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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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モンゴル人が強い訳

15,2005

大関横綱の朝青龍の強さは、なんで日本人関取は彼にこんなにも歯が立たないんだと、くやしくなるほど、地団駄踏みたくなるほど、カメラ目線が憎らしくなるほど、とにかくイヤになるほど強い。土俵際の投げの打ち合いになったとしても、自分の曲げが土俵に落ちる瞬間まで相手に喰らいつきつづける、その粘りと執念は尋常ではない。日本人力士には無い鋼のような、あるいはマムシのような強さと狡猾さが備わっている。

モンゴルを旅したことがある。ウランバートルの家庭にホームステイさせてもらい、そこから100Kmも西にデコボコ道を砂埃を上げながら旧ソ連製のジープで移動してゴビ砂漠の入口まで達し、また戻っては、見渡す限りの大草原に、大きなテントを2張り張り、野営したことが。

そこに住む遊牧民の子どもたちはみな、野生の馬を飼い馴らし、ロクな鞍もつけずに乗りこなしていた。馬といってもポニーに毛のはえたような、日本にも昔いたという小柄な馬なのだが、一緒に行った仲間が試しに乗ろうとして、またがリ、と思ったら、振り落とされていた、というほどその気性は荒い。

その馬を小学生くらいの年ごろから、みな平気で乗りこなす。祭りの時は、草原レースをやるのをTVで見て知っていたが、そのとおりのことが目の前で繰り広げられていた。あと、遊びはモンゴル相撲だ。馬にまたがり、草原を疾駆し、モンゴル相撲に勝った負けたと繰り返しながら、成長する子どもたちが普通にいる。これでは日本人がモンゴルの人にかなわないのがスゴクわかった。その足腰の基礎がそもそも違うのだ。歩けば15分の所へもママの車で送ってもらうへなちょことは訳が違うのである。

それにもう一つ決定的に違うのことがある。遊牧民の一番大切な羊を、自分たちの糧のために、ほうることがある訳だが、その時、まず神様に祈りをささげ、それから、心臓の近くの皮を10センチほどナイフで裂き、あっという間に手を入れて心臓をにぎり、血液の循環を止め、絞めるのである。それは生き物をいただく時の、感謝と畏敬と、もっとも苦しまなく逝かせてあげるための工夫といたわりが形になった技なのである。(それがイスラム圏だと喉をかっ割く。)だから、モンゴルでは羊を丸ごと一頭、一滴の血もこぼすことなく、その血もまた、煮こごりにしていただく、無駄のなさが徹底されている。このあたりが、日本人のひ弱な子どもたちと、あとにつづくリトル朝青龍たちとの、もっとも大きな差になっているように思える。

子ども心の潰し方・ふせぎ方

Nov.14,2005

自分は、小学5年の時、1年間朝刊配達をしてお金を貯め、自分の好きなミズノのブルーインパルスというスキー板、チロリアンのビンディング、ジャガーのスキー靴を買った。それに、本格的な登山用リュックを買い足した。将来、必要な荷物を詰めて、旅に出られるように、と子どもながら家出にそなえていた。

小学の時、熱を出し、寝ている布団のなかで飲んだトマトジュースがとてもうまかったと覚えている。病気の時しかトマトジュースを飲ませてもらえない、そんな時代があった。それからバナナも貴重な果物だった。風邪やはしかの時は、そのバナナも1本食べることができた。実はもっともっとボクはバナナが食べたかった。イマニミテイロ!はやぐ自分で金を稼いで、誰にも文句をいわれぬ自由な一人身になり、バナナをひとふさ、思いっきり食べるんだ、と心に決めていた。今の時代にきけば、何それ?って笑われるようなことだけど、少年はそんな不自由と渇望の時を経て、独立心を強めていく。

中学の時、親友がクラッシックギターを習わないか、と持ちかけた。ギターをひくことに新鮮なあこがれを抱いた。親にねだったが、拒否された。夢を踏みにじられたような悔しさを覚えた。イマニミテイロ!自分で金を稼いで好きなものを自由に買うんだ、と強く思った。

それから高校受験を前に「オレは高校には進学したくない。早く働いて金を稼ぎたいから」と親に言った。だがそれも聞き入れられなかった。共に尋常小学校(今の中学校)しか出ていない親にとって、子どもをそのレベルでとどまらせることは絶対にさせてはならないことだったようだ。それに高度成長時代の右肩上がりで活況にあふれた日本経済という中、高学歴社会が当たり前になり、いいところに就職するのには出身進学校の履歴が一番重要視される時代になっていた。高卒だけでは、下に見られた。「大学には行かない。オレは画家になりたい」と言ったら「画家でメシが食っていけるわけはないっ!!」と一笑され、それも却下された。

