだ、と。

Oyazはおおむね、この新たな10年指針はいい、と感じた。
特に、今のように零細な規模のたんぼや畑に400万のトラクターや700万のコンバインを(年間数日しか使わないのに)各農家が維持する矛盾を強く感じているからである。農機具のために息子が会社勤めしてローンを返している兼業農家が日本にはゴマンといるのだ。農機具地獄なんてもうやめにしなければならない。

ワタシは来年か、再来年には花卉栽培農家として起業するつもりだが、いまだに適当な農地を貸してくれる人が現れない。ワタシのまわりには耕作放棄地はたくさん見えるのに。そういう点でも、タワシにもチャンスがめぐってくる可能性大の新指針である、と感じている。意欲のある人にとっては、今こそ、農業新規参入最期の絶好の機会かも知れない。

おかんとおとんと、時々らいおん

Nov.25,2005
うちのカミさんは、多書家で、映画好きで、スポーツ観戦大好き女、である。
一方のOyazは、遅読家で、「俺たちに明日はない」と寅さんしか知らず、スポーツを観るのおは退屈でするのが大好き男である。
カーちゃんは大のビール好きで、
トーちゃんは、日本人は酒だァ!である。
女は頭脳明晰、成績優秀、実務能力抜群で、今や医療事務の大ベテラン講師でもある。
男は絵空ごとと自然と歌と酒が大好きで、ホントーは自分は画家だといまだに思っている浮世離れした奴である。

そんな男は、ひょんなことから、鉄道員になり、嬬恋村のプリンスホテルのウエイターを経験し、旅行会社に転職し、好きでもないテーマパークやミュージカルに何回も足を運ぶことになる。とくにテーマパークという人の気を狂わせる先脳作りものワールドは大のにがてで、かの有名なTDRなんぞは修学旅行で毎春3~4回行っていたが、お客さんをゲートまで見送ったら、自分だけ海浜幕張駅までトンズラこいて、酒飲みしていたものである。

しかしこれだけはよかったな、と思うのは劇団四季の「ライオンキング」だ。
単純なストーリーではあるが、躍動感と、なんといっても衣装の多彩さと彩りのコントラストが特別いい。
おんなじライオンキングを7~8回観ているが1回1回新鮮な感動を覚え、飽きない。
そんなことを離していたら、
きのう、
「最期の一枚が残っていたからラッキーと思って取っちゃった」
と12月29日昼の部のライオンキング、ウィークエンドマチネ席をちゃっかり自分一人分だけ購入してしまった。
まァ好きにしろ、おもしゃいがら、よっく堪能して楽しんで来い。
 

気づきと修復、ひいては寛容

Nov.24,2005

大きな声で言うのもはばかられるのだが、このワタクシ、記憶力はさして優秀でない。
まして酒飲みした翌朝なんぞは、夕べの話の9割をスパッとスカッと、忘れている。

よくいえば、なんのわだかまりもない、いつまでも根に持たない清々したタイプ、
カミさん流に言えば、脳のシナプスが壊れっぱなしか、再生または接続していないタイプ。

だから時々、堂々と、平気で、間違える。
(特に言わんとしている事の本論と関係ない瑣末なことは、どうでもいいではないか)と一人開き直る。

例えば、つわものどもの「虫の声」

例えば、静かさではない「山寺や・・・」

例えば、人形の久月が「休」みだったり・・・。

しかし、こんなウィンドーズ98から進化しないような私の脳でも、「気づき」とその後の「修復機能」がなかなかの働きをする。

「ん~ドーモおかしいなァ・・」と思った文章や漢字や記憶にまちがいがありそうだと、それが「気になる」という電子信号を脳が受け取り、過去の記憶・知識を少ない引出しの中から総力員をして、検索し始める(らしいのだ)。

そおして、時すでに遅し、なのだが、30分位後に、その気になっていた箇所の、正確な文字や文章、名前を思い出すのである。
原稿を上げてしまった後だったり、試験の答案を出してしまった、あとの祭の話だったりするのではあるが。

そして更に、気になっていた誤謬を気づかせたら、そこを自動的に修正し、正しい答えを更新履歴してしまうのである、この「脳みそ98」は。

これをOyazは、もっともらしく、

「人間の誤謬への気づきと、その修復、ひいては[寛容]」

なんぞと大仰にで呼んでいる。
 

旅して写真を撮らない訳

Nov.23,2005

Oyazの自慢は、旅先で写真を撮らないことである。
というより、写真がヘタくそだから、である。
ワタクシは画家で、大芸術家のはずなのだが、写真はからっきしダメだ。
そこいくと、カミさんなんぞは、大の読書家の、スポーツしない、普通の方なのだが、
撮る写真・デジカメは、いい構図をものにする。

ヘタくそということもあるが、
写真やビデオに気と時間を取られて、旅の風景を自分のこの目で見ないで、
おわってしまうことを非常にもったいなく感じる人間なのである。
タワクシは画家なので、その時その地のすばらしさは、この両の目の眼底に焼き付けるだけで、それこそ充分である。

それに、芭蕉風情の、なんにも持たない手ぶらな歩き旅が好きなのである。
中学の時に家出をしたのも、もともとは、国語の教科でこの芭蕉という人を知ったからでもある。自分も何にも束縛されず、自由に各地を歩いて一生を終えたいと、漠と思った。

・五月雨を集めてはやし最上川
・夏草やつわものどもの虫の声
・松島や嗚呼松島や松島や
・山寺や岩に染み入る蝉の声
・ふと見れば何やらゆかしすみれ草

この程度しかそらんじてはいないが、いずれも端的にして簡潔で、スカッとその情景が思い浮かぶ描写ではないか。
宮本武蔵の雀を一匹描いた絵のように、
研ぎ澄まされ、無駄をそぎおとし、それも即興で勢いよく、
五・七・五のたったの17文字で活写する技は、
今の機械万能時代の我々現代人がいくら高性能の物を手に入れても、
まったく刃も立たない、遠く及ばぬ境地である。

物ではない、金ではない。
人間、こころである、磨くべきは。
 

お初

2005-11-22 04:17
Nov.22,2005

山形はきのう、初氷点下となり、初氷となった。
自転車で野道をいけば、水溜りに氷(すがこ)がはって、パリパリっと割れた。
夜明け前の群青色の空に、満月をすぎたお月さまが、煌々と照っている。

自分は小さい頃から、「初物」がこっぱずかしくて、にがてだった。
たとえば床屋に行ってきたばかりの頭を「はつあたま」と言い、「Oyazは今日、はつあたまだァ~」そう友達にはやされたものである。
また真っ白な新しいズックを「初ズック」と言い、はやりまぶしすぎて居心地が悪い。だからわざと土で汚して履いていったものである。
そんな子供時代をすごしたせいか、今でも、新調した洋服などはすぐには着ない。
1年くらい洋服ダンスにかけたままにしておく。見慣れ、馴染んだ頃、やっと着始めるのが習慣となってしまっている。
「オレになじむ」ここが大切のような気がするのだ。

朝の水汲みでも、朝仕事でも、肉体労働でも、スポーツでもそれはおんなじかも知れない。「なじむ」ことだ。

佐藤人形店

Nov.21,2005

作、日曜日、紅葉の山々をうっすらと雪が覆う中、まぶしい太陽の陽射しが、上げた球を見えにくくする。
日曜の午前中はOyazが一週間で一番楽しみにしているテニスの日である。

いつもの朝仕事を終え、お勤めをし、労働の後のおいしいホッカホッカの胚芽米と一汁一菜に舌鼓を打った後、テニスウエアに着替え、グランドを3周ランニング。そしてそれから休み無く延々とテニスのラリ-が始まり、試合に入っていく。

毎日16Kmの自転車こぎも、このテニスのための鍛錬の意味がある。
花卉栽培農家で重い土や鉢を何十回も往復して運ばされるのを苦にも思わないのは、働きながら上半身を鍛えて、もっとテニスがうまくなれればこんないいことはない、と思っているからである。

28でここに家を建ててから毎日曜日、こんなふうに硬式テニスに打ち込んできた。もう20年にもなる。
48の年齢で、自分でもビックリするほど体力があると思えるのは、この続けてきたテニスと、毎日の鍛錬の結果だろう。メンバーの中には、そんなバケモノ驚異の足腰Oyazにひけをとらない60オヤズが二人もいるから、世の中、上には上がいるものだ。

昨日はその午後、バーちゃんと手押し車を車に載せて、となりの宮城県白石市越河というところまでお墓参りに行ってきた。昨年、バーちゃんの妹さんが亡くなり、その法事のためにである。山形は四方を1500mを越す山々で囲まれている典型的な盆地である。そのため隣県の秋田に行くにも、福島に行くにも、この宮城を越すにも峠を越えるので雪が心配だった。大急ぎで、スダッドレスタイヤに交換して、出かけた。

亡くなったオバさんは、佐藤人形店のおかみさんでもあった。
そのだんなさんと昭和28年に人形店を起業し、苦節を耐え、あるときは寝ないで仕事をし、納期に間に合わせ、そうしてその積み重ねの末、浅草の人形の休月の看板を掲げるほどの、宮城県では不動の地位を築くまでになった。昔から、そして今でもこの家にはクラウン以上の車しかない。

その墓前で姉のバーちゃんはさめざめと泣くのである「こんな姿になってしまって」と。
自分より歳の若い妹に先立たれて、寂しいのだろう。
まして親より先に子が亡くなったら、なおさらだろう。
この家では、初めてのお孫さんを0歳にして亡くしていた。
亡くなったおばあちゃんのお墓のとなりにはそのお孫さんのお地蔵様がたっている。

良い日よりの里山の墓参りの帰り道、柿の実が誰も取らずに残っていた。
来年また来れたら、こんどは柿もぎをしようと、まもなく80になるバーちゃんと笑った。 


平和ボケ

Nov.20,2005

とうとう山形にも初雪が降った。
Oyazは昨朝4時半に畑に行く自転車をこいでる最中に、その洗礼を受けた。
東の空から朝陽が昇る、その反対側の山々がうっすらと雪化粧し、そこに
茜色の陽が射し、得もいわれぬ“美し日本”を見た。

茶色い大地に緑色を配し、青い服を着た農夫たちとオレンジ色の犬が遊ぶゴーギャンの絵が好きである。ゴッホの田園風景や農民たちの絵も好きだ。二人とも日本の浮世絵を初め、日本文化に影響をされた画家たちである。

いろんな外国を見聞してきて、やっとわかったことがある。
四季のハッキリしたこれほど美しい国は、北欧をのぞき、ほかには無いと。
お月見風情を楽しむ繊細な情緒をもつ国民はほかに居ないと。
どんなフランス人シェフよりも微妙な味わいのわかる舌をもった民族だと。
南北に細長い、海も山も河も豊かな、様々な美味しい産物が次々出てくる宝庫だと。
昔から伝わる独特の祭と伝統芸能が各地にあり、お国訛りがゴマンとある不思議な国だと。
奇跡的にどこの国からも侵略されたことのない希有な国だと。
だからこそ、日本人だけ平和ボケ、していると。

Jeansを腰パンにはき、キャップをはすにかぶり、ラッパーする。
それが一番かっこいいんだ、とワガイ衆が地べたに座っている。(ミッダグねー)
子どもが外で遊んでいない。
TVゲームと、外国産クワガタで遊んでいる。
伝統芸能を、地元の70のズンツァンが60の若い衆におせーているという記事を読む。
若者は漬物を嫌い、魚を嫌い、ケンタッキーとハンバーガーとドーナッツがお気に入り。

もうすぐ、日本が、あ・ぶ・な・い
 

日本人をやめますか?

Nov.19,2005

なぜかナぁ、近頃の韓国もそうなんだが、
一国の経済が成長し、生活レベルが上がって来ると、
若者の格好が欧米のモノマネ化するのは?

Oyazはおよそ20年前から韓国に行き始めましたが、
その民族のもつ儒教に裏付けされた、目上の人をうやまうしきたりや言葉使い、
考え方、立ち居振舞いなどに、日本では失ってしまった、いいものがまだこの韓国には残っていると感動したものでした。が、今は、もう、韓国も日本同様、欧米の猿真似ばかりで、堕ちてしまいました。

われわれアジア人は何故白人にあこがれるんだろう?
どんなに金髪にしたって、レーバンのサングラスかけたって、シャネルに身を包んだって、ウエスタンブーツはいて、アメリカをきどったって、そのアジア顔を、そのスタイルを、そのしぐさを、所作を、言葉使いを、その根本的なところで何も変えられはしなというのに。

一体、アメリカの何がいいの?
Jazzか?それって、白人に奴隷にされていたもともとアフリカの黒人たちの民族音楽じゃぁないか?
Jeansか?それってもともと幌馬車の幌でこさえた究極のブルーワーカー用作業着じゃんか?
英語か?カタカナもひらがなも漢字もない、一番幼稚な単一言語だぞアルファベットなんて。あんな単純な文字を筆で書いたって、深みもへったくれもありゃしない。
ハーレーか?アメ車か?飛行機か?
確かに、機械はスゴイ、アメリカは。機械工業国なのである、アメリカの本質は。
武器の製造・輸出国なのである。それに農作物も牛肉もマイクロソフトもくっつけて、お前の国も関税取っ払って、オレンとこのモノを買え、と押し売りする悪徳ブローカーか世界で一番紳士面したマフィアなのである。

もっともっと外国に出かけて、見てくればいい。食べてくればいい。話してみればいい。あこがれの外国人たちと。そしていかに自分が日本のことを、文化を、味を、民族の誇りを、知らないのかを痛感してくればいい。

 

時間の切り売り

Nov.18,2005

朝3時45分に起きる。
3時50分、きまって、新聞太郎さんが朝も寒かろうに、朝刊を運んできてくれる。
そのうちに、やかんのお湯が沸く。
炊飯器にスイッチを入れる。味噌汁になりそうな具をみつくろって鍋にかける。
パソコンを開いてしばし、思索・検索・・・4時30分。
上下のカッパに身を包み、長靴ばきで、ダイナモ回して山へ修行。明けの明星、シリウス、オリオン、時に月明かり。お不動様のそうじ、水汲み、大根掘り。
5時半、花卉栽培ハウスで朝仕事(ハウス内掃除、エニシダの刈り込み)~6時45分。
7時15分帰宅、朝食、バーちゃんに給仕、洗面、朝のお勤め。
8時、再び花卉栽培ハウスへ出勤。
昼、大急ぎでも往復30分はかかるチャリで家に戻り、バーちゃんと末娘にラー麺やうどんをこさえ、その後しばし15分間だけの自分の昼休み。
5時まで三たび花卉栽培ハウスで肉体労働。
5時30分、宵の明星を見ながら帰宅。

