ナショナリズム
Dec.21,2005
昭和39年10月10日東京オリンピックが日本で開催された。その十日前に「夢の新幹線」ひかり号は東海道新幹線として初お目見えしている。
以来、超特急ひかりの如く、あるいは「奇跡のニッポン経済」と世界が驚嘆する、右肩上がりの急成長を、バブル崩壊まで、日本はとげることになる。
おなじくおとなりの韓国。1988年(昭和63年)開催のソウルオリンピック以来、経済の急成長と民主化が勢いづき、オリンピック同様日本より20年遅れていた感のあったその国が、今や日本を技術分野で、世界貿易で、ITで、GNPで、追い抜こうとしている。
そうして「眠れる獅子」巨大な才たける中国。2008年の北京オリンピックを前に、鄧小平いらい推し進められてきた市場経済開放により、人民服一色だった赤の時代をかなぐり捨てて、13億人が立ち上がってきた、世界に胎動してきた、巨神兵のごとくに。
香港で行われていたサミット会場前で、韓国人デモ隊が警官隊と衝突したニュースを読み、驚いた。よその国でである。それも世界のグローバル化に反対してである。韓国人も感じているんだなぁと思った。グローバル化なんて決してよろしいことではないのだと。昔、フランスでもあった。農民がトラクターで道路を封鎖した。パリ郊外にパリディズニーランドを建設しようとしたが、それに反対する地区の農民たちがトラクターにまたがりデモをしたのだ。(仏人のこういう頑固さは好きである。)
ボクもつねづね考えている。日本は(そもそもがとどのつまりはアメリカのゴリ押しからこの国の近代化は始まっているのだが)ペルーの黒船来航以来グローバル化にどっぷりと漬かってきたし、技術産業立国として、資源の無い国が世界に伍するまでに成長を遂げてきたわけではあるが。
が、しかし、である。本当に、鎖国時代と今日のグロバリゼーションの中で産業が空洞化していく日本と、どっちがしあわせなのだっ、て。立ち止まって考えてしまうのである。幕末の坂本竜馬も勝海舟も西郷隆盛も時代を駆け抜けたその躍動に感動はしたが、しかし今は、やっぱり江戸時代のまんま鎖国してたほうが日本は幸せだったんじゃぁなかったのかって。そのほうが現代日本の、金髪ニーチャン顔ぐろねーちゃんたちを見ずにすんだだろうと。いまやみどりの黒髪の乙女も和服も姿を消し、日本情緒あふるるしきたりや楚々とした振る舞いも歳時記も、男子の本懐も・気概も・根性も、「朝日ににおふ山ザクラバナ」とともに消滅しようとしている。「日本と呼べないニッポン」になってきている、今の姿は。
自動車社会と大型ショッピングセンターが、昔銀座をシャッター街と呼ばせ、規模のちがいこそあれ、完全なアメリカ型自動車優先・郊外巨大モール型社会を実現してしまっている。この日本という国の国民の考え方と嗜好、そして文化って一体なんなんだって疑問に思う。今日の姿が進歩や進化だとはワタシには全然思えない。これはただのアメリカの猿マネだ。どのもかしこもアメリカの言いなりだ、追随だ、小姓だ、太鼓もちだ、おべっか使いのコンコンチキだ!
韓国も同様だろう。20年前の韓の国は、まだまだ貧しかったかも知れないが、もっと素朴で慇懃で礼儀正しく、行いも立ち居振舞いも凛として立派だった。儒教の良さを思わせる民族固有の雰囲気を持っていた。だが今はそうじゃない。日本人と変わらぬ髪形をして、スーツを着て、ビジネス万能、お金万能主義だ。若者は髪を染めラップする。女子高生がもう日本人さえはかないルーズソックスをはき、なま足をむきだし、平気で腰掛の背もたれに、土足で腰掛ける。どこにすっとんだんだ儒教。なんというテイタラクだ。
中国も遅かれ早かれ、だろう。
民主化とはアメリカのものまねをするってことじゃあないはずなのに、なんかみんな、勘違いしてるみたい。
「どこもかしこもアメリカアメリカ、か?」
「郷に行っては郷に従え、か?」
「長いものには巻かれろ、か?」
「マフィアやヤクザのサンピンも、ボスや親分の真似をしたがるって、か?」
どんなに自動車や機械ができがよくても、アシモ君が二足走りを始めても、人間のつくりほど精巧なものはできないだろうし、ましてや蟻やノミを人間は作れないだろう。勿論、人間を含めた動植物万物が生々滅死して循環する、微生物から始まる自然の循環システムなど作りようがない。むしろ逆行して「進んで」きたんですから。この自然を、コンクリートで固め、アスファルトで覆い、川には垂れ流し、空にはばい煙を放出し、家庭では自動車をアイドリングし、暑いと言ってはエアコンを回し外気をあっため、寒いといって石油を燃やし、工場では重油を燃やし、世界中でガソリンを燃焼し、チカカクジッケンだと核爆弾を地球のマントルに向け発射し、その一方で化石燃料があと何十年で無くなりますって憂える世界会議を催す。・・・進歩ですか、これが人類の。