兎にも角にも、ときどきに、ワタクシはかくのごとくに、ことごとく、要所要所で、親に阻まれてきた。自分で金を稼がない限り、この親の束縛から自由になれない、そうOyazは少年の頃から思ってきた。それが今もって継続して思いつづけている、おっきぐなったら画家になるんだと。

おっきぐなった添乗員は、パリ郊外の畑の風景をバスの窓から眺めている時でもこんな情景を見ていた、キャンバスと絵の具箱を背負って精力的にメラメラとした目で歩くゴッホの姿を。

占領されているんだゾッ!今も。

Nov.13,2005

誰もみな教えてくれないだろうから、Oyazが子どもたちにおしえてあげようね。

日本は、自由な民主国家だって君たちは思って育ち、疑ったこともないだろう。けれど、ほんとうはそうじゃぁないんだってことを認識していてほしいから。

実は、軍事的には、今もアメリカに占領されつづけているんだよ、この日本は。

なんで沖縄の嘉手納基地や神奈川県の厚木基地、青森の三沢基地から、アメリカ軍はいつまでたっても撤退しないんだろう。なぜ、日本の土地なのに、基地内への立ち入りは勿論禁止され、そこだけがなぜ治外法権が摘要され、日本が手を出せない領域なのか。竹島は日本の領土だ、と声高に叫ぶのに、なぜアメリカへは基地を返せ、その土地は日本の土地だとは叫ばないのか。なぜ駐日アメリカ大使館は地代がただなのか。原子力船空母が佐世保だ、横須賀だ、と寄港する時、「今回は核兵器は搭載していないはずです。日本には非核三原則がありますから」なんぞと政治家は言っているがそんな訳がないじゃぁないか。日本をアジア戦略のただの拠点基地にしか考えていないアメリカ軍が、わざわざ日本人の首相の顔をたてるために、いちいち核兵器をはずして、アメリカくんだりから来て、韓国だ、フィリピンだ、サイパンだって、行くと思いますか。

そう、みんな、今もって日本がアメリカの支配国の一つに過ぎないから起こる現象です。日常生活だっていつのまにか完全にアメリカナイズされ、それをカッコイイとこそ思うが誰も恥ずかしいとは思わない。鈍感・麻痺・中毒してしまったんだよ日本人は。TVもCNNはじめアメリカ人が見ているものをそのまま見、ラジオも昔からFENを米軍と共に聴いて来た。若い衆はジーパンをはき、ウエスタンブーツにあこがれ、ジープやアメ車にいまだに夢中だ。アメリカンミュージックを聴き、髪も金銀茶パツだしね。みんな洗脳されちゃってるよね、知らず知らず、アメリカに。

自由だと思っていた、民主的だと思ってきた。けれど違う。アメリカにただ牛耳られているだけなんだ、たくみにコントロールされてるだけなんだ、この国は。犬さえ、アメリカからたくさん輸入していることを「犬インフルエンザ」のニュースで初めて知ったけど、牛肉は勿論、毎日食べている豆腐類に必要な大豆にしても、パンを作る麦にしても、コーンもトマトも米さえも、大量にアメリカは日本に売りつけている。経済的にも日本はアメリカの戦略網にしっかり組み込まれている。いつの間にか、こんな狭い国土の日本では実現不可だと思われてきた車社会が、まったくアメリカ然として日常化し、歩行者がひき殺される車優先社会に変貌した。ド田舎まで高速道路が走り、一家三台車時代に突入した。日本の企業の1割に過ぎぬ大企業、そのトップのトヨタの1社が権力を握る日本経済界。零細な昔銀座商店街はシャーッター街にさびれ、大量輸入スーパー“イーオン”を中心とした郊外大型モールがこれまたアメリカ猿まね然として肥大化している。そのたびに山野は切り崩され、美田が埋め立てられ、コンクリートとアスファルトにおおわれるのだ。いいのか、日本人、このままで!!!!