その間、食事と休憩タイム以外、動き続ける13時間。
今のカリキュラムだと、ワタシに余裕のある時間はない。
そこにバーちゃんは唯我独尊的に
「わるいけどあれ取って」
「柿むいたから、日当たりのいい車庫にほしてけろ」
「妹の墓参りに行きたいから連れてって」などなど
思わぬ注文がいきなり入ると、13時間を今は分単位で切り売りしている百姓Oyazはテンテコマイになって、矢でもテッポウでも持って来いっ!状態になってしまう。

明けから宵の明星までの日中の13時間を切り盛りしても、物理的にできることはそうそう多くないことがわかる。その中の自分の休息時間は1時間くらいだろうか。

では残りの夜の11時間を切り盛りしようか。
ブルーワーカーにはたっぷりの酒と食事と睡眠は欠かせないので、内8時間はその時間に必要である。では残り3時間。風呂に入らない。TVを見ない。家族の団欒をなくす。日本女子バレーを応援しない・・・人間の時間とはホントーに限りがある、と思う。
 

日本男子は馬鹿か?兵役を問う

Nov.17,2005

Oyazはあえて言う、日本人男子には1年の兵役を義務づけるべきだと。
何故なら、今の日本の男たちがあまりにも軟弱すぎるからだ。
何が腰パンだ、何が金髪だ、何が「はい、わかりました!」のアッカンベーだ、
おまえたちはただこずるくなっただけだ。
レトルト食品とポテトチップスとアイスクリームでアメリカンデブのように外見にはおっきぐなったが、マッタクたくましさ、頼りがいを感じない。
それは気骨がないからだ。一本芯がとおっていないからだ。肝が据わっていないからだ。日頃から体を鍛えていないからだ。臍下丹田から力を出す方法さえ知らないからだ。いまだに占領下の日本をはっきり認識してないからだ。アメリカンムードのいかにも自由で・民主的で・緩やかなカゴの中で、いや檻の中で、いや自国の領土なのに米軍の意向にそむいてはどうにもできない、収容所の中で、体裁よく骨抜きにされているだけなんだよ、われわれ日本人は。そのほうが占領国アメリカも大変都合がいいのだ。日本人男性がアメリカ人より強く、賢くなんて、なってほしいとは、これっぱかしも思っちゃあいないさ、アメリカは。今のひ弱な戦えないペット犬でちょうどいい、と馬鹿にされこそすれ。

なぁ、若者たち、目をさまして、現実を直視すろよ!
 

おとなが変われば子どもも変わる

Nov.16,2005

山形県の青少年教育機関の最近の標語「おとなが変われば子どもも変わる」は言い古しの陳腐さはあるものの、Oyazは妙に、気に入っている。

なぜなら、今時の、おじじ、おばばは言うに及ばず、おばん、おじん、いい大人まで、すべからく、近所の大人が地域の子どもを、あるい全くの他人の大人がよその子どもを叱らない、叱れなくなったから、とズッーっと思っていたから。

それどころか、いい大人が自ら、自転車の右側通行、無灯火、信号無視を堂々と平気でして恥じ入る様子も無い。子どもたちに格好の悪い見本を積極的に示しているありさまだ。そしてそれに自分自信、気がついていないようなのだ。

子どもたちは見ている、親や近くの大人の素ぶりを。先生たちの一挙手一投足を。うえのアンちゃん、ニーちゃん、ネーちゃんたちの立ち居振る舞いを。そして言うゾッ、「だって~、大人たちもみ~んなしているじゃんかぁ~」

自分も若い頃「世の中が狂っているのは社会が悪い」という言葉を漠然と想ったことがあるが、それはあいまいな言い方であった。正確には、「大人が悪い」からである、と今はハッキリと言える。人間30もすぎたら、いい大人の仲間入りなんだから、子どもをいい方向に導く交通指導員のお一人として、手伝い、叱り、注意してあげようよ。交通事故から守ってあげようよ、次代を担う子どもたちを。大人っ!肝を据えて、腰を落として、がっぷりよっつで、小学生に、中学生に、高校生に、青年に、向き合えよ!!
 





















モンゴル人が強い訳

15,2005

大関横綱の朝青龍の強さは、なんで日本人関取は彼にこんなにも歯が立たないんだと、くやしくなるほど、地団駄踏みたくなるほど、カメラ目線が憎らしくなるほど、とにかくイヤになるほど強い。土俵際の投げの打ち合いになったとしても、自分の曲げが土俵に落ちる瞬間まで相手に喰らいつきつづける、その粘りと執念は尋常ではない。日本人力士には無い鋼のような、あるいはマムシのような強さと狡猾さが備わっている。

モンゴルを旅したことがある。ウランバートルの家庭にホームステイさせてもらい、そこから100Kmも西にデコボコ道を砂埃を上げながら旧ソ連製のジープで移動してゴビ砂漠の入口まで達し、また戻っては、見渡す限りの大草原に、大きなテントを2張り張り、野営したことが。

そこに住む遊牧民の子どもたちはみな、野生の馬を飼い馴らし、ロクな鞍もつけずに乗りこなしていた。馬といってもポニーに毛のはえたような、日本にも昔いたという小柄な馬なのだが、一緒に行った仲間が試しに乗ろうとして、またがリ、と思ったら、振り落とされていた、というほどその気性は荒い。

その馬を小学生くらいの年ごろから、みな平気で乗りこなす。祭りの時は、草原レースをやるのをTVで見て知っていたが、そのとおりのことが目の前で繰り広げられていた。あと、遊びはモンゴル相撲だ。馬にまたがり、草原を疾駆し、モンゴル相撲に勝った負けたと繰り返しながら、成長する子どもたちが普通にいる。これでは日本人がモンゴルの人にかなわないのがスゴクわかった。その足腰の基礎がそもそも違うのだ。歩けば15分の所へもママの車で送ってもらうへなちょことは訳が違うのである。

それにもう一つ決定的に違うのことがある。遊牧民の一番大切な羊を、自分たちの糧のために、ほうることがある訳だが、その時、まず神様に祈りをささげ、それから、心臓の近くの皮を10センチほどナイフで裂き、あっという間に手を入れて心臓をにぎり、血液の循環を止め、絞めるのである。それは生き物をいただく時の、感謝と畏敬と、もっとも苦しまなく逝かせてあげるための工夫といたわりが形になった技なのである。(それがイスラム圏だと喉をかっ割く。)だから、モンゴルでは羊を丸ごと一頭、一滴の血もこぼすことなく、その血もまた、煮こごりにしていただく、無駄のなさが徹底されている。このあたりが、日本人のひ弱な子どもたちと、あとにつづくリトル朝青龍たちとの、もっとも大きな差になっているように思える。

子ども心の潰し方・ふせぎ方

Nov.14,2005

自分は、小学5年の時、1年間朝刊配達をしてお金を貯め、自分の好きなミズノのブルーインパルスというスキー板、チロリアンのビンディング、ジャガーのスキー靴を買った。それに、本格的な登山用リュックを買い足した。将来、必要な荷物を詰めて、旅に出られるように、と子どもながら家出にそなえていた。

小学の時、熱を出し、寝ている布団のなかで飲んだトマトジュースがとてもうまかったと覚えている。病気の時しかトマトジュースを飲ませてもらえない、そんな時代があった。それからバナナも貴重な果物だった。風邪やはしかの時は、そのバナナも1本食べることができた。実はもっともっとボクはバナナが食べたかった。イマニミテイロ!はやぐ自分で金を稼いで、誰にも文句をいわれぬ自由な一人身になり、バナナをひとふさ、思いっきり食べるんだ、と心に決めていた。今の時代にきけば、何それ?って笑われるようなことだけど、少年はそんな不自由と渇望の時を経て、独立心を強めていく。

中学の時、親友がクラッシックギターを習わないか、と持ちかけた。ギターをひくことに新鮮なあこがれを抱いた。親にねだったが、拒否された。夢を踏みにじられたような悔しさを覚えた。イマニミテイロ!自分で金を稼いで好きなものを自由に買うんだ、と強く思った。

それから高校受験を前に「オレは高校には進学したくない。早く働いて金を稼ぎたいから」と親に言った。だがそれも聞き入れられなかった。共に尋常小学校(今の中学校)しか出ていない親にとって、子どもをそのレベルでとどまらせることは絶対にさせてはならないことだったようだ。それに高度成長時代の右肩上がりで活況にあふれた日本経済という中、高学歴社会が当たり前になり、いいところに就職するのには出身進学校の履歴が一番重要視される時代になっていた。高卒だけでは、下に見られた。「大学には行かない。オレは画家になりたい」と言ったら「画家でメシが食っていけるわけはないっ!!」と一笑され、それも却下された。

兎にも角にも、ときどきに、ワタクシはかくのごとくに、ことごとく、要所要所で、親に阻まれてきた。自分で金を稼がない限り、この親の束縛から自由になれない、そうOyazは少年の頃から思ってきた。それが今もって継続して思いつづけている、おっきぐなったら画家になるんだと。

おっきぐなった添乗員は、パリ郊外の畑の風景をバスの窓から眺めている時でもこんな情景を見ていた、キャンバスと絵の具箱を背負って精力的にメラメラとした目で歩くゴッホの姿を。

占領されているんだゾッ!今も。

Nov.13,2005

誰もみな教えてくれないだろうから、Oyazが子どもたちにおしえてあげようね。

日本は、自由な民主国家だって君たちは思って育ち、疑ったこともないだろう。けれど、ほんとうはそうじゃぁないんだってことを認識していてほしいから。

実は、軍事的には、今もアメリカに占領されつづけているんだよ、この日本は。

なんで沖縄の嘉手納基地や神奈川県の厚木基地、青森の三沢基地から、アメリカ軍はいつまでたっても撤退しないんだろう。なぜ、日本の土地なのに、基地内への立ち入りは勿論禁止され、そこだけがなぜ治外法権が摘要され、日本が手を出せない領域なのか。竹島は日本の領土だ、と声高に叫ぶのに、なぜアメリカへは基地を返せ、その土地は日本の土地だとは叫ばないのか。なぜ駐日アメリカ大使館は地代がただなのか。原子力船空母が佐世保だ、横須賀だ、と寄港する時、「今回は核兵器は搭載していないはずです。日本には非核三原則がありますから」なんぞと政治家は言っているがそんな訳がないじゃぁないか。日本をアジア戦略のただの拠点基地にしか考えていないアメリカ軍が、わざわざ日本人の首相の顔をたてるために、いちいち核兵器をはずして、アメリカくんだりから来て、韓国だ、フィリピンだ、サイパンだって、行くと思いますか。

そう、みんな、今もって日本がアメリカの支配国の一つに過ぎないから起こる現象です。日常生活だっていつのまにか完全にアメリカナイズされ、それをカッコイイとこそ思うが誰も恥ずかしいとは思わない。鈍感・麻痺・中毒してしまったんだよ日本人は。TVもCNNはじめアメリカ人が見ているものをそのまま見、ラジオも昔からFENを米軍と共に聴いて来た。若い衆はジーパンをはき、ウエスタンブーツにあこがれ、ジープやアメ車にいまだに夢中だ。アメリカンミュージックを聴き、髪も金銀茶パツだしね。みんな洗脳されちゃってるよね、知らず知らず、アメリカに。

自由だと思っていた、民主的だと思ってきた。けれど違う。アメリカにただ牛耳られているだけなんだ、たくみにコントロールされてるだけなんだ、この国は。犬さえ、アメリカからたくさん輸入していることを「犬インフルエンザ」のニュースで初めて知ったけど、牛肉は勿論、毎日食べている豆腐類に必要な大豆にしても、パンを作る麦にしても、コーンもトマトも米さえも、大量にアメリカは日本に売りつけている。経済的にも日本はアメリカの戦略網にしっかり組み込まれている。いつの間にか、こんな狭い国土の日本では実現不可だと思われてきた車社会が、まったくアメリカ然として日常化し、歩行者がひき殺される車優先社会に変貌した。ド田舎まで高速道路が走り、一家三台車時代に突入した。日本の企業の1割に過ぎぬ大企業、そのトップのトヨタの1社が権力を握る日本経済界。零細な昔銀座商店街はシャーッター街にさびれ、大量輸入スーパー“イーオン”を中心とした郊外大型モールがこれまたアメリカ猿まね然として肥大化している。そのたびに山野は切り崩され、美田が埋め立てられ、コンクリートとアスファルトにおおわれるのだ。いいのか、日本人、このままで!!!!