昭和39年10月10日東京オリンピックが日本で開催された。その十日前に「夢の新幹線」ひかり号は東海道新幹線として初お目見えしている。
以来、超特急ひかりの如く、あるいは「奇跡のニッポン経済」と世界が驚嘆する、右肩上がりの急成長を、バブル崩壊まで、日本はとげることになる。
おなじくおとなりの韓国。1988年(昭和63年)開催のソウルオリンピック以来、経済の急成長と民主化が勢いづき、オリンピック同様日本より20年遅れていた感のあったその国が、今や日本を技術分野で、世界貿易で、ITで、GNPで、追い抜こうとしている。
そうして「眠れる獅子」巨大な才たける中国。2008年の北京オリンピックを前に、鄧小平いらい推し進められてきた市場経済開放により、人民服一色だった赤の時代をかなぐり捨てて、13億人が立ち上がってきた、世界に胎動してきた、巨神兵のごとくに。
香港で行われていたサミット会場前で、韓国人デモ隊が警官隊と衝突したニュースを読み、驚いた。よその国でである。それも世界のグローバル化に反対してである。韓国人も感じているんだなぁと思った。グローバル化なんて決してよろしいことではないのだと。昔、フランスでもあった。農民がトラクターで道路を封鎖した。パリ郊外にパリディズニーランドを建設しようとしたが、それに反対する地区の農民たちがトラクターにまたがりデモをしたのだ。(仏人のこういう頑固さは好きである。)
ボクもつねづね考えている。日本は(そもそもがとどのつまりはアメリカのゴリ押しからこの国の近代化は始まっているのだが)ペルーの黒船来航以来グローバル化にどっぷりと漬かってきたし、技術産業立国として、資源の無い国が世界に伍するまでに成長を遂げてきたわけではあるが。
が、しかし、である。本当に、鎖国時代と今日のグロバリゼーションの中で産業が空洞化していく日本と、どっちがしあわせなのだっ、て。立ち止まって考えてしまうのである。幕末の坂本竜馬も勝海舟も西郷隆盛も時代を駆け抜けたその躍動に感動はしたが、しかし今は、やっぱり江戸時代のまんま鎖国してたほうが日本は幸せだったんじゃぁなかったのかって。そのほうが現代日本の、金髪ニーチャン顔ぐろねーちゃんたちを見ずにすんだだろうと。いまやみどりの黒髪の乙女も和服も姿を消し、日本情緒あふるるしきたりや楚々とした振る舞いも歳時記も、男子の本懐も・気概も・根性も、「朝日ににおふ山ザクラバナ」とともに消滅しようとしている。「日本と呼べないニッポン」になってきている、今の姿は。
自動車社会と大型ショッピングセンターが、昔銀座をシャッター街と呼ばせ、規模のちがいこそあれ、完全なアメリカ型自動車優先・郊外巨大モール型社会を実現してしまっている。この日本という国の国民の考え方と嗜好、そして文化って一体なんなんだって疑問に思う。今日の姿が進歩や進化だとはワタシには全然思えない。これはただのアメリカの猿マネだ。どのもかしこもアメリカの言いなりだ、追随だ、小姓だ、太鼓もちだ、おべっか使いのコンコンチキだ!
韓国も同様だろう。20年前の韓の国は、まだまだ貧しかったかも知れないが、もっと素朴で慇懃で礼儀正しく、行いも立ち居振舞いも凛として立派だった。儒教の良さを思わせる民族固有の雰囲気を持っていた。だが今はそうじゃない。日本人と変わらぬ髪形をして、スーツを着て、ビジネス万能、お金万能主義だ。若者は髪を染めラップする。女子高生がもう日本人さえはかないルーズソックスをはき、なま足をむきだし、平気で腰掛の背もたれに、土足で腰掛ける。どこにすっとんだんだ儒教。なんというテイタラクだ。
中国も遅かれ早かれ、だろう。
民主化とはアメリカのものまねをするってことじゃあないはずなのに、なんかみんな、勘違いしてるみたい。
「どこもかしこもアメリカアメリカ、か?」
「郷に行っては郷に従え、か?」
「長いものには巻かれろ、か?」
「マフィアやヤクザのサンピンも、ボスや親分の真似をしたがるって、か?」
どんなに自動車や機械ができがよくても、アシモ君が二足走りを始めても、人間のつくりほど精巧なものはできないだろうし、ましてや蟻やノミを人間は作れないだろう。勿論、人間を含めた動植物万物が生々滅死して循環する、微生物から始まる自然の循環システムなど作りようがない。むしろ逆行して「進んで」きたんですから。この自然を、コンクリートで固め、アスファルトで覆い、川には垂れ流し、空にはばい煙を放出し、家庭では自動車をアイドリングし、暑いと言ってはエアコンを回し外気をあっため、寒いといって石油を燃やし、工場では重油を燃やし、世界中でガソリンを燃焼し、チカカクジッケンだと核爆弾を地球のマントルに向け発射し、その一方で化石燃料があと何十年で無くなりますって憂える世界会議を催す。・・・進歩ですか、これが人類の。