Oyazの旅路のはじまり

Nov.12,2005

アレは何歳だったのだろう、中学三年だから、15か。

Oyaz少年は紺色のバッグひとつにパンツ1枚、アリガネ2千円を持って、
真夜中に、部屋の窓から家を出た。真っ暗な夜道を線路づたいに北へ進んだ。北海道を目指していたのである。途中で金がなくなったら、バイトをして、青森あたりで一服つけて、そのうち津軽海峡を渡るフェリーに乗ろう。北海道に行ったら牧場に住み込みで世話になろう。そんなアバウトな漠とした道筋を思い描きながら、夜闇を歩いていった。こんな夜は、明日のジョーや松尾芭蕉だったらどうしたのだろう。きっと駅に野宿するんだろうなぁと勝手に決めて、最終電車の去った駅に入っていく。

いつまでも待合室に寝っころがっている、ハンチングは目深にかぶってはいるが、どう見てもまだ幼い少年風情に、当直の駅員がいぶかしげに思わないほうが今にして思えば当然だったかもしれない。

そのうち、誰かがつかつかとボク一人しか居ない薄暗い待合室の長いすに近づいて来る。
「もしもし・・・」と声をかけられる。{オイオイ、明日のジョーならどうするんだーコンナトキー!!??}
それは駅前交番の巡査だった。まずもってそもそも、すぐ目の前に交番のある駅なんぞを選んだのがシクジリだった。
顔を上げざるをえなかったボクのその顔立ちからして、中学生の家出少年かとすぐにバレ、あまりにも幼くしてボクはパトカーの車上の人となったのである。本署へしょっぴかれ、何かコンコンと説教されたが、何を言われたのかまったく記憶にない。ただバッグの中身をあざかれ、コッパズカシかったのだけをはっきりと覚えている。そのうち2時3時の深夜だというのに、犯人のオヤズはバガ息子をもらいさげにやってきた。

ただそれだけの、胸のスカッとしないオソマツすぎる家出事件簿なのだが、考えてみるとあの時からOyazは、運命的に、旅を職業にするように決まっていたのかも知れない。

時を駈ける少女

Nov.11,2005

「いの~ち~♪みィジ~かしィ~こぉい・せよォ~お・と・め~♪」

もう冬が1800メートルにまで近づいている。
山形盆地から、東の蔵王、北の月山、西の大朝日の頂きが白くなっているのが見える。

朝8時。
通学する女子高生たちが、この寒空にまだ生足ダイコンをあらわに、自転車をこいでいく。つい数年前までウチのオジョーたちもそうだったように。今は下石神井と扇に住む22歳と19歳の娘となった。

Oyazは別にマッタク心配していない。
22の茜には“いいなづけ”のTakuちゃんがついてるし、
19の葵にも今年都内の私学に入った彼氏のトオルがいる。

Takuちゃんは小柄ながらトムクルーズばりに均整のとれた体つきで、海にキャンプをはった夏には、素潜りでアワビを捕ってくる男である。Oyazも2~3メートル岩場に潜ってみたがなかなか捕れるもんじゃぁない、まして、タコなど。

トオルはTakuちゃんとは全然タイプがちがうけど、高校時代はサッカー部、今は大学でフットサルやりすぎて、単位を落としているとか。いィんだ、ワガイ時は。体を鍛えろよトオル!勉強は社会人になって、自分で興味が湧いたら、するもんだ。

茜は仙台の服飾専門校を出て、服飾デザイナーをめざし就職活動を続けていたが、今は日本橋高島屋の子供服専門店に落ち着いている。

葵は6歳からジャズダンスを始めて以来13年になるが、去年・今年とTDRのダンサーのオーディションやサムのようなバックダンサーになるオーディションに挑戦しつづけている。わがいうちだ、なんでも、やってみろ!

19際の時、大学の講義に遅れてきた二人が講堂の入口でばったり出遭って、あれから29年が過ぎた。ふたりともイイおばんとOyazになった。「ボクには時間がないんだ」が口癖だったOyazが、カミさんとともに、はや半世紀近く、生きた。
「光陰矢のごとしだなぁ」なんて言っている内に、100歳になってたりして、ふたり。
ということは・・・ウチの娘たちは、そのころぁ、80や70のババアってことカァ~?