Oyazの旅路のはじまり

Nov.12,2005

アレは何歳だったのだろう、中学三年だから、15か。

Oyaz少年は紺色のバッグひとつにパンツ1枚、アリガネ2千円を持って、
真夜中に、部屋の窓から家を出た。真っ暗な夜道を線路づたいに北へ進んだ。北海道を目指していたのである。途中で金がなくなったら、バイトをして、青森あたりで一服つけて、そのうち津軽海峡を渡るフェリーに乗ろう。北海道に行ったら牧場に住み込みで世話になろう。そんなアバウトな漠とした道筋を思い描きながら、夜闇を歩いていった。こんな夜は、明日のジョーや松尾芭蕉だったらどうしたのだろう。きっと駅に野宿するんだろうなぁと勝手に決めて、最終電車の去った駅に入っていく。

いつまでも待合室に寝っころがっている、ハンチングは目深にかぶってはいるが、どう見てもまだ幼い少年風情に、当直の駅員がいぶかしげに思わないほうが今にして思えば当然だったかもしれない。

そのうち、誰かがつかつかとボク一人しか居ない薄暗い待合室の長いすに近づいて来る。
「もしもし・・・」と声をかけられる。{オイオイ、明日のジョーならどうするんだーコンナトキー!!??}
それは駅前交番の巡査だった。まずもってそもそも、すぐ目の前に交番のある駅なんぞを選んだのがシクジリだった。
顔を上げざるをえなかったボクのその顔立ちからして、中学生の家出少年かとすぐにバレ、あまりにも幼くしてボクはパトカーの車上の人となったのである。本署へしょっぴかれ、何かコンコンと説教されたが、何を言われたのかまったく記憶にない。ただバッグの中身をあざかれ、コッパズカシかったのだけをはっきりと覚えている。そのうち2時3時の深夜だというのに、犯人のオヤズはバガ息子をもらいさげにやってきた。

ただそれだけの、胸のスカッとしないオソマツすぎる家出事件簿なのだが、考えてみるとあの時からOyazは、運命的に、旅を職業にするように決まっていたのかも知れない。

時を駈ける少女

Nov.11,2005

「いの~ち~♪みィジ~かしィ~こぉい・せよォ~お・と・め~♪」

もう冬が1800メートルにまで近づいている。
山形盆地から、東の蔵王、北の月山、西の大朝日の頂きが白くなっているのが見える。

朝8時。
通学する女子高生たちが、この寒空にまだ生足ダイコンをあらわに、自転車をこいでいく。つい数年前までウチのオジョーたちもそうだったように。今は下石神井と扇に住む22歳と19歳の娘となった。

Oyazは別にマッタク心配していない。
22の茜には“いいなづけ”のTakuちゃんがついてるし、
19の葵にも今年都内の私学に入った彼氏のトオルがいる。

Takuちゃんは小柄ながらトムクルーズばりに均整のとれた体つきで、海にキャンプをはった夏には、素潜りでアワビを捕ってくる男である。Oyazも2~3メートル岩場に潜ってみたがなかなか捕れるもんじゃぁない、まして、タコなど。

トオルはTakuちゃんとは全然タイプがちがうけど、高校時代はサッカー部、今は大学でフットサルやりすぎて、単位を落としているとか。いィんだ、ワガイ時は。体を鍛えろよトオル!勉強は社会人になって、自分で興味が湧いたら、するもんだ。

茜は仙台の服飾専門校を出て、服飾デザイナーをめざし就職活動を続けていたが、今は日本橋高島屋の子供服専門店に落ち着いている。

葵は6歳からジャズダンスを始めて以来13年になるが、去年・今年とTDRのダンサーのオーディションやサムのようなバックダンサーになるオーディションに挑戦しつづけている。わがいうちだ、なんでも、やってみろ!

19際の時、大学の講義に遅れてきた二人が講堂の入口でばったり出遭って、あれから29年が過ぎた。ふたりともイイおばんとOyazになった。「ボクには時間がないんだ」が口癖だったOyazが、カミさんとともに、はや半世紀近く、生きた。
「光陰矢のごとしだなぁ」なんて言っている内に、100歳になってたりして、ふたり。
ということは・・・ウチの娘たちは、そのころぁ、80や70のババアってことカァ~?

「いの~ち~♪みィジ~かしィ~」・・・


苦もなく貧しく美しく


Nov.10,2005

あたらしいことに、つねに自分をチャレンジさせつづけている48歳。
昨今の日課
3:30起床
4:00~5:00お湯沸かし、炊飯器on、おかず下準備、ブログ閲覧・製作
5:00~5:50自転車こいで畑へ。水方不動尊境内でテッポウ・シコ踏み、参拝、落ち葉掃き、水汲み
6:10~7:00自転車こいで研修先へ。ビニールハウスで清掃ほか、自主ボランティア「朝仕事」
7:15~8:00家で朝食準備、バーチャンにご飯出し、朝食、歯磨き、髭剃り
8:20~17:00研修先で終日、花の苗植え込み・土のポット詰め・ピンチ・水かけ・赤葉取り・出荷準備など
17:30帰宅、高騰灯油節約のため水浴・自分のものを一緒に洗濯
18:00~20:00家族と夕餉・団欒
20:30~21:00読書・就寝

研修先の社長夫妻は、私が行く朝6時ころにはいつも、すでに「朝仕事」を始めている。察するに、5~5:30にはハウスに来ている模様。
私も働き者だと思っていたが、上には上がいるものである。しかし社長もよわい53。そんなオヤズに若い衆は負けちゃぁいられない。
シャジョーのやることぐらい全部、自分でやれるように成ってみせる。熟練・熟達・更なる精進・六根清浄・森羅万象、である。

しかしこんな毎日や労働は今の自分には「へでもない」。
会社勤めのころを思えば何ともない。というのも、農作業は、頭1割、精神1割、作業8割だからである。
一方、会社勤めでは、7時半出社、お湯沸かし、ゴミ集め、支店内掃除機かけ(冬は駐車場の除雪)、日中の営業、連絡・報告・会議、残業、22~23時帰宅、なんていう毎日があったりまえだった。それにくらべ、農業は、頭と気をほとんど使わない“作業”がその大部分を占めている。まったくもって精神が擦り切れる、なんてことがほとんどない、人間本来の心持ちにたちかえれる職業である。へたすると頭を使わな過ぎてバカになりそうなくらいだ。
会社勤めの営業マンの時は、接客に精神を擦り減らし、企画書に知恵と汗を絞り、パソコンに時間を要し、ノルマの数字管理にきゅうきゅうとし、出張に出れば1時2時まで接待、5時起床の日々が3~4日続いたものである。そのころを思えば、今の無給研修とはいえ、まったく持って楽な、ただの農作業・土方仕事である。腰と腕っぷしと自転車マイフットのふとももだけが大事な道具である。
今の花卉栽培作業に熟達したら、今度は、私のこれまでの人生経験と知恵を加味した、新しい農業を、創っていこうと思っている。 

夜空、夜明け、不和雷同

Nov.9,2005

11月の清透な夜空に、下弦の三日月と金星が対になって輝く。
トルコの国旗でもロシアの赤でもない、
日本独特の霜月の風情が枯れたすすきとともに冬のにおいを運んでくる。

翌、夜明け前、山に向ってペダルを踏む。
向っていく漆黒の山並の頭上には、
薄墨色の夜空が無限にひろがり、
明星とシリウスを、左と右の袖にしたがえ、
三ツ星をいだくオリオンが四角い希有な形を誇示するように、
宙の大画面に、雄雄しく、気高く、鮮明に、
大凧の舞うがごとくに浮かんでいる。

振り向けば、はや東の空を、夜明けの兆しが橙色に染め始める。
蔵王の峰峰の連なりは、北の葉山をたどり、
そして月山、ぐるりと西には大朝日連峰、南の牙城は飯豊山。

日本の清冷な秋の空、
高気圧とマイナス30度の寒気団との落差は、時に、季節はずれのカミナリをもたらし、子どもたちを震え上がらせもする。
山形県を東西に分断する山脈の西空に、稲光が走る。

大宇宙の季節の営みの中、
私は自転車にまたがり、雨を、雷を、大急ぎで避けようとしている。

雷神よ、撃つなら撃て、
この天空の微塵の的を。
何万光年のかなたで胎動し続けるうねりに中の、
息さえ聞こえぬちっぽけさを。


マイナスにまっしぐらだった少年

Nov.8,2005

自分自身、19歳まで、不安の連続だった。
生きていること自体・そしてこれから先30年も40年も生きていくことに、
まったく自信がなかった。
4歳ころから芽ばえたであろう自我はますます強靭になり、
自身の存在の意味をますます問うがわからず、
いきいきとこの世を謳歌しているように見える自分以外の他人が
「何の疑問ももたない不思議な人たち」だと見えて
しらけ、はすにかまえ、生きていた。

白と黒の
ノッペラボーの人間もどきが
かたわらに白は黒い敵を十字架につけ、黒は白を十字架につけ、
右と左、互いが両端に分かれ、その十字架めがけ、同時に弓矢を引きはなつ。
そんな夢を、繰り返し見ていた。

朝目覚めて
布団を押入れにたたむ。
すると、たたんだ布団の中に、何か大事な忘れ物をしたことに気づき布団をおろす。
やっとまた、布団を押入れにに畳み、元に戻す。
するとまた、何かをその中に忘れたことに気づき、再び布団をおろす。
その延々とつづく繰り返し(後年それが“シージフォスの神話”と一緒だと知る)。
そんな夢を、そしてまったく同じ夢を、何回も何回も見た。


そんな、
この世の存在自体に不安を覚える青年が、
人の親になることなど、
まったく考えもしないことだった。
むしろ、
自分のような自我の強い、不安だらけの、話ベタの、才能なしの、みにくい人間を
二度とこの世に送り込んではならない、
とさえ思っていた。
何故、親は、オレを産んだのか、うらみさえした。
そんな、
どん底へまっしぐらに向う志向をする少青年期時代があった。


山も生きている

Nov.7,2005

表面を紅葉が始まった樹木で覆われている日本らしいおにぎり曲線の山々。
これらが燃えるように色づくとき、その下に隠れている大地のエナジーと樹木のもつ生命力とが一斉に湧きたっているように聞こえ、感じ、そう見えることがある。特に見る人の生命力が活気付いている時ほど、それは著しい。同じ土くれからできているんだね人も山も。

「どうして植物は紅葉するのでしょう?」って山々を縫うように走る車の中でカミさんが突然問題を出す。
「オレを見て、テレってっからカナ~」
「・・・(オメッ)ーー(ソージャナクッテッ!)・・今まで光合成をしてきたのをヤメッから~、だよォ!」
「あ・ァっ~~寒くって花たちもこの頃は咲かなくって来たように、成長がとまるんだナ」
「というか、成長をやめルンんだって。そうすると紅葉現象が現れ、やがてそれが白くなり、枯れていくっていうわけ」

前に読んだP600のことを思い出していた。
人間の細胞はその役割を終えると自らその成長をやめて死んでいく自殺機能がある、その役割を果たすのが、たんぱく質P600である。
そのたんぱく質P600が何らかの事情で働かなくなると、細胞が自殺できずいつまでも増殖を続け、やがて癌になるという、あれ。

(そっか、植物も同じなんだ。その時期がきたら自ら成長をやめ、死んでいくんだナア)

(人間も産まれ、幼児期を経て、盛りを迎え、つがいを作り、子をもうけ、手をかけ、見守り、巣だたせれば、やがて二人円熟期に紅葉したように笑い語らい、ともに白髪となり、枯れていく)   その、繰り返しなんだね、自然界は、人も山も。時の流れの中で。この世の生き物が絶えないように、考え出されたシステム。枯れて死ぬのは、すべてその種の永遠のために、セットされた法則なのだ。

四歳の記憶

Nov.6,2005

脳はパソコンに構造的に似ている、と思ってきた。本当は逆で、脳をパソコンを考えついた人が真似しているだけなのだが。

まず最初にその整理法。
たくさんの引き出しを持ち、出し入れをしている点。
よく使う言葉を履歴として繰り返すと、頻用語として自動的に記憶してしまう機能が、脳にもある。間違って覚えていた字や言葉遣いを、それと気づいた時に修正する機能もある。お気に入りの引出しがあり特別扱いしたり、いやな事や人の記憶を故意に削除できる能力もある。

検索機能であるが、
キーワードが出てくると、脳もあらゆる引出しと、過去の経験と読書した知識を総動員して、まったく違った知識同士を、時に有効に繋ぎ合わせてしまうこともある。これは、ただの記憶の検索にとどまらぬ、脳の一つのぬきんでた能力である。

0と1の組み合わせ。
コンピューターはデジタルであり、0と1の組み合わせから、なっている。
コンピューター言語に詳しくはないが、脳に置き換えれば、必須アミノ酸と水から人の脳は成っている、と言えるようか。

今や、日本将棋会が、プロ棋士にコンピューターソフトとの対戦を禁じたように、
コンピューターの方が、将棋でもチェスでも、人を負かす時代となった。
これは、人の考える能力や商才が、いかに膨大な知識とノウハウの記憶の駆使力にかかっているかを示す一例だろう。

膨大な知識ノウハウをインプットし、それを総動員し、結び付け、再構築するスピードが、機械はもはや人間の脳を追い越している。アシモ君のような歩行するコンピューターロボットも実現でき始めた。アトム君誕生も現実味を帯びてきたが、最期に残ったのは、まだ人間だけの領域としての「喜怒哀楽」という感情をつかさどる能力と「芸術」の分野と、そうしてあえて付け足せば「味覚」の能力だろう。

遺伝子研究がヒトゲノムの全貌解明まで達しているが、それは構造の全解明、の話である。一つ一つの遺伝子がどんな記憶を持って、その人間固有のものを作り上げているのかがわかったわけではない。

人間はいつの頃からなのか、智(心)が暗くなり、鈍くなり、その創造主の記憶をはっきりわからない状態で産まれて来るようになった。これは原初の人間の記憶的遺伝子からの伝来だとするなら、アダムとイブの時代からなのかもしれないし、日本書紀のアマテラスの天の岩戸の時からなのか、私の暗い智識ではもはや遺伝的に、知らない。

さて、自分の一番古い記憶の引出しを、老コンピューターと駆動させて捜してみた。

「妹が産まれた時、父親が朝ご飯の用意をしている隙に、家を飛び出し、母と妹がいる産婦人科の方角へ向って駆け出すと、後ろをオヤジが追っかけてきた」
・・・妹は私と4つ違いなので、これが私の4歳の記憶ということになる。
ほかには、何か悪いことをしたのだろう、畳の上に正座させられオヤジに何かガミガミ言われながらビンタされた記憶、が何回かある。が、何をガミガミ言っているのかがまったく記憶が無い。何が悪く何が良いのかという善悪判別能力や良識というものが4歳児にはまだ形成されていない、のが今振り返ればわかる。そういう意味では子どもは最初、性悪でも性善でもなく、ただの白い紙、状態なのかもしれない。

またあるシーン。
朝、保育園に「いってきます」と言って、弁当の入った黄色い肩掛けカバンをさげて玄関を出た自分は、行くのイヤでそのまま家の裏に隠れつづけ、昼前にその弁当を家裏の壁にもたれながら食っていた、という記憶がある。自分が行きたいところには行く、行きたくないところには大人のルールを破ってでも頑として行かない、という能力というか行動力は、今の自分の行動パターンと同じなのである。私の独立心・決断力・行動力は少なくとも、この4歳ころまでに、形成されたことになる。