「いの~ち~♪みィジ~かしィ~」・・・


苦もなく貧しく美しく


Nov.10,2005

あたらしいことに、つねに自分をチャレンジさせつづけている48歳。
昨今の日課
3:30起床
4:00~5:00お湯沸かし、炊飯器on、おかず下準備、ブログ閲覧・製作
5:00~5:50自転車こいで畑へ。水方不動尊境内でテッポウ・シコ踏み、参拝、落ち葉掃き、水汲み
6:10~7:00自転車こいで研修先へ。ビニールハウスで清掃ほか、自主ボランティア「朝仕事」
7:15~8:00家で朝食準備、バーチャンにご飯出し、朝食、歯磨き、髭剃り
8:20~17:00研修先で終日、花の苗植え込み・土のポット詰め・ピンチ・水かけ・赤葉取り・出荷準備など
17:30帰宅、高騰灯油節約のため水浴・自分のものを一緒に洗濯
18:00~20:00家族と夕餉・団欒
20:30~21:00読書・就寝

研修先の社長夫妻は、私が行く朝6時ころにはいつも、すでに「朝仕事」を始めている。察するに、5~5:30にはハウスに来ている模様。
私も働き者だと思っていたが、上には上がいるものである。しかし社長もよわい53。そんなオヤズに若い衆は負けちゃぁいられない。
シャジョーのやることぐらい全部、自分でやれるように成ってみせる。熟練・熟達・更なる精進・六根清浄・森羅万象、である。

しかしこんな毎日や労働は今の自分には「へでもない」。
会社勤めのころを思えば何ともない。というのも、農作業は、頭1割、精神1割、作業8割だからである。
一方、会社勤めでは、7時半出社、お湯沸かし、ゴミ集め、支店内掃除機かけ(冬は駐車場の除雪)、日中の営業、連絡・報告・会議、残業、22~23時帰宅、なんていう毎日があったりまえだった。それにくらべ、農業は、頭と気をほとんど使わない“作業”がその大部分を占めている。まったくもって精神が擦り切れる、なんてことがほとんどない、人間本来の心持ちにたちかえれる職業である。へたすると頭を使わな過ぎてバカになりそうなくらいだ。
会社勤めの営業マンの時は、接客に精神を擦り減らし、企画書に知恵と汗を絞り、パソコンに時間を要し、ノルマの数字管理にきゅうきゅうとし、出張に出れば1時2時まで接待、5時起床の日々が3~4日続いたものである。そのころを思えば、今の無給研修とはいえ、まったく持って楽な、ただの農作業・土方仕事である。腰と腕っぷしと自転車マイフットのふとももだけが大事な道具である。
今の花卉栽培作業に熟達したら、今度は、私のこれまでの人生経験と知恵を加味した、新しい農業を、創っていこうと思っている。 

夜空、夜明け、不和雷同

Nov.9,2005

11月の清透な夜空に、下弦の三日月と金星が対になって輝く。
トルコの国旗でもロシアの赤でもない、
日本独特の霜月の風情が枯れたすすきとともに冬のにおいを運んでくる。

翌、夜明け前、山に向ってペダルを踏む。
向っていく漆黒の山並の頭上には、
薄墨色の夜空が無限にひろがり、
明星とシリウスを、左と右の袖にしたがえ、
三ツ星をいだくオリオンが四角い希有な形を誇示するように、
宙の大画面に、雄雄しく、気高く、鮮明に、
大凧の舞うがごとくに浮かんでいる。

振り向けば、はや東の空を、夜明けの兆しが橙色に染め始める。
蔵王の峰峰の連なりは、北の葉山をたどり、
そして月山、ぐるりと西には大朝日連峰、南の牙城は飯豊山。

日本の清冷な秋の空、
高気圧とマイナス30度の寒気団との落差は、時に、季節はずれのカミナリをもたらし、子どもたちを震え上がらせもする。
山形県を東西に分断する山脈の西空に、稲光が走る。

大宇宙の季節の営みの中、
私は自転車にまたがり、雨を、雷を、大急ぎで避けようとしている。

雷神よ、撃つなら撃て、
この天空の微塵の的を。
何万光年のかなたで胎動し続けるうねりに中の、
息さえ聞こえぬちっぽけさを。


マイナスにまっしぐらだった少年

Nov.8,2005

自分自身、19歳まで、不安の連続だった。
生きていること自体・そしてこれから先30年も40年も生きていくことに、
まったく自信がなかった。
4歳ころから芽ばえたであろう自我はますます強靭になり、
自身の存在の意味をますます問うがわからず、
いきいきとこの世を謳歌しているように見える自分以外の他人が
「何の疑問ももたない不思議な人たち」だと見えて
しらけ、はすにかまえ、生きていた。

白と黒の
ノッペラボーの人間もどきが
かたわらに白は黒い敵を十字架につけ、黒は白を十字架につけ、
右と左、互いが両端に分かれ、その十字架めがけ、同時に弓矢を引きはなつ。
そんな夢を、繰り返し見ていた。

朝目覚めて
布団を押入れにたたむ。
すると、たたんだ布団の中に、何か大事な忘れ物をしたことに気づき布団をおろす。
やっとまた、布団を押入れにに畳み、元に戻す。
するとまた、何かをその中に忘れたことに気づき、再び布団をおろす。
その延々とつづく繰り返し(後年それが“シージフォスの神話”と一緒だと知る)。
そんな夢を、そしてまったく同じ夢を、何回も何回も見た。


そんな、
この世の存在自体に不安を覚える青年が、
人の親になることなど、
まったく考えもしないことだった。
むしろ、
自分のような自我の強い、不安だらけの、話ベタの、才能なしの、みにくい人間を
二度とこの世に送り込んではならない、
とさえ思っていた。
何故、親は、オレを産んだのか、うらみさえした。
そんな、
どん底へまっしぐらに向う志向をする少青年期時代があった。


山も生きている

Nov.7,2005

表面を紅葉が始まった樹木で覆われている日本らしいおにぎり曲線の山々。
これらが燃えるように色づくとき、その下に隠れている大地のエナジーと樹木のもつ生命力とが一斉に湧きたっているように聞こえ、感じ、そう見えることがある。特に見る人の生命力が活気付いている時ほど、それは著しい。同じ土くれからできているんだね人も山も。

「どうして植物は紅葉するのでしょう?」って山々を縫うように走る車の中でカミさんが突然問題を出す。
「オレを見て、テレってっからカナ~」
「・・・(オメッ)ーー(ソージャナクッテッ!)・・今まで光合成をしてきたのをヤメッから~、だよォ!」
「あ・ァっ~~寒くって花たちもこの頃は咲かなくって来たように、成長がとまるんだナ」
「というか、成長をやめルンんだって。そうすると紅葉現象が現れ、やがてそれが白くなり、枯れていくっていうわけ」

前に読んだP600のことを思い出していた。
人間の細胞はその役割を終えると自らその成長をやめて死んでいく自殺機能がある、その役割を果たすのが、たんぱく質P600である。
そのたんぱく質P600が何らかの事情で働かなくなると、細胞が自殺できずいつまでも増殖を続け、やがて癌になるという、あれ。

(そっか、植物も同じなんだ。その時期がきたら自ら成長をやめ、死んでいくんだナア)

(人間も産まれ、幼児期を経て、盛りを迎え、つがいを作り、子をもうけ、手をかけ、見守り、巣だたせれば、やがて二人円熟期に紅葉したように笑い語らい、ともに白髪となり、枯れていく)   その、繰り返しなんだね、自然界は、人も山も。時の流れの中で。この世の生き物が絶えないように、考え出されたシステム。枯れて死ぬのは、すべてその種の永遠のために、セットされた法則なのだ。

四歳の記憶

Nov.6,2005

脳はパソコンに構造的に似ている、と思ってきた。本当は逆で、脳をパソコンを考えついた人が真似しているだけなのだが。

まず最初にその整理法。
たくさんの引き出しを持ち、出し入れをしている点。
よく使う言葉を履歴として繰り返すと、頻用語として自動的に記憶してしまう機能が、脳にもある。間違って覚えていた字や言葉遣いを、それと気づいた時に修正する機能もある。お気に入りの引出しがあり特別扱いしたり、いやな事や人の記憶を故意に削除できる能力もある。

検索機能であるが、
キーワードが出てくると、脳もあらゆる引出しと、過去の経験と読書した知識を総動員して、まったく違った知識同士を、時に有効に繋ぎ合わせてしまうこともある。これは、ただの記憶の検索にとどまらぬ、脳の一つのぬきんでた能力である。

0と1の組み合わせ。
コンピューターはデジタルであり、0と1の組み合わせから、なっている。
コンピューター言語に詳しくはないが、脳に置き換えれば、必須アミノ酸と水から人の脳は成っている、と言えるようか。

今や、日本将棋会が、プロ棋士にコンピューターソフトとの対戦を禁じたように、
コンピューターの方が、将棋でもチェスでも、人を負かす時代となった。
これは、人の考える能力や商才が、いかに膨大な知識とノウハウの記憶の駆使力にかかっているかを示す一例だろう。