三歳の記憶

Nov.5,2005

「三つ子の魂、百までも」と昔から言われてきたように、
人の情操は、三歳までにできてしまうと言う。

私は、人間は本来、性悪なのか性善なのかは、いまだにわからないが、
理屈としてはこうなる。

・・・この広大にして緻密な無限大に膨張し続けている宇宙の中の、
その中でも一銀河系の、太陽を周る六つの惑星の、その中でもたった一個の「地球」にしか生命体が存在せず、そうして太陽の光も温度も土も水も空気も動植物も何もかもが全て、まさに人間が存在するためにのみ、何十億、何億、何千年をかけ、都合よく着々と準備されつづけてきたこの世のシステムを、科学が解き明かせば明かすほど、そのようなしつらえをセッティングできた「全能の創造主がはじめにありき」でないと、まずは論理として理解できないはずである。

・・・が、一方で、人間の認識である智(心)は、いつからなのか、暗く、鈍くなり、その創造主を認識できないまま産まれて来るようになった。だから、現代人は誰一人として、神のことも、人が生きる意味も、死後のゆくえも、なぜ時間が存在しているのかも、明言できる人がまったくいないのである。

しかし「神は存在する」と信ずる多くの名も無き信者と祈りの人がいる。
いや「神は死んだ」というツァラトストラや哲学者がいる。
この世の表層の、物質・生物の進化論だけに固執し、その始まりに言及したがらない科学者もいる。マルクスレーニン主義のように、人間が人間のためにシステムを改革したり、こさえ上げたりするのに、ただヤッキになっている人がいる。

この唯一無二の、かけがいのない地球上で、今も、
国同士で、民族同士で、人間同士で、いさかいを、戦争を、人殺しを続けて、やめない。

自分たちこそが神の選民であり、存在する価値があるし、固有の土地を守る義務があるし、そう教典に書いてある、と言っては、ユダヤ教徒とイスラム教徒がおんなじ聖地をめぐり、「おれたちのものだ」「いや、おれたちのものだ」と争いをやめようとしない。同じ穴の狢、おんなじ出発地から出た2つの宗派なのだから、聖地はいつまでたっても同一のまんま、しかし教義が違うのでいつまでたっても和解することがない。人間のおろかさの典型を見せられる思いである。聖地といわれるエルサレムの黄金のモスクと嘆きの壁が見える西門の広場にはいつも、その周囲にイルラエルの自動小銃をずっしりと持つ小編隊が警戒している。そんな街なかで、ユダヤもイスラムも渾然となって、買い物をしたり、飲んだり食べたり、銀行に言ったり、郵便局に並んだり、バスに乗ったり、タクシードライバーに値段の交渉をしたり、死海で泥パックをしてはひと時プカプカ浮いたりしている。市井の人と交われば、どこもかわらぬ親子であり、夫婦であるのに、何故こんなメビウスの輪のような、永遠に続きそうな争い事になってしまうのだろう。独善のアメリカ、それに歯に歯をもって、極悪非道の報復で対抗するオサマビンラディンのアルカイダ、前時代的独裁国家、台頭する13億中華民族・・この地球に明るい未来はあるのか。

私は半世紀近く生きてきた今でもわからない、人間が性悪なのか性善なのか。
ただいつも、自分の暗くなった智(心)のかすかなうなずきや導きに耳を傾けつづけてきた。そして、これからも。

何でも同じ、仕事の段取り

Nov.4,2005

11月3日の国民の祝日に働く私を含む皆様、全員、非国民で訴えられることでしょう。

さて、今は花製造屋さんに見習い修行中の身ですが、6ヶ月がたってわかったことがあります。前の仕事のとき、「寿司屋と同じで、仕事は仕込みがしっかりできれば、8割方終わったようなものだ」を口癖にしてきた。そうしてそれは、まったく違う今の仕事でも、おんなじだ、と。

①今年は何の花を、どんな色を、何万作るか、トレンド研究と戦略を立て
②どのハウスに何を植え、空き期間は別の何を植えるか、計画作成
③培土、種、苗、ポット、トレーなどの仕込み道具発注
④パート要因の確保準備
⑤年間の作業を人員割、それを月単位、週単位に細分化
⑥実際の植付け、水遣り、出荷準備

ここまでやれば、出荷という本番は、あとは天候と運送屋さんの腕と運次第である。

一つのことに通ずれば、何でも同じ、だってことがようやくわかった研修生。だた働きの今ですが、もっともっと吸収しますよォ~、若者に負けず貪欲に、精鋭に、ヴェンチャー中年Oyazは。

ボーダレス時代、表示博覧会、TV報道の意味

Nov.3,2005

韓国と中国がキムチ戦争をはじめたとか。
日本でも中国産のホーレンソウの残留農薬の多さが問題になったし、
最近では、韓国と同様、中国産野菜から寄生虫の卵が検出されたとニュースになった。その原因は、中国では今も人糞を肥料として畑に撒いているから。

日本も30年前はそうするのが当たり前だった。
だから農家の便所は外だったし、畑にはそのダラを貯めておくタメオケが掘ってあり、そこにつッパいった小学生が、1週間もその匂いがとれなかった、なんつう話題は普通にあった。中国同様、日本人にも寄生虫が住んでいたのだ。2mにもなる十二指腸カイチュウなるものがみつかって入院する同級生もおった位だし、そのため小学校では寄生虫検査が定期的に行われていた。東京の目黒駅から100mほど歩いていったところに寄生虫博物館があるのも、そのなごりである。

産地表示が義務化されてから、最近のスーパーの食料品を見ていると、実にボーダーレス時代を身近に感じる。ブラジル産鶏肉、チリ産ウニ、ニュージーランド産カボチャ、中国産ニンニク、タイ産エビ、アラスカ産子持ちシシャモ、豪州産牛肉、フィリピン産アスパラガス、イラン産ピスタチオ、北朝鮮産ハタハタetc.

これらのものにも、残留農薬や寄生虫、BSE、北朝鮮産ハタハタに入っていたような鉛や重金属、PCBその他もろもろ、何が混じっているのかわからない訳である、疑い始めたら。かといって日本産は大丈夫か、といえば、必ずしもそうでもない。農業研修生1年生のOyazは初めてわかったが、ブドウやりんご、ラフランスは、除草剤以外の農薬を10回までかけていい(農家の人曰く「規制が厳しくなって今は農薬を10回しかかけられなくなった」)のだそうだ。山形名物ラフランスやりんご、サクランボにいたっては、それにつくダニを「農薬散布」するというよりは、大量の水で洗い流すようにダップリと農薬をザブザブかけているのが現状である。それを、洗いもせず、うまそうに皮ごとかぶりつく子どもを、秋の味覚も本格的です、なんてTV報道する報道機関の無責任さってなんなんだ!って腹をたてるのは、変わり者Oyaz一人ですか。

食の安全、というか、食の危険を感じたら、もはや自分で作るしかなくなる。虫くいの穴あき野菜。完全無農薬の取り立てで、オイスイ、のである。安心は、ちょっとだけ手をかけ、自身で作るもの。売るほどづぐんねくってイイがら、ねぇ日本人、農業すろよォ~!

星と砂

Nov.2,2005

夕闇の仕事の帰り道、夜空に宵の明星がまたたく。
これからもっと寒くなるといよいよ星空ははっきりとクッキリと見える季節がまた近づく。

朝5時、畑に自転車をこいで、くらがりを行く。
夕べの金星が今度は明けの明星としてオレンジがかって瞬いている。
その頭上にシリウス、左手に北極星が白く輝く。

自分は高校生のとき、紙を細長く切って、糊でつないで、部屋の壁にぐるりと貼って、
人類が誕生してから何億年、歴史的文献が残っているのから数えて何千年、
と自分の一生80年とした時の、時間をその紙に定規のようにメモリをつけて書き出したことがあった。そうすると自分の一生なんてほんの数センチ、数ミリなのである。

『竜馬がいく』を読んで、大河ドラマを見て、Oyaz少年も竜馬にひかれていく。
それは幕末を近代に動かした、駆け抜ける風雲児竜馬、というよりも、
寝ションベンたれの竜馬が、乙女という強い姉のもとだんだんとたくましくなっていく過程や、千葉道場でこめかみのビンの毛が擦れるほど剣道の稽古に明け暮れてつよくなっていくことや、だんだんとそういうなっていく男の、革新的でとらわれない柔軟な思考、キモの据わり方、豪快さ、ダイナミックさ、に惹かれていたのである。

つまらないことでクヨクヨしたり、おちこんだ時は、よく海に行った。
広々としたキラキラした海原を眺めながら、「竜馬だったら、どうしただろう」と思った。
そうして、一握の砂である自身の小ささに、笑うことができた。

オーストラリアの内陸部でキャンプを張った27歳。
まわりに人工的な電気がまったくない真っさおな夜空に、
大づぶの星星がそれこそ降るように、手の届くようにきらめく様に圧倒されたことを
昨日のことのように忘れない。





考えない葦

Nov.1,2005

なんでパスカルは「人間は考える葦である」と言ったんだろう。

何故「猿」ではなく、動物でない、植物の「葦」だったのだろう。
葦は紙の原料になったから、「人間は考える、まだ真っ白な紙のようなものである」とでも、インテリっぽく言いたかったのか。それとも、もともと人は植物のように土から生まれ、ただ動植物と違った「自分で考える創造力」がそなわっている、って言いたかったのか。

上ふたりの娘たちもそうだが、職場でも、今時の若者は、携帯を片時も離さない。休憩時間ともなれば、皆でお茶する間も、一人モクモクと、携帯の画面を見たり、メールを打ったりしている。これってまず、みんなで世間話に花を咲かせる空気の中、大変失敬な行いのように思えるのだが、若い衆はそんなこと考えもつかない風である。人前で男女がいちゃつくことも、電車内でキスすることも平気になった日本人って、アメリカっぽくなってカッコよくなったわけでも何ともなく、ただ下品に失敬に無礼に行儀悪くなっただけだ。Oyazに言わせりゃ「日本人は考えない、テレパシーのない、感度の鈍い、金髪の携帯電話である」だ。

修行が足りんのだ。学が浅薄なのだ。儒教も仏教もキリスト教もユダヤ教もイスラム教も、礼儀作法も何も知らないのだ。学科ではナク、人間の勉強すろよ。農業すろよ。機械を仲介にしないとできないコミュニケーションにばかり、本末転倒で、縛れんなよ、若者たち。


この世の奥義

Dec.31,2005

とうとう半年ぶりに我が家の湯舟につかった。
アメリカのバカがいつまでもイラク戦争を続けているもんだから、そのつけがまわりまわって、日本の、山形の、我が家にまで回ってきて、灯油を節約するハメになった。近頃はやたらと何もかもが「ブッシュが悪い!お前こそ悪の枢軸だっ!!」って思える。
そんなわけでOyazは夏から、仕事を終えると、修行僧になったつもりで水で行水をし、気合を入れてきた。

半年ぶりに体を湯舟のなかで伸ばしてみる。
少しぬるめの湯の中に静かに肢体が沈んでいる。
百姓を始めて、なお引き締まった腹の皮をつまんだ。そのなかにヘソがついている。
飛鳥人の血を引く先祖代代とつながっているこのヘソを、不思議なタイムトンネルの入口だと今は思える。
そうしてちんぽこがあり、毎日16km自転車をこいでひとまわり筋肉のついた太ももがある。
しかし、わたしが死んだ時、この肉体は、鍋の水に浮かぶチキンのように、ただの骨と肉と皮のついた肉塊となり、無機質な物体となり、やがて朽ちて風化し、土に帰すのである。

雪道を歩いていくと葉を落とした並木が続いている。
その剪定もしない枝枝が何故かみな、円形に見える。
針葉樹は決められてもいないのにみんな円錐形を描く。
山々の木々もこんもりと弧を描く。
星も月も太陽も球にして周る。
この世界はある法則のもと時々刻々、規則正しくまわっている、宇宙も草木も。
この人間の肉体も。
どんな美人だとしても、やがてその皮膚はたるみシミができ黒髪が抜け落ちサレコウベとなって朽ち果て、やがて草花を育てる土となる。
この法則から誰一人、ひとっこ一人逃げられない。
だのに人だけが勘違いをしている。
自分だけは違う、自分だけは自分で立って生きているし、運転するし、世界旅行するし、食べたいものを食べるし、意見をもっているし、科学でクローン人間だって作れるし、宇宙にいって船外アーム操作だってできるんだって!

たしかに人は「善悪知るの実」:いわゆる、神のいいツケを守らず食べてはいけないとされていたリンゴを食べたので、楽園から追放された、と伝えられてきた。
「善悪知るの実」とは、人の考える智力・オリジナリティの自我・創造力そして心、のことである。これだけが、他の星と草木と動物たちには与えられていない、人唯一のものである。それを人だけに神はさづけた。その代わり、人はその神を認識することができなくなった。そうして、われこそは不老不死で、なんでも自由意志とこの頭脳をもってしてでできないものはないっ、て勘違いして生き始めたのだ。

人の寿命はたかだか7、80年。
この世の法則のなかにいられる間、神は本当は「おまえにはこうなってほしい」と親心で願っているのだろう?
お金持ちになってほしいってだろうか?
人を、よその国を蹴落としてまでも1番になれってだろうか?
自然をコンクリートとアスファルトで固めて一人一台自動車に乗って二酸化炭素でオゾン層にでっかい穴をこさえてほしいってだろうか?
そうしてみんな皮膚がんになって、バカになってしまったわたしのかわいかった娘息子たちよ、残念だが、もう滅びてしまえっ!て願っているのだろうか?