膨大な知識ノウハウをインプットし、それを総動員し、結び付け、再構築するスピードが、機械はもはや人間の脳を追い越している。アシモ君のような歩行するコンピューターロボットも実現でき始めた。アトム君誕生も現実味を帯びてきたが、最期に残ったのは、まだ人間だけの領域としての「喜怒哀楽」という感情をつかさどる能力と「芸術」の分野と、そうしてあえて付け足せば「味覚」の能力だろう。

遺伝子研究がヒトゲノムの全貌解明まで達しているが、それは構造の全解明、の話である。一つ一つの遺伝子がどんな記憶を持って、その人間固有のものを作り上げているのかがわかったわけではない。

人間はいつの頃からなのか、智(心)が暗くなり、鈍くなり、その創造主の記憶をはっきりわからない状態で産まれて来るようになった。これは原初の人間の記憶的遺伝子からの伝来だとするなら、アダムとイブの時代からなのかもしれないし、日本書紀のアマテラスの天の岩戸の時からなのか、私の暗い智識ではもはや遺伝的に、知らない。

さて、自分の一番古い記憶の引出しを、老コンピューターと駆動させて捜してみた。

「妹が産まれた時、父親が朝ご飯の用意をしている隙に、家を飛び出し、母と妹がいる産婦人科の方角へ向って駆け出すと、後ろをオヤジが追っかけてきた」
・・・妹は私と4つ違いなので、これが私の4歳の記憶ということになる。
ほかには、何か悪いことをしたのだろう、畳の上に正座させられオヤジに何かガミガミ言われながらビンタされた記憶、が何回かある。が、何をガミガミ言っているのかがまったく記憶が無い。何が悪く何が良いのかという善悪判別能力や良識というものが4歳児にはまだ形成されていない、のが今振り返ればわかる。そういう意味では子どもは最初、性悪でも性善でもなく、ただの白い紙、状態なのかもしれない。

またあるシーン。
朝、保育園に「いってきます」と言って、弁当の入った黄色い肩掛けカバンをさげて玄関を出た自分は、行くのイヤでそのまま家の裏に隠れつづけ、昼前にその弁当を家裏の壁にもたれながら食っていた、という記憶がある。自分が行きたいところには行く、行きたくないところには大人のルールを破ってでも頑として行かない、という能力というか行動力は、今の自分の行動パターンと同じなのである。私の独立心・決断力・行動力は少なくとも、この4歳ころまでに、形成されたことになる。

三歳の記憶

Nov.5,2005

「三つ子の魂、百までも」と昔から言われてきたように、
人の情操は、三歳までにできてしまうと言う。

私は、人間は本来、性悪なのか性善なのかは、いまだにわからないが、
理屈としてはこうなる。

・・・この広大にして緻密な無限大に膨張し続けている宇宙の中の、
その中でも一銀河系の、太陽を周る六つの惑星の、その中でもたった一個の「地球」にしか生命体が存在せず、そうして太陽の光も温度も土も水も空気も動植物も何もかもが全て、まさに人間が存在するためにのみ、何十億、何億、何千年をかけ、都合よく着々と準備されつづけてきたこの世のシステムを、科学が解き明かせば明かすほど、そのようなしつらえをセッティングできた「全能の創造主がはじめにありき」でないと、まずは論理として理解できないはずである。

・・・が、一方で、人間の認識である智(心)は、いつからなのか、暗く、鈍くなり、その創造主を認識できないまま産まれて来るようになった。だから、現代人は誰一人として、神のことも、人が生きる意味も、死後のゆくえも、なぜ時間が存在しているのかも、明言できる人がまったくいないのである。

しかし「神は存在する」と信ずる多くの名も無き信者と祈りの人がいる。
いや「神は死んだ」というツァラトストラや哲学者がいる。
この世の表層の、物質・生物の進化論だけに固執し、その始まりに言及したがらない科学者もいる。マルクスレーニン主義のように、人間が人間のためにシステムを改革したり、こさえ上げたりするのに、ただヤッキになっている人がいる。

この唯一無二の、かけがいのない地球上で、今も、
国同士で、民族同士で、人間同士で、いさかいを、戦争を、人殺しを続けて、やめない。

自分たちこそが神の選民であり、存在する価値があるし、固有の土地を守る義務があるし、そう教典に書いてある、と言っては、ユダヤ教徒とイスラム教徒がおんなじ聖地をめぐり、「おれたちのものだ」「いや、おれたちのものだ」と争いをやめようとしない。同じ穴の狢、おんなじ出発地から出た2つの宗派なのだから、聖地はいつまでたっても同一のまんま、しかし教義が違うのでいつまでたっても和解することがない。人間のおろかさの典型を見せられる思いである。聖地といわれるエルサレムの黄金のモスクと嘆きの壁が見える西門の広場にはいつも、その周囲にイルラエルの自動小銃をずっしりと持つ小編隊が警戒している。そんな街なかで、ユダヤもイスラムも渾然となって、買い物をしたり、飲んだり食べたり、銀行に言ったり、郵便局に並んだり、バスに乗ったり、タクシードライバーに値段の交渉をしたり、死海で泥パックをしてはひと時プカプカ浮いたりしている。市井の人と交われば、どこもかわらぬ親子であり、夫婦であるのに、何故こんなメビウスの輪のような、永遠に続きそうな争い事になってしまうのだろう。独善のアメリカ、それに歯に歯をもって、極悪非道の報復で対抗するオサマビンラディンのアルカイダ、前時代的独裁国家、台頭する13億中華民族・・この地球に明るい未来はあるのか。

私は半世紀近く生きてきた今でもわからない、人間が性悪なのか性善なのか。
ただいつも、自分の暗くなった智(心)のかすかなうなずきや導きに耳を傾けつづけてきた。そして、これからも。

何でも同じ、仕事の段取り

Nov.4,2005

11月3日の国民の祝日に働く私を含む皆様、全員、非国民で訴えられることでしょう。

さて、今は花製造屋さんに見習い修行中の身ですが、6ヶ月がたってわかったことがあります。前の仕事のとき、「寿司屋と同じで、仕事は仕込みがしっかりできれば、8割方終わったようなものだ」を口癖にしてきた。そうしてそれは、まったく違う今の仕事でも、おんなじだ、と。

①今年は何の花を、どんな色を、何万作るか、トレンド研究と戦略を立て
②どのハウスに何を植え、空き期間は別の何を植えるか、計画作成
③培土、種、苗、ポット、トレーなどの仕込み道具発注
④パート要因の確保準備
⑤年間の作業を人員割、それを月単位、週単位に細分化
⑥実際の植付け、水遣り、出荷準備

ここまでやれば、出荷という本番は、あとは天候と運送屋さんの腕と運次第である。

一つのことに通ずれば、何でも同じ、だってことがようやくわかった研修生。だた働きの今ですが、もっともっと吸収しますよォ~、若者に負けず貪欲に、精鋭に、ヴェンチャー中年Oyazは。

ボーダレス時代、表示博覧会、TV報道の意味

Nov.3,2005

韓国と中国がキムチ戦争をはじめたとか。
日本でも中国産のホーレンソウの残留農薬の多さが問題になったし、
最近では、韓国と同様、中国産野菜から寄生虫の卵が検出されたとニュースになった。その原因は、中国では今も人糞を肥料として畑に撒いているから。

日本も30年前はそうするのが当たり前だった。
だから農家の便所は外だったし、畑にはそのダラを貯めておくタメオケが掘ってあり、そこにつッパいった小学生が、1週間もその匂いがとれなかった、なんつう話題は普通にあった。中国同様、日本人にも寄生虫が住んでいたのだ。2mにもなる十二指腸カイチュウなるものがみつかって入院する同級生もおった位だし、そのため小学校では寄生虫検査が定期的に行われていた。東京の目黒駅から100mほど歩いていったところに寄生虫博物館があるのも、そのなごりである。

産地表示が義務化されてから、最近のスーパーの食料品を見ていると、実にボーダーレス時代を身近に感じる。ブラジル産鶏肉、チリ産ウニ、ニュージーランド産カボチャ、中国産ニンニク、タイ産エビ、アラスカ産子持ちシシャモ、豪州産牛肉、フィリピン産アスパラガス、イラン産ピスタチオ、北朝鮮産ハタハタetc.