須川橋それから

Dec.30,2005

先日の投書:「須川橋」について、あれから1週間たった。そして実に律儀に、山形県庁より直々の、斎藤弘知事ならぬ管轄課長さま名の「上意っ!!上意でござるる~!そこなっ坊主、ズがたか~いっ!!」ってお返事が届いた。では、さっそく本文をご披露。


「現在の門伝橋【(註)Oyaz言うところの『須川橋』】は通常時でも歩道が狭く、特に冬期間においては、積雪及び車道除雪の雪により、歩道が埋まっているような状況で、歩行者及び自転車の皆様には大変ご迷惑をおかけしております。
 通常、歩道の除雪は、通学路を優先的に行なっており、当箇所については通学路でないため、これまでは歩道部の除雪は行なっていなかったところです。
 この度、ご指摘いただいたように、西公園が開園し、公園を利用する歩行者・自転車が飛躍的に増えていることから、門伝橋の歩道部も歩道除雪の対象路線とし、歩道部の除雪を行い、歩行者空間を確保したいと思います。
 なお、要望のありました転落防止柵・ネット等につきましては、歩道橋が完成するまでの仮設構造物として設置するものとし、構造の検討及び材料の手配がつき次第、対応したいと思いますので、ご理解願います。
 今後とも、県の道路行政にご理解、ご協力いただきますようお願いいたします。」

(以上が平成17年12月28日山形県土木部交通基盤課長 高橋 浩司さま名で届いた全文です。カラーリングは小生Oyazがしたもの)

 
それにしてもなかなかスッ早い斎藤県政の対応ではありませんかっ!?
25年ぶりの大雪で除雪費の補正予算組みも必至。またまた借金財政テンテコマイ、飛んで火にいる雪害対策大赤字だと言うのに。「一県民の聴くべき声は真摯にききますよ」って弘クンが言ってくれているようで、いいですね。勿論やっかいな稟議だとか決済だとか議決だとかのお役所巡回書類の果ての県費支出であるからして、防護ネットがかかるのは、あと2ヶ月もかかるのかも知れないが。そんことを思いながら、最後のサラミ工場出社のためOyazは、またテンコ盛りとなった雪の須川橋を歩いていく。

須磨久善とナマジマと

Dec.29,2005
あと2日でサラミ工場奴隷船のベンハーこと、非人間マシーンオヤズの任が明ける。もう数時間である。寸でのところでこの両の腕がきかなくなるところだった。
「ホント、きっついっす~っ!サラミ工場の<のし方>」
体力ばけものが根を上げる始末なのに、毎日何年も耐えている女工のオバさんたちのねばり強さには本当に頭が下がる。

さて、昨夜NHKのプロジェクトXの総集編を見た。きつい仕事がえりになおかつ雪道を歩いてスーパーまで行き・買い物し、、、Uターンして家の玄関にたどり着けば15cmの積雪だって、、、はたまた世のため人のため、、、気力を振り絞り雪かきをする1時間。

その連続する労働のあとに見たこの「プロジェクトエ~ックスっ~!!」。
あの尊敬してやまない天才外科医:須磨ヒサヨシが登場していた。
平成8年の放映だった。
日本で初めて肥大心臓病に直接メスを入れて切除する「バチスタ手術」を敢行した伝説の医師だ。
それもただの1地方病院の『鎌倉病院』の雇われ医者として。
番組名は「奇跡の心臓手術に挑む ~天才外科医の秘めた決意~」だった。
「神の手ですね」って司会者が須磨にふる
「いえそんな手ではなく、手術が成功して患者さんが治りますようにと、祈る祈りの手です。祈っているんです!」と、いい笑顔でそう話した。
92歳のキリスト者日野原重明サンとはまた違う、求道者のいい顔と言葉だった。

プロジェクトXのエンディングは番組初出演のあの中島みゆき。
番組のラストソング「ヘッドライト・テールライト」を生演奏で歌う演出だった。
この北海道生まれで一時期山形6中にも在籍していたという彼女には
代表曲の『時代』から始まり、大学時代の深夜番組DJで知ったおちゃめ、「わかれうた」「悪女」「ファイト!」そして今日のプロジェクトXのテーマソング「地上の星」までズッ~とつきあってきた。勿論、聴き手として。
昔からTV嫌いで、めったにTVに出ない彼女がこのプロジェクトの総集編の最後の最後に出てきた。
いまの今まで伏見工業ラグビー部監督山口良治や、ホテルニュージャパン火災の時に400度の熱風で爆発するファイアーの中から最後の一人を救出した東京消防庁「特別救助隊」隊長高野甲子雄、そして心臓外科医の須磨久善が出ていた、それまでの雰囲気とはまるでちがう雰囲気を持つ中島が出てきた。一見チャラチャラした髪と衣装で「ど~も~ッ!」って感じで場違いなヘンな女が入ってきたと思わせた。似合わない垂れ眼のニコニコ作り笑いする、頭のワルそーな空気を読めないちぐはぐさが漂った。ところが。歌い始めるとそれが一変する。チャラチャラとしたウエーブ髪にビーズの飾りをゆらゆらさせてNHK楽団をバックに、この中島が歌い始めると、その髪も衣装もニコニコスマイルもピタリとさまになり歌になった。やはり根っからの歌姫なのだ。話し言葉は「バカ」まるだしのうつけものなのに、
歌い始めると別人になり、人を酔わせる。
歌が彼女の表現手段なのである。
札幌で路上で歌っていた。
詩を歌うように。
自分の言葉で。
人の曲は聴かない。
そういう人、中島。

350年前1350年前4500年前

Dec.28,2005

世界最古の木造建築、法隆寺。木の肌のぬくもり・風雪に耐え1000年以上を生き抜いてきた生命力とねばり・そして飛鳥人の英知が凝縮された自然と人の一体となった1350年以上も前の日本建築物を、私たちは今も奈良県斑鳩の里で目にすることができる。

それに対し、見てくればかりに重きをおいて、ゴチャゴチャとおいらんのように飾り立て350年後には修復工事を始めなければならなかったのが日光の東照宮だという。

目を転じ、エジプトに飛ぶ。
カイロの街なかに親子三代といわれる3つのピラミッド:通称ギザのピラミッドが4000年以上たった今も存在している。石の正三角錐だ。

(コレクト倶楽部解説より) 
【世界最長のナイル川のほとりに誕生したのが古代エジプト文明。ナルメル王によって紀元前3000年頃統一された王国は、古王国時代に入り絶頂期を迎える。ギザ台地に三大ピラミッドが建てられたのは今から約4500年程前のこと。ピラミッドという名前は、ギリシア人が、自分たちの食べていたパン、ピラミスの形に似ていたことから名付けた。実は古代エジプト人たちは、昇るを意味するメルという名で呼んでいたという。ピラミッドは大きい順にクフ王、カフラー王、メンカウラー王のものと考えられているが、まだまだ多くの謎に包まれている。】

数学者秋山仁がこのあいだTVで正三角錐の不思議を見せてくれた。そのピラミッドのような紙でこさえた正三角錐を、どこからでもいいからハサミを入れきっていく。その切り離された紙のばらばらなパーツは、必ずジグソーパズルのように合わさる、のであった。ビックリした。

黄金律というのが存在する。
この世のすべてのものが “黄金律” と いう芸術的配置法則にしたがって存在しているのだとか。それを東北芸術工科大学で以前助手をしていた旧姓アベケイコさんより数学的に説明してもらったのだが、数学音痴なので内容は忘れてしまったが。

カイロ博物館に2度も行ったのに、とうとうツタンカーメンの黄金のマスクも、ミイラも、飾り立てられた棺桶も見る気になれなかった。副葬品の数々を見ただけで、あぁここは博物館ではなくお墓だって感じたからである。
王家の西の谷の洞窟をいくつも見た。ここに描かれた人物像も神の化身たちも楔形文字も、みんなはありがたがって芸術鑑賞でもするように見ほれていたが、あれもなんの感動も伝わらないつまらないものであった。王が死んでも永遠の世界に行きますようにと、南無阿弥陀仏を体中に書き込んでもらった耳なしホーイチよろしく、ただの呪文の絵巻でしかない。そう画家には見えたからである。


あくせく今日も金儲け日本人

Dec.27,2005

あと4日でサラミ工場の苦役も終わる。そして、あと5日であっと言う間の2005年という年も終了、ピリオッドだ。
人間というのは加齢とともに、殊のほか時が早く過ぎ去る感覚に変化してくるようである。昨日(月)が来たと思って生ゴミ出したと思ったら、たちまち(水)となり、(木)になり、アッと言う間にまた(月)になっていたりする。

殺人事件・列車事故・ひき逃げ・誘拐・大地震・自爆テロ・大津波・偽装事件、天災・人災は、悲しく、むごく、理不尽で、不条理で、何んでってことが、あまりにも多すぎる1年だった。
とりわけ自然や気候は人の素行の悪さがもたらす究極のシグナルであるかも知れない。
だから、人間がおかしくなったので、自然も気象もおかしくなったのだ、と思える。
「おまえたちが、自然にかへらぬ人工の化学物質の生活用具でゴミの山を築き、おかしな日常の食生活、それをもたらす農業や漁業、無駄な工場と車の運転・無駄なエアコンと重油・ガソリン・灯油の浪費の因果応報のツケが、ただおまえたちにまわってきただけの話だ」とあざ笑われているような気もする。

有史以来4000年、西暦で2005年の間、人は地球に生きてきた。
それがあと1000年もつのだろうか?と、脳天気な百姓Oyazでさえ悲観する。
日本も2005年の今年、初めて、人口の自然増減がマイナスに転ずるのがほぼ確実になったという。
結婚しない人々、子どもを創らない人々が異常に増えた当然の帰結である。年とともに老い・朽ちる人間の数に、新しく命を得・芽生える子の数がおっつかなくなった。

やがて支えきれない高齢者の年金負担が重すぎるから、子どもたちは全員バカバカしいって、掛け金を払わなくなるのだろう。
こどものいない学校なんていらないから、教師たちはお払い箱となり、先生もやっとハローワークという所を経験するだろう。
「俺たちの税金で何好き勝手やってんだっ」て、月30万取る名誉顧問は言うに及ばず、60万も70万もてめえの懐に入れてほくそえむ地方議員の先生たちに人々はそっぽをむくではおさまらなくて、石を投げ始めるだろう。一方で、年収2500万だぁ~って浮かれる何とかタイゾーをマネて国会議員に就職希望が殺到するだろう。

世界最古の木造建築:法隆寺の柱は1300年もった檜(ヒノキ)でできている。
北の柱には北に生えていた柱を、南の柱には南のそれを使っている。
一方から風が強く吹くところに立つ木は、枝を持っていかれないように反対側に踏ん張るのだそうだ。そういう自然の風雪に耐えて木には1本1本癖ができる。その癖を見抜き、適材適所に、材を使いこなした飛鳥時代の日本人がこしらえた1300年前の建築物が今日まで健在であることに、あらためて目を見張る。
姉歯とが木村とかのマンションとは大違いだ。

だが、その千年を越す檜はもう日本にはない。木曾にあるのでやっと450年。それでは450年しかもたないのだと。
檜というのは福島県が北限の木で、日本周辺の限られた場所にしかない木だという。
それはまるで優秀だった日本人という職人かたぎの美意識と機能そのものが、滅びゆく象徴のようだ。
日本はまちがいなく滅びるだろう、このままでは。
木曾檜とともに、もってあと450年。
なのかも知れない。

12月の大雪

Dec.26,2005

今から25年前のクリスマスイブに東北地方を大雪が襲った。その影響で福島県の郡山市や福島市、そして宮城県にかけ大規模な停電が起こり、真っ暗なクリスマスイブをすごした人たちがいた。そのうちの一人がカミさんである。

まだ二人が結婚をする前の年のこと。大学を出て、彼女は福島の梁川にもどり、小学校の臨時教員になった。ボクは鉄道員として米沢駅に赴任し、山形市とは比べようもない雪がのっしのっしと降り積もる米沢の、毎日の雪かきに辟易していた。

米沢駅はこのころ、小さいながら操車場があった。貨車の入れ替えや客車の切り離しや増結作業をする部署があリ、ボクはその一番下っ端に配属された。そこは言ってみれば駅の中の一番の3K「土方の飯場」みたいなところだった。一昼夜交代の勤務。夜中12時過ぎの夜行列車の作業を終え、しばし仮眠につく。3時半ごろ起こされ、ストーブの上に大きなアルマイトの鍋をかけ、そーめんやうどんの乾麺を煮るのもポッポ屋の三下の仕事だった。6~7人分をいっきに煮る。「乾麺が半透明になったらそろそろだがらなっ」て、自分よりも歳若い「先輩」にいつもどおり不親切におそわって過ごしていた。日中の貨車の入れ換え作業をするにも、始まりの打ち合わせで教えられる指示は1回っきり。それも専門の符牒言葉であるから、毎日、聞きもらさず、記憶するのが必死だった。間違えれば無人の貨車に、闇夜に轢かれてしまう、そんな危険と隣り合わせだった。「××っ!!な~に聞いてんだっ、このバッカヤローッ!!」なんて罵声がはたちそこそこの高卒のコバクサそうなあんちゃん「先輩」からあびせられるのもしばしばだった。そこを耐えながら、空いた時間、新書を読みまくって平均2冊読破していた23~4歳のころ。

あれから25年。ことしもそんなクリスマス寒波が日本列島を包み込んでいる。
新潟の津南町ではすでに2mを」越す積雪だとか。昨年の中越大地震、追い討ちをかけた大雪。そして今年も、またしてものこの大雪である。「なんで俺たちだけが・・」と地区の人々は嘆いていないだろうか。

「新潟市など下越を中心に、最大で約65万戸に及んだ大規模停電は12月23日午後3時すぎ、全戸で復旧した。22日午前8時すぎの発生から31時間ぶり。東北電力は23日会見し、短時間に10本の送電線で暴風雪により絶縁不良やショート(短絡)が起きたため停電が大規模、長時間となった、と説明した。」(新潟日報)

ヘンなニッポンジンと不思議なBook

Dec.25,2005

本当のクリスチャンは日本人の1~2割だろうか。
その多くのクリスチャンでもない日本人が何故か、
教会でウエディングドレスで結婚式を挙げるのが好きで、
聖バレンタインなどという聖人はバレンタイン監督以外まったく知らないのにバレンタインデーにせっせとチョコレートを買い込み、好きでもない人にまで義理チョコをあげ、
ジーザスクライストを信じてもいないのにシャンパン買ってケーキを食べて「メリークリスマスっ!!!」て気勢を上げる。
見てくれの雰囲気だけが好きなんです、
金儲けの商業ベースに乗りやすいカモなんです、なんでもいいから騒ぐの大好きなお祭人間なんです、ボクたちワタシたち!

学校に行っても、真理は教えてくれないので、行きたくない人は行かないでいいと思う。
日本の神様のことや動物や自然とのかかわりや人々の暮らしや考え方は『マンガ日本昔ばなし』を見ればいい。
人間の歴史やその馬鹿ぶりやこれから世の中に起きることは『聖書』に書いてあるから、教科書ではなく、まずこれを読めばいい。

『聖書』はもともと欧米人のものではない。
小アジアとアフリカが発祥である。
また、この世の創生から始まり、人間の誕生から堕落、救世主の殺害、使徒たちの伝道の苦難と教訓、人々が浮かれ踊るうち始まる地震や戦乱、やがて滅びが来る世紀末まで、これほどこの地球と人の歴史とこれから起こる将来の予言まで言及した書物はほかにはない。ほかの宗教を考えてみても、仏教もイスラム教もヒンドゥー教もゾロアスター教も儒教も、その読本に教義や戒律や事細かなしきたりは書いてあるが、歴史的ストーリーやドラマはない。まして予言などない。
そういう意味でも他宗教とは明らかに違うまことに不思議な本である。

ボヤくぞっ百姓はっ!!

Dec.24,2005

②大人が悪い
ビートタケシが悪い。
「赤信号みんなで渡れば恐くない」って何故はやらせたっ!?
おまえのせいで、いい歳した大人まで情けないことに、こどもたちが見ているときでさえ、堂々と信号無視して渡っていくようになってしまった、この日本では。堂々と自転車の右側通行はするは。無灯火は当たり前っていう風潮だは・・・そうして中学生が、高校生が、あったり前みたいに大人をマネる。そうしないほうがヘン、ぐらいな感じで。なんでも笑いを取れればいいのが~タケシ?「本当は恐い家庭の医・・」ではなくて、画面で演じるあんたたち芸能人ひとりひとりの言葉や仕草がどんなに子どもたちをダメにしてしまっているか、ってもっともっと、ヨ~ッグかんがえらっしゃいっ!

「世界のSONY」と任天堂とセガが悪い。
痛くも無い画面上で殴りあったり、殺したり、リセットして復活させたり、擬似ペット飼育で飢え死にさせたり、枯らしたり・・・何故こんなものをこどもたちに蔓延させ、金儲け金儲けって、次々よからぬソフトを開発して、中毒者に行列まで作らせて売っているっ!?警察は、覚せい剤は取り締まるが、ゲームソフトは取り締まらないのか?今時の警察も警察だ!国の税収アップ、個人の成績アップのためなら車の違反はバンバン切符切るのに、高校生の自転車マナーのわるさは見て見ぬふりか?今時のコウコーシェーはこわいがらが?自分たちも裏金なんか作ったり、同僚が犯罪犯したり、してデッカイ面してらんないし、ってが?子どもたちに示しがつかないべ~?大企業も、警察も。

シノスケおまえまで荷担してコマーシャルやってるんだが?家庭教師会社が悪い。
なんでそんなに塾がある?なんでそんなに家庭教師がいる?学校のベンキョウで充分でないのなら家で、自分で勉強スロっ!!「東北大学合格率No,1!」だっ~?もう、大学に行ってもしょうがない、8割がたが契約社員、派遣社員、フリーター時代に日本はなってしまっているのに、まだ大学進学をあおってんのか?高学歴高所得なんて時代はもうとっくに過ぎ去り、1億低所得社会に成っているのに。2割の人だけです、金持ちって言われるのは。そのヘンのぼんくらも、蛙の子も、その2割にならせるつもりですか親は?もう高学歴や年功序列なんてなくなったんだから、大学受験なんて制度自体もうやめにしませんか?少子化少子化、大学統廃合・独自色を出す生き残り・・本当に専門教育が必要なのは社会をある程度知り、自分が本当に興味のある分野が見えてくる27~8のころなのだから、それから大学に入ればいいんだ。大学も老若男女問わず無受験で人を入れればいいじゃないか、なんで入る前の関所ばかり昔と変わらぬ高さに維持してんの?塾と家庭教師協会と結託してんだが~?

動物奇想てんがいだがペットブームだが、TV製作者が悪い。
なんで日本にいない犬だったり、レッサーパンダだったり、オオクワガタだったりをさもかわいげに映し出して見せるの?それを見て子どもが親にねだり外国産の動物を飼い、オオクワガタを飼い、そして誰かは野に放つのだ。日本の生態系を壊す本当の原因を作っているのは番組製作者だって自覚はあるのか?視聴者に受ければ何でも作って見せるのか?それが商売だからか?おまえたちが子どもを故意にも知らず知らずにも変にしていることにもっと気づけよっ!!

日本人は資本主義を取り入れてから悪くなった、と最後の宮大工棟梁(故)西岡常一さんが喝破している。いまの見てくれの格好のいい洋風民家は25年しか持たないが在来工法なら200年持つ。法隆寺の解体をした時、1300年前の柱はその時まですっとまっすぐに立っていた。1300年前の飛鳥の工人がいかに木の癖をわかり、そして賢かったかがわかる、と。1300年後の表面の見てクレだけと、金儲けにしか興味の無い同じ日本人はホントーに、おかしくなってしまった。TVと新聞雑誌の見出しとはやりに、ただ流され、乗って、その日暮らしをしているだけの低レベルに成り下がった。企業も、公務員も、一般大衆も。おんなじ飛鳥の血をひきながらこの体たらく。

自分のこと・時間のこと・神様のことを考えようよ

Dec.23,2005

大人の顔をした子どもが、まだ中学生や小学生が、訳のわからない人殺しをする。
こんな異常な日本人は、おそらく日本史上初めてのことだろう。インベーダーゲームから始まる「ゲーム世代」の日本人以降の話である。

なぜだっ!?
大人が悪いのか?・・・それは当然ある。
教育が悪いのか?・・・それも大いにあると思う。
それをひっくるめて子どもたちは「世の中が悪い」と言い、
「誰でもいいから刺したくなった」と言う。

①教育が悪いのか?
政教分離は戦後、アメリカ主導の憲法改正時に、日本国が定めた。
その日本国の首相みずから、いまの小泉純一郎まで、歴代、靖国を、公人・私人・個人・身分なんてなんでもいいからって、詣でる。参拝する。2礼2拍手1礼する。英霊たちに祈る。モーニング姿で。神妙なおももちで。鈴を鳴らし、賽銭をあげる。

一方、学校では、子どもたちに、教師が「政教分離」のたてまえの上であぐらをかいて、いっさい宗教的なことを教えない。
神様・仏さま・森羅万象のやおよろずの神々さまのことを授業で取り上げることは無い。してもいけない。
個人的にも口にしない。
でも本当はなにか勘違いしている。宗教をもたない、語らない、偏らないことを、理知的な人種のスタンスだとでも言いたげに。無宗教こそ正常であるのだを信条としていますと言わんばかりに。
ワタシから言わせれば、戦後教育を受けた今現役の教師たち自身が、信仰についてあまりにも考えたことがなさすぎるのだ。タブー視しすぎて何も子どもたちに教えていないのだ、人生の意味や真理を。そして、次代を担う子どもたちを指南するには、大人として教師として、高学歴の名門を出ているはずなのに、人生たるものを語れる求道者足りえず、子どもたちにろくな精神的影響を与える身近な大人、になっていないのだ。

なぜ自分はこの世に今いるのか、何故人として生まれてきたのか、なぜこの地球なのか、なぜ日本なのか・・・人生や自身の存在が不思議に思えれば、人はおのずと求道者の入口に立っているはず(大人も子どもも)。
宇宙の今も膨張しつづけるという膨大莫大なエナジー、地球と月との衝突さえも計算し尽くし、生々滅死するサイクルをつくりだすことで「永遠」を確保した時間というシステムをこの世に据えた・・・人智なぞでは余りに計り知れない太陽系ひとつとってみても、この世を作った創造主や意思が「はじめにありき」でなければ、地球の奇跡的誕生とその上に置かれた人の奇跡的な存在自体、理論的に言い得ない、と思いあたる。
人間同士むきあい、自己中心的自我の強さや利己の強さ・みにくさ・あさましさを、自身、省みることができれば、人は謙虚さを得る。
いくら稼いでも、蔵を築いても、金はあの世には持っていけないと悟れば、人は無欲になる。
あの野原の花たちでさえ、そして大空に群舞する雀たちでさえ、働きもせず生かせれ、繁栄しているではないか、何故だ、と気づけば人はおのずとこうべを垂れるのではないのか。
一瞬一秒今生かされている自身の存在の奇跡に気づいたとき、人は見えない力を想い、畏敬するのだと思う。
それが自然な信仰の原初である、と何故、教師は教えない。

真理を探究するのが学問の究極だとすれば、おのずとそれはこの世の存在と不思議の思いに到達するはずだが。
「稼ぐ」とはなんたることかもわからずに税金からちゃんちゃんと月給を支給され、
日々子どもたちを事務的なほどに「処理」している今の学校の先生たち。
何を言っても無駄で、むなしい気もするが、
「もっと真理を追求し、一番知りたがっている子どもたちの心に示唆をあたえられる求道者に、なってくれよぉっ~!」って叫びたい。

須川橋

Dec.22,2005

「ゆとり都やまがた」というhttpを山形県はこさえている。
きのう、そのhttpに投書した。

山形市の西公園前に須川橋という橋がある。車道より十センチ高い、人ひとりがやっと歩ける歩道が左右についている。昔は山形中心部と西の田舎を結ぶりっぱな橋だったのかも知れない。しかし現代車社会になってからは、極めて古くて狭い橋になってしまった。それが、先日の大雪で歩道が除雪車の残した雪で一段と高く覆われたから、歩行者はたまんない。なにがって、足元はふらつくは、欄干は大人の腰より低くなってしまうは、テニススキー野球スポーツ万能のこのOyazでさえ、いつ15m下の赤く冷たく濁る須川に転落するかって、気がきではなかった。西公園が今年できて屋外屋内のテニスコート20面、バーベQエリアやら足湯やらもこさえたものだから、オープン当初からわんさか人が来るスポットのひとつにまでなった。中学生もクラブの練習でやってくる。近隣の住民も犬を散歩させにやってくる。そんな利用者が増す中で、須川橋からあやまって転落する人が出ては遅すぎる、と思い、若くて何かやってくれそうな新知事の斎藤弘クンにメールをした次第なのである。

それをしたのは昨日の朝だ。サラミ工場の「単純労働作業マシーン9時間拘束」から開放され、みながマイカーで帰宅する中、独りOyazはミツウマの長靴をはいた雪上の人となった。工場から自宅まで、歩いて35分くらいの道のりである。
そうして件の須川橋にさしかかる。

「たまげた!」
朝方はまだこんもり雪のあったあの歩道が、
あきらかに除雪されてあったのだ。
「Oh~っ!!やるじゃないかっ、斎藤弘っ」
て、にんまりと顔が緩み、思わず叫んでいた。

今の身の上である山形県実践農業研修生になる際も、ワタシは県に投書している。
2月に手続きをしたのに、5月になっても何の音沙汰もないなんておかしすぎっべなぁって。
そして今回が2回目の投書。
今回は斎藤弘のスピーディな対応に拍手喝采である。
おかしい、危ない、変じゃあないか、と思ったら、市民は県民は国民は声をあげる、アクションをおこさなければ何も変わらないってことをあらためて思った。そして新知事になって、確かに山形県の行政は変化してきたみたいだなあって、身近なこんな出来事のなかで感じたのである。


ナショナリズム

Dec.21,2005

昭和39年10月10日東京オリンピックが日本で開催された。その十日前に「夢の新幹線」ひかり号は東海道新幹線として初お目見えしている。
以来、超特急ひかりの如く、あるいは「奇跡のニッポン経済」と世界が驚嘆する、右肩上がりの急成長を、バブル崩壊まで、日本はとげることになる。
おなじくおとなりの韓国。1988年(昭和63年)開催のソウルオリンピック以来、経済の急成長と民主化が勢いづき、オリンピック同様日本より20年遅れていた感のあったその国が、今や日本を技術分野で、世界貿易で、ITで、GNPで、追い抜こうとしている。
そうして「眠れる獅子」巨大な才たける中国。2008年の北京オリンピックを前に、鄧小平いらい推し進められてきた市場経済開放により、人民服一色だった赤の時代をかなぐり捨てて、13億人が立ち上がってきた、世界に胎動してきた、巨神兵のごとくに。

香港で行われていたサミット会場前で、韓国人デモ隊が警官隊と衝突したニュースを読み、驚いた。よその国でである。それも世界のグローバル化に反対してである。韓国人も感じているんだなぁと思った。グローバル化なんて決してよろしいことではないのだと。昔、フランスでもあった。農民がトラクターで道路を封鎖した。パリ郊外にパリディズニーランドを建設しようとしたが、それに反対する地区の農民たちがトラクターにまたがりデモをしたのだ。(仏人のこういう頑固さは好きである。)

ボクもつねづね考えている。日本は(そもそもがとどのつまりはアメリカのゴリ押しからこの国の近代化は始まっているのだが)ペルーの黒船来航以来グローバル化にどっぷりと漬かってきたし、技術産業立国として、資源の無い国が世界に伍するまでに成長を遂げてきたわけではあるが。
が、しかし、である。本当に、鎖国時代と今日のグロバリゼーションの中で産業が空洞化していく日本と、どっちがしあわせなのだっ、て。立ち止まって考えてしまうのである。幕末の坂本竜馬も勝海舟も西郷隆盛も時代を駆け抜けたその躍動に感動はしたが、しかし今は、やっぱり江戸時代のまんま鎖国してたほうが日本は幸せだったんじゃぁなかったのかって。そのほうが現代日本の、金髪ニーチャン顔ぐろねーちゃんたちを見ずにすんだだろうと。いまやみどりの黒髪の乙女も和服も姿を消し、日本情緒あふるるしきたりや楚々とした振る舞いも歳時記も、男子の本懐も・気概も・根性も、「朝日ににおふ山ザクラバナ」とともに消滅しようとしている。「日本と呼べないニッポン」になってきている、今の姿は。

自動車社会と大型ショッピングセンターが、昔銀座をシャッター街と呼ばせ、規模のちがいこそあれ、完全なアメリカ型自動車優先・郊外巨大モール型社会を実現してしまっている。この日本という国の国民の考え方と嗜好、そして文化って一体なんなんだって疑問に思う。今日の姿が進歩や進化だとはワタシには全然思えない。これはただのアメリカの猿マネだ。どのもかしこもアメリカの言いなりだ、追随だ、小姓だ、太鼓もちだ、おべっか使いのコンコンチキだ!