これらのものにも、残留農薬や寄生虫、BSE、北朝鮮産ハタハタに入っていたような鉛や重金属、PCBその他もろもろ、何が混じっているのかわからない訳である、疑い始めたら。かといって日本産は大丈夫か、といえば、必ずしもそうでもない。農業研修生1年生のOyazは初めてわかったが、ブドウやりんご、ラフランスは、除草剤以外の農薬を10回までかけていい(農家の人曰く「規制が厳しくなって今は農薬を10回しかかけられなくなった」)のだそうだ。山形名物ラフランスやりんご、サクランボにいたっては、それにつくダニを「農薬散布」するというよりは、大量の水で洗い流すようにダップリと農薬をザブザブかけているのが現状である。それを、洗いもせず、うまそうに皮ごとかぶりつく子どもを、秋の味覚も本格的です、なんてTV報道する報道機関の無責任さってなんなんだ!って腹をたてるのは、変わり者Oyaz一人ですか。

食の安全、というか、食の危険を感じたら、もはや自分で作るしかなくなる。虫くいの穴あき野菜。完全無農薬の取り立てで、オイスイ、のである。安心は、ちょっとだけ手をかけ、自身で作るもの。売るほどづぐんねくってイイがら、ねぇ日本人、農業すろよォ~!

星と砂

Nov.2,2005

夕闇の仕事の帰り道、夜空に宵の明星がまたたく。
これからもっと寒くなるといよいよ星空ははっきりとクッキリと見える季節がまた近づく。

朝5時、畑に自転車をこいで、くらがりを行く。
夕べの金星が今度は明けの明星としてオレンジがかって瞬いている。
その頭上にシリウス、左手に北極星が白く輝く。

自分は高校生のとき、紙を細長く切って、糊でつないで、部屋の壁にぐるりと貼って、
人類が誕生してから何億年、歴史的文献が残っているのから数えて何千年、
と自分の一生80年とした時の、時間をその紙に定規のようにメモリをつけて書き出したことがあった。そうすると自分の一生なんてほんの数センチ、数ミリなのである。

『竜馬がいく』を読んで、大河ドラマを見て、Oyaz少年も竜馬にひかれていく。
それは幕末を近代に動かした、駆け抜ける風雲児竜馬、というよりも、
寝ションベンたれの竜馬が、乙女という強い姉のもとだんだんとたくましくなっていく過程や、千葉道場でこめかみのビンの毛が擦れるほど剣道の稽古に明け暮れてつよくなっていくことや、だんだんとそういうなっていく男の、革新的でとらわれない柔軟な思考、キモの据わり方、豪快さ、ダイナミックさ、に惹かれていたのである。

つまらないことでクヨクヨしたり、おちこんだ時は、よく海に行った。
広々としたキラキラした海原を眺めながら、「竜馬だったら、どうしただろう」と思った。
そうして、一握の砂である自身の小ささに、笑うことができた。

オーストラリアの内陸部でキャンプを張った27歳。
まわりに人工的な電気がまったくない真っさおな夜空に、
大づぶの星星がそれこそ降るように、手の届くようにきらめく様に圧倒されたことを
昨日のことのように忘れない。





考えない葦

Nov.1,2005

なんでパスカルは「人間は考える葦である」と言ったんだろう。

何故「猿」ではなく、動物でない、植物の「葦」だったのだろう。
葦は紙の原料になったから、「人間は考える、まだ真っ白な紙のようなものである」とでも、インテリっぽく言いたかったのか。それとも、もともと人は植物のように土から生まれ、ただ動植物と違った「自分で考える創造力」がそなわっている、って言いたかったのか。

上ふたりの娘たちもそうだが、職場でも、今時の若者は、携帯を片時も離さない。休憩時間ともなれば、皆でお茶する間も、一人モクモクと、携帯の画面を見たり、メールを打ったりしている。これってまず、みんなで世間話に花を咲かせる空気の中、大変失敬な行いのように思えるのだが、若い衆はそんなこと考えもつかない風である。人前で男女がいちゃつくことも、電車内でキスすることも平気になった日本人って、アメリカっぽくなってカッコよくなったわけでも何ともなく、ただ下品に失敬に無礼に行儀悪くなっただけだ。Oyazに言わせりゃ「日本人は考えない、テレパシーのない、感度の鈍い、金髪の携帯電話である」だ。

修行が足りんのだ。学が浅薄なのだ。儒教も仏教もキリスト教もユダヤ教もイスラム教も、礼儀作法も何も知らないのだ。学科ではナク、人間の勉強すろよ。農業すろよ。機械を仲介にしないとできないコミュニケーションにばかり、本末転倒で、縛れんなよ、若者たち。


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