韓国も同様だろう。20年前の韓の国は、まだまだ貧しかったかも知れないが、もっと素朴で慇懃で礼儀正しく、行いも立ち居振舞いも凛として立派だった。儒教の良さを思わせる民族固有の雰囲気を持っていた。だが今はそうじゃない。日本人と変わらぬ髪形をして、スーツを着て、ビジネス万能、お金万能主義だ。若者は髪を染めラップする。女子高生がもう日本人さえはかないルーズソックスをはき、なま足をむきだし、平気で腰掛の背もたれに、土足で腰掛ける。どこにすっとんだんだ儒教。なんというテイタラクだ。

中国も遅かれ早かれ、だろう。
民主化とはアメリカのものまねをするってことじゃあないはずなのに、なんかみんな、勘違いしてるみたい。
「どこもかしこもアメリカアメリカ、か?」
「郷に行っては郷に従え、か?」
「長いものには巻かれろ、か?」
「マフィアやヤクザのサンピンも、ボスや親分の真似をしたがるって、か?」

どんなに自動車や機械ができがよくても、アシモ君が二足走りを始めても、人間のつくりほど精巧なものはできないだろうし、ましてや蟻やノミを人間は作れないだろう。勿論、人間を含めた動植物万物が生々滅死して循環する、微生物から始まる自然の循環システムなど作りようがない。むしろ逆行して「進んで」きたんですから。この自然を、コンクリートで固め、アスファルトで覆い、川には垂れ流し、空にはばい煙を放出し、家庭では自動車をアイドリングし、暑いと言ってはエアコンを回し外気をあっため、寒いといって石油を燃やし、工場では重油を燃やし、世界中でガソリンを燃焼し、チカカクジッケンだと核爆弾を地球のマントルに向け発射し、その一方で化石燃料があと何十年で無くなりますって憂える世界会議を催す。・・・進歩ですか、これが人類の。

化けの皮を、あのNHKが剥いだ時

Dec.20,2005

今の米大統領ブッシュが選挙でかろうじて勝利した時から時代は変わっていたと今は振り返ることができる。前大統領クリントンの後継者ゴアとガップリ四つに組み、前半はゴアが優勢に見えたが最後までわからず、カリフォルニア州の開票が待たれたがパンチ式投票用紙に右往左往させられ、すぐに結果が出ない「異常事態」だった。この異常がその後の9.11も含めたアメリカブッシュ政権の異常時代を象徴していたのかも知れない。票のかぞえなおしの結果、ようやくブッシュの辛勝が判明したのだった。なぜ、こんなに僅差だったのかを思えば、もう米国民はブッシュでもゴアでもどっちでもよかったのではなかったか。圧倒的勝利で国民に支持された大統領ではなかった。米国民の半数が反対した大統領が今のブッシュなのである。そういう意味では小泉自民党も同様である。先の参議院選で圧勝したかに見える自民党だったが、票数のつまりは、反対票の野党合計得票が与党合計得票を上回っていた、というを朝日新聞の天声人語がふれていたとおりである。日本もアメリカも今の政権に半数の人々が「ダメ」を出していることを忘れないでほしいものだが、ブッシュはそんなことまったくおかまいなく、ますます堂々と演じ、ずるく、狡猾で、ペテン師保安官になった。ウソまででっちあげて、あろうことか人の国に軍靴で土足で踏み込み、学校では「人殺しは絶対やってはいけません」って教わったはずの人としてのギリギリの戒律を間単に無視して戦争を始めたのだ。「なぜ世界各国がアメリカを止められないっ!!!」か不思議でならない。民主主義を世界にひろめた宣教師のはずが、いつの間にか、自分だけ核兵器をもって世界最高の最新鋭の軍事力でおどしをかけながら、利己主義とディベートで鍛え上げた堂々たる詭弁で世界の各地でアメリカに都合のいい取引をゴリ押しし、鉄面皮づらして日本を含めた世界の軍事基地で「おまえたちを守ってやっている恩人だ」とでも言いたげに、無償基地でのさばり、レイプし、占拠しつづける「世界の保安官だと?」アメリカ。もう世界の大衆はわかっているぞ、おまえたちの化けの皮は。

2005年12月18日NHKテレビ「なぜアメリカは戦うのか;軍産複合体の巨大化・翻ろうされる国民」というドキュメンタリーを放映し、ブッシュとラムズフェルトとペンタゴンによるイラク戦争のウソッパチといまも続けられている報道操作・自己正当化する報道コントロールの実態をあばいて見せた。あのNHKが。受信料を払う気はもうまったく無いワタシだが、この番組を作って放映したNHKに今回ばかりは敬意を表し、賛辞を惜しまない。米大統領、ラムズフェルト、軍、「悪の枢軸」や「大量破壊兵器を持っている」などの嘘っぱちをでっち上げる取り巻きの民間シンクタンク。それら真実を番組の中で赤裸々に語ったのはその渦中にいた元アメリカ軍少佐の女性であった。彼女の勇気と正義感に強く感銘を覚える。アメリカ人はみんなが悪い訳じゃない。中国だって韓国だって、しかりである。時の権力者、為政者が時と場合に狼やキツネや狸になって吠えるのだ。それをリモコンスイッチひとつで目の前で見るからさも真実であるかのように大衆は洗脳されていくのだ。気をつけよう。そしていつも真実を見抜く、明鏡止水の心をもとう。

平凡

Dec.19.2005

「ひとは一体なにが大事なのかねぇ~?」
「やっぱり、お金でしょっ!!」
「ほぉ~?・・・
んじゃあ~、お金があれば一体なにに使うんかねぇ?」
「まず豪邸建てて、成金らしく黒のクラウン買って、世界中のおいしいもん食って、世界旅行して、各国に別荘も買って、白いクルーザー買ってこ~んなでっかいカジキマグロをPapaヘミングウェイみたいに釣りあげてビールをプッハーッて飲んで、世界の名だたるダイビングスポットにもぐって、スカイダイブも制覇し、朝日町の凡字川から日本人クレージー馬鹿ばんじーでジャンプして、ホリエモンの宇宙旅行に1番乗りで参加しィ~、よわい楽天イーグルスを買収して・マツイヒデキを70億円で日本に買い戻す・・・ってが・・なんて・・んまぁ~・・・そんなもんかい・・せいぜい・・な」
「そんなもん?」
「・・・あぁ、ハイー・・・。ケッコーないもんだね、金があっても・・したいことって」

ひとはあと1年しか生きられないって宣言されたら、なにをするもんかね?
もう365日しかこの世に居ることが許されないとシタラ?
おいしいホッカホッカの胚芽めしがあと残り995回しか食べられない?
きつい仕事もあと365日しかしなくてもいいし、
嫌いな客や上司にもう会うこともないし、
高い税金も住宅ローンももう納めなくていい。
学生なら勉強はもうしなくていいし、嫌いなセンコーともお別れ、イジッメッコともさよならだ、
病をかかえるひとなら、もう病院生活ともお別れ、注射もX線照射も看護婦からのシモの世話も無くなる。
もうすぐ肉体を離れホントーの宇宙旅行だ。
よかったねみんな、この世の苦しみから開放されて。

カミさんとしみじみ話しながら笑いながら怒りながら、愉快に酒をのむゆうげもなくなり、
こどもたちと海にキャンプに行って、波に乗ったり、タコ捕りに挑戦したりすることもない。カミさんとたまの日曜、町の温泉に行くことも。スーパーで鍋の材料やらあれこれと買い物することも。弁当のおかずもこさえなくていい。ゴミ出しもない。ネコも犬も鳥もミミズも花も野菜もダイコンももう必要ない。神様ほとけさまさえもういらない。朝刊もニュースも・・・せいぜいシチハチュジュウネンの平凡な人生。でもそれが、普段の日常の平凡な日々を送れることが、一番のしあわせなのかも知れない。それにみんな気がつかないまま「もっと金もっと金」と言いつづけて死んでいく人もゴマンといるのかも知れないが。

46億年、そして地球という平原に立っている

Dec.18,2005

ビーる琥珀の満月は西の空、
角度目線15度で、鈍く輝く、
夜明け前。

われがゆく、地上は雪。
この星にブツカリ、
そこまで去った物語を月にきく。

46億年前の暗黒に生まれ、
46億年後のこんにち、星の平原にワタシは立って、
宙に浮かぶ月を見ている、不可思議。

夜が明ける。
灼熱の太陽は刻々とこの星を暑くも暗くもない、ちょうどいい明るさに照らしだす、
その計算は誰がシタ?

46億年もかかって誰かに用意された星で
ひとは金儲けに偽装したり、殺したり、騙したり、垂れ流したり。
たかだかシチハチジュウネンのTIME LIMITEDの中で。

陽は昇り、雪原に光、
海には幸を、土には力を、
そして人には愛が与えれているはずなのに。





Waltzing Matilda

Dec.17,2005

「オーストラリアの第二の国歌」と言われ豪国民に親しみ歌われてきた曲がこのWaltzingMatildaです。翻訳の歌詞をご紹介します。

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昔々、男がひとり
いつも陽気な風来坊
池のほとりでキャンプのしたく
ウォルシング・マチルダ歌いながら
ウォルシング・マチルダ ウォルシング・マチルダ
こいつが俺の相棒さ

そこへのこのこ羊が一匹
こいつぁしめたと風来坊
ふんづかまえて袋に押し込む
ウォルシング・マチルダ歌いながら

あれに見えるは地主じゃないか
警官も一緒だ 一人二人三人!
その袋の中の立派な羊
いったいどこで手に入れた!

言うが早いかつかまるもんか
ザンブと飛び込む池の中

それから奴を見たものはない
誰も知らない風来坊

ウォルシング・マチルダ ウォルシング・マチルダ
こいつがおれの相棒さ
だからここでは今も聞こえる
ウォルシング・マチルダのあの歌が
----------------------------------------------------------------------

あれから21年。ワタシが最初に行った国がこのオーストラリアで、君が代以外で歌えるよその国歌が唯一この『ウォルシング・マチルダ』なんです。27歳の若者は、日本の22倍の国土に人口は2000万人しかなく人間の数より羊の数のほうが多いというその大陸に渡り、ホームステイとキャンプをして過ごしました、14日間。その時の恩人Billおじちゃん一家とは今でもChristmasカードのやり取りをしております。家族でも10回くらいホームステイかたがたブリスベンに住むBill家に遊びに行きました。

グリーティングカードを書くそんなシーズンがまたやってきたんですね。今やPCメールで、豪と日本の時空を越えた、一瞬にしてコミュニケーションのできる時代とはなりましが、だからこそますます、クリスマスカードや年賀状はその人のぬくもりこもる心の贈り物として、手書きの郵便が何よりだなぁと感じています。

そんなボクにとっては若い頃から歌い、慣れ親しんだ曲が『ウォルシング・マチルダ』であり、ポパイとアーノルドパーマーを足して2で割ったような陽気で愉快で飾らずたくましいBillおじちゃんのような豪人がいかにも自然で大好きで、NPO法人MatildaClubに入ったのもそんなご縁があったからなんです。ホームステイでワタシがはじめてお世話になった外国人、それは飾らず構えず質素な日常のままに受け入れてもらい、そのことが何よりうれしかったし、気取らず肩のこらない自然体がいいもんだなぁって感じた最初の国際交流だったのです。だからウチで外人を受け入れる時もそうしてあげます。普段の生活、普段の食事、普段の会話そのままに受け入れ、ただ一緒に日本ライフをしてもらうだけなんです。特別な観光地にも無理をしてならいきません。

Matildaは現在パースにすむダウン症というちょっとしたハンディをもって生まれた女の子。産まれは山形県の西川町。おとーさんのジャスティンもおかーさんのイナも、やっぱり飾らず気取らぬいいオージー。おとーさんのジャスティンはもと日本の英語教師であり、Matildaの誕生を機にふるさとパースに帰ったのですが、日本とパースを結ぶインターネットを使い、直接ジャスティンから英語をおそわる生きた英会話カフェみたいなのを開設できないものかと、もっか仲間が山形大学のスケットまで動員しながら奮闘中です。興味のある方はよろしかったら『Matilda Club』のサイトへも遊びに行ってみてください。

ちーむサラミ

Dec.16,2005

サラミ工場に日雇いに出て、13日が経過。
すっかり全身真っ白人間もどき工員姿も板につき、雪降りナニスルモノゾって感じで毎日自転車をこぎながら、土方弁当ホットジャーをぶらさげて通勤しています。
といってもその実、工場に売った両腕はこん棒のように筋肉パンパン状に無残に腫れ、左の親指にいたっては軽い脱臼ぎみにカクンカクンと音を立て、伸ばせなくなってはおりますが。

そんな両の手だけ創痍の中、いろんなことを感じています。

まずその1は
*食品製造工場では一人では仕事ができない。チームが一つの作業をこなす。8人なり9人なりで一本のラインが形成されており、各人がその中でそれぞれの役割を担っている。これを、名づけて「ちーむサラミ」とOyazは呼ぶ(まるでHONDAやTOYOTAのサーキットチーム名みたいっ~、って!?)

その2
*仕事にも自動車のエンジン同様、生産効率が一番上がる「適正速度」ってのがある。たとえば、サラミの袋にサラミを入れる人、それを封する人、それをならす人がベルトコンベアーに横並びに居るとする。温熱圧でサラミの入ったビニール袋をシールドする人が真ん中にいて、その人がいくら技量がすぐれて手早いからと言っても「猛スピード」で一人とびぬけたスピードで仕事を始めたとする。すると次にそれをならす人の目の前に次々とこなしきれないサラミ袋が山と築かれることとなり、ラインはストップするはめになる。これは一人の人がテメー勝手に、いくら腕があるからって、まわりの速度を無視して、飛ばし過ぎた、もっとも悪い例である。結局、ライン前後のリズミカルな適正速度をみなが感じ守りつつ合わせつつ、途中でつかえたり、渋滞しない作業の進め方が一等能率がいいのだということを知った。
ライオンキングのミュージカル集団劇団四季を率いる代表の浅利慶太曰く
「ミュージカルには一人のスターなんていらない。その役をこなせる人間がふたり3人と、同レベルでいればいい。ミュージカルとは一人のスター役者が見せるものではなく、ストーリーの、脚本のもつオモシロさが観客を魅了するのである」
なんにでも通ずる、けだし、名言である。

その3
*しかり方のヘタなヒステリーおばさんを上司にもつと、仕事の効率も、部下のやる気もなえてしまうということ。
どこにでも居ますよね?コーユー無能な上司って?
かえって部下の痛い箇所をさわったり、感情をさかなでるような一言を無神経に吐いて、「ナンダ~コノヤロー!!」って思う馬鹿上司って!?
「工夫してんだから、こっちはこっちで!むしろ、その努力を鋭く見抜き、ひとことでいい、ホメロよぉっ!ベテランなら」って感じですごんでしまいたくなりますね、こういう上司の受け持ちに当たったりするとまったくやなっちゃう。
(最後はただの愚痴でおわったりして・・・オソマツっ!)

サラリーマンから農業経営者へ半歩踏み出して

Dec.15,2005

2005年5月よりブドウ畑と野菜畑にとりついて丸7ヶ月が過ぎた。
その間すこしづつ、いろんなことがわかってきた。

まず第一
*これだけ日本に耕作放棄地があちこちにあるというのに、私有地であるその放棄している農地をいざ他人に貸すとなるとなかなか貸してくれる百姓はいない、という誠にケチなしみったれ根性がまーだまーだあるんだという現実。

そして第二
*たとえ運良く農地が借りられたとしても、今時誰も鋤鍬だけで耕作する人などおらず、必ず農機具を購入しなければならない。そういう機械万能礼賛農業になってしまっている。それも半端じゃない値段がするのである農業用機械って。トラクター400万円、コンバイン700万円・・・この時点で、脱サラ新規就農者は、よっぽどの金持ちでないと脱落せざるを得ない、のである。

そして第三
*とにかく儲からない。農業機械、肥料代、農薬代、噴霧器から一輪車、ビニールハウスなどの設備費・資材費、光熱費、種苗代、人件費、地代、水管理費などかかる経費を計算すると、野菜や米をまともに作って売っても、手元には年間50万も残らないだろう。へたするが赤字に陥る。農業なんてすべきではない、新聞配達でも日雇い人夫でもしながら、一円でも安い激安スーパーで中国野菜を買って食べてたほうがよっぽどマシな生活ができる、というホントーに厳しい現実がある。もともとの農家がそんな現実でも食べていけてるのは、先祖代代の農地の一部をアパートに換え、安定した不動産収入を得、その一方で息子娘は工場へサラリーもらいに月給取りをやっているから。ここにも脱サラ新規就農者ではやっていけない超えられない壁を見る思い。

そして第四
*無農薬や有機農業では、見た目に美しい均一な作物なんてできないし、手間ひまかかりすぎて金を取るつもりならやってられないのだ、ということ。「その見てくれも悪い不揃いな作物をそうでないものの2倍も3倍もの高値で一般消費者が買うのか?答はノー。絶対に、買わないっ!断言してもいい!」という現実。健康ブーム、体にいいオーガニックなんぞと騒ぐが、ブームやムードやファションに過ぎないんでしょう、日本人のお得意な。有機農業の大家の奥様の言葉「××さん、有機農法は、農薬栽培できっちりお金がとれるようになってから始めなさいね。その後じゃないと食べていけないわよ。最初からやっちゃダメよっ!」・・・て、わかりますか?この意味

もっとベンキョウさんなねよ、消費者諸君っ!
*減農薬ならそうでないものよりも安全・安心で体にいいはず、とでも消費者は思ってしまうのだろう。山形では果樹なら年10回まで農薬散布が許されている。それから1回でも2回でも農薬散布回数を減らした商品は「減農薬」とうたっていい、って知ってますか?おいしいおいしい山形名産ラフランスなんぞは、シャワーか、にわか雨のごとくに、農薬をザブザブザップリかけている現実を知っていますか?きれいなナスをたくさん収穫するために、その葉っぱには使ってはいけない農薬をつい最近まで使っていたのを聞いたことはありませんか?
無農薬で、キャベツ、ネギ、ブドウなんて作れない現実を知っていますか?!サツマイモくらいですよ、ほったらかしでもりっぱに成るのは。
ほんとーに安心安全なものがほしいなら家庭菜園か市民農園で自分で作るほかはないです。金を稼ごうとする、労働時間を減らそうとする農家なら、無農薬栽培なんて決してしません。それが現実です。それをめざして「農業を志す」一人であったこのワタクシが言うんだから、マチガイナイ・・・農業で食っていくなんて不可能への挑戦にも思えてきた今日このごろです・・・(ガックリ)








風景:夢のつづき

Dec.14,2005

大きな通りから折れると、緩やかな上り坂になっている。
朽ちた城垣あった大きくない山があり、
そのふもとがこの上り坂の参道になっている。
両側は、密集していない杉木立が丁度いい間隔でつづく。
新しくこさえられた『神明神社』という石彫りの大きな石版が左手の山の則面に埋め込まれてある。
道も舗装されたばかりのアスファルトでおおわれ、側溝のU字溝の淵も蓋もまだ白っぽく、情緒も風情もへったくれも何もない。
そんな現代の土木工事の施された味気ない道路と神明神社のレリーフの埋まった赤土の小山の間に、土の道の小路が切れており、そこだけ場違いな昭和初期か大正時代を思わせる古い木造の平屋の民家が数軒つづいている。
きょうはその中の一軒を「110万円で買いたいので調べてほしい」という依頼を受けてやってきたのだ。
「わざわざすまないなぁ、遠い所の話で」と依頼人が言っていた。
そう、この『神明神社』は山形でも、京都でもなく、はるか遠い伊勢にあるの思い至る。

さて、これは昨晩見た夢であり、全くのフィクションなのだが、
この杉木立のある上り坂の道を、実は過去にも見ている。
しかし舞台シチュエーションが一緒なのに、全く違うストーリーの中に、この神明神社の風景は登場してきた。こういう夢をボクにはかつて経験していない。

何かあるから入ってみろ、ということかも知れない。
その近くに宝くじ売り場があったら買ってみろ、ということかも知れない(そんなんまいはなしはぁ~無い)
とにもかくにもそれなので、今度、山形の神明様にジックリとお参りに行ってみようと思った次第。


Eine kleine nachtmusik

Dec.13,2005

Wolfgang Amadeus Mozart

音楽は好きなのだが音符が外国語を読むのと同じくらいにがてである。
コンピューター言語も♪も絵も、本当は、いわゆる言語の一種くらいに考えればいい。
なぜなら、たとえば画家を自称するワタクシは絵ならすらすらと理解できるし、英語も毎日バイブルを音読しているので大概わかる。

けれど、ドイツ語やハングル、中国語、クロアチア語、スペイン語なんてチンプンカンプンでわからない。
音符にしても、覚えたての小学1年生が本をつかえつかえ読んでいくようになら少しは読めるが、音符を読みながら知らない曲をいきなり歌えと言われたら歌えない。結局、こういう輩はろくすっぽ楽器もできないまま大きくなってしまった。
しかし音楽のおもしろいなぁって感じていることは、音符の読めないと言われていた美空ひばり同様、Oyazも音符なんて全然読めなくても楽しく歌がうたえるし、独自の作曲さえできる点にある。Oyazなんぞは祭囃子に血が騒ぐ血統なもんだから、太鼓をたたくのなんてぇでぇ~好きだし、下手でもない。

昭和40年代は日本を東京オリンピックとビートルズが席捲した。その後にグループサウンズがキラボシのごとくに台頭し、一方でフォークの世界が岡林信康、高石ともや、高田渡、吉田拓郎、井上陽水などの御大たちによって切り開かれて、ロック・フュージョン・ジャズ・ニューミュージック、そして日本音楽界を更に変えた桑田圭祐の洗礼を経て、今日の日本ポップスは至っている。

もちろん世界の小澤に象徴されるクラシックはもっともっと前から日本には入ってきて居たはずだし、クラッシックファンなる層から愛好されつづけてきたのだろう。がしかし、Oyazのような、そば屋のサブちゃんや大工の熊さん連には高値の花だった。ももしき履いた長屋の連中には聴き慣れない調べにケツがムズムズする座りの悪さを覚えていた。マリーアントワネットの出てきそうな伯爵公爵・夫人好みの雰囲気がかったるくって、癒されるどころかかえって落ち着かないような感があった。若かりしOyazには。

でもいつかクラッシックを本格的に聴きたい。そう思って逆に気ぜわしいロックもフュージョンも修行と思って聴いてもきた。世界に何台もないオーディオにも手を出した。
それもこれも、熊さん八っつぁんも、いつかはクラッシックを落ち着いて聴ける人間になりたいと大志を抱いていたからである。

営業マン時代はNHKラジオの黒田キョウイチさんのDJで毎週クラッシックを気軽に聴いていた。それでその道もだいぶ明るくなっていた。

先日、ゆうげの席で、カミさんがめずらしく「タラタラタ~タラタラタ~・・・♪」って曲なんて言うんだっけ?って訊いてきた。
ほろ酔い気分で、すっかり記憶力の低下した二人に思い出す気力も知力もその時はなかったのだ。「マハトマ・・ナンタラジーク・・・」

それで今日ちゃ~んと調べてみたわけなのである。勉強、ベンキョウ。

決して死なずに生きてみる

Dec.12,2005

ワタシには、今でもそうなのだが、小さい頃から、強烈な「自我意識」がある。

「ワタシは誰?」「何故この時代の、この場所に居るの?」「どうして、この人の子どもなの?どうしてこんな家に生まれなきゃならなかったの?」「どうしてこんな顔つきで体なの?」「なんでこんな名前なの?どうして西郷とか輝彦とか、もっとカッコイイ名前じゃなかったの?」「どうしてボクのことを人はわかってくれないの?」「呼んでも答えない、見ようとしても見えない、この世に神様はいないの?」「人は死んだらどこへ行くの?」「オレはいつ死ぬの?」・・・

小さいころから、ぼんやりとした時間は、いっつもそんな問いばかりを繰り返していた。
だから、野球をしていても、肉弾鬼をしていても、パッタをしても、横笛が吹けるようになっても、25mをクロールで泳げるようになっても、蹴上がりしても、バク宙をきれるようになっても、どこかで、いつも冷めている自分が意識された。

一般的に言う、自意識過剰、自己中心的、すごく内向的な、人見知りの激しい少年だった、ということだったろう、表面上は。
しかし、ボクの中ではそうではなかった。
そうではなく、人間存在の根源的な意味を手探りし、それを明確に知りたい、実感したいと思い、しかし答えも体感も得られず、孤独の殻の中で、哲学的・宗教的テーゼを彷徨い、行き悩み、煮えたぎった若くも、しかし真っ暗な闇の中で呻吟する精神の塊そのものだった。

19歳までは「自殺」ばかりを考えていた。
自分が何のためにこの世に生まれてきたのかもわからないのに、ただ勉強だ、受験だ、クラブだ、と現世的な実務に追い立てられ、根本的な存在意義に答えをくれる人はいなかった。ただ生きていることは苦しいだけのことだった。こんなオレは生きていてもしようがないし、価値もないんだ、喜んでくれる人がいるわけでもなし、はやく死のう、さっさとこんな人間やめよう・・・そう考えるようになっていた。

物心ついた4歳あたりから19歳までのOyazの自意識とは、表現方法こそ幼稚かそうでないか、理論的かそうでないかにかかわらず、一貫して同じだったのである。19歳で小林秀雄という人の対談集を読んだ。あぁこんな偉い難しげな作家でさえいまだにわからないんだ。生の意味や神や仏を明確にできないでいるんだ。とにかくこの世に一度だけ与えられた命なんだから、そしていつかは皆死ぬんだから、自殺なんかして死に急がないで、一生とやらを経験してみろ。経験をつめば文学や芸術がもっとおもしろく受け止められ、感動できるようになるから、最期まで生きてみたらいんんだ、と言った。
本屋で延々立ち読みをつづけた。夕暮れて、暗闇に包まれる頃、「ソレモソウダナ」とオレは妙に合点して、帰宅の途についた。
その時からボクは翻意したのだ。死のう死のうと思っていたところから、「どうせ死ぬんだから、死ぬまで生きてみるかっ!」って。
「みる」という消極的で、1歩引いた構えながら、しかし死に向う姿勢が180度方向転換した瞬間だった。
そしてその時の思いを忘れぬよう自分なりの座右の銘をしたためた。
「決して死なずに生きてみること」

『無常ということ』を書いた文芸評論家であることを、高校の現代国語の時間に知ってはいたが、むずかしい文を書く人位にしか思っていなかった。この時の、妹高見澤潤子との対談集を立ち読みしていなければ、すでにオレはこの世には居なかったかも知れない。
それほどまでに19年間のワタシの命は詭弱で、精神的に枯渇し、未知への渇望や咆哮、伸吟が連綿とした、なんとも不安と混沌が打ちひしがれた、ピリピリした鋭敏過ぎる自我が絶えずスパークしているような、そんな幼少期をかかえこんでは懊悩し、うなだれていた。

大空からゼウスが神として現れれば、簡単だった。
雲間から太陽の光線が幾条にも差し込み、進軍ラッパやホルンを手にした天使群が雲に乗ってやってくるのが見えたら、楽だった。
海が割れて紅海を横切りエジプトからシナイ半島へ渡っていたら、明快だった。
夢枕に大日如来様や観音様が立ってお告げでもいただけていれば、そりゃぁ、申し分なかった。
だが、奇跡も、夢も、幻も、ボクにはついぞ与えられはしなかったのである。

【しかしそれがボクだけでなかったことに、その若さではまだ気が付かなかった。この世に生を与えられた人間には、平等に、すべかならく、それは与えられてはいなかった。 だから人間は全て暗く愚かな存在なのである。それを知ったのは、それからまた何十年もたったころである】




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Oyazar
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