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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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(Oyazの過去Blogアーカイブス)
2008年1月20日でAmebablogを脱退しNINJAblogにひっこしました。

2005年11月編


ヤカン理論:オーソドックスという大衆

Nov.30,2005

ヤカンの形はいろいろあるが、どんな形と素材が一番早く沸騰するのだろう?
という夢うつつな設問をかかえたまま起床した。
ので、朝一番からこれに取り組んでみる。

加熱する方法として、下からガスで、同じ火の強さと形で熱する、こととする。
同じ容積のヤカンである、とする。
素材は、
A.アルミ(アルマイト)、B.ステンレス、C.鉄、D.銅、E.チタンの5種類。

形は
1.底も含め全体が球状のいわゆるオーソドックスなヤカン型
2.底が平らで、胴は曲線を描くピーピ-ヤカン型
3.底が平らだが小さく、上に細長い水差し型
4.逆に背が低く、底の幅をできるだけ広くしたズンドー型
5.底が平らで、胴は直線的な円錐型

この実験の結果、得られるであろう答えはこうであろうと机上の空論をする。

D.の素材と、1.の対流性の高い形のものが一番早く沸騰する。
しかし、銅は腐食がはやく、耐久性という点では劣る。また銅の素材の値段も高い。
結局、値段がお手ごろな、A.と1.との極めて一般的でオーソドックスなものが一番経済的にも、使い勝手も、持ち運びも、耐久性も、熱効率も良い、という結論になるのだろう。ものを突き詰めていくと、極めて、つまらない結論に到達する。

勿論、だからこそ、
銅製の形のこったデザインの、値のはるものをわざわざ手に入れる人がいる。
白のホーローのヤカンを好むアメリカン趣味の人がいる。
鉄分も摂れるし、いろりで育ってきた日本人は鉄瓶に限る、という人がいる。
茶の間に居ても洗濯機のある洗面所にいても沸いたのがすぐわかるピーピーヤカンよ断然、という人もいる。

しかし圧倒的な数が売れるのは、やはりつまらないオーソドックスなA.1.ヤカンなのである。

この現象をOyazは、オーソドックス理論、と名づける。

共産党でも、社民党でも、民社党でもなく、大衆は自民党なのである。
BMWでも、ベンツでも、マツダでも、三菱でもなく、大衆は白のトヨタカローラなのである。
マイバックでも、エコバックでも、ハケゴでもなく、大衆はレジ袋なのである。
広島でも、ホークスでも、日本ハムでも、楽天でもなく、大衆は巨人なのである。
ゴザでも、毛氈でも、キャラクターシートでもなく、大衆は青いビニールシートなのである。
神道でも、仏教徒でも、クリスチャンでもなく、大衆はクリスマスなのである。
こまめにエンジンを切るでも、地球環境を考える、温暖化防止に寄与するでもなく、大衆は寒いから、おっくうだからアイドリングしっぱなしなのである。

ある面、いい選球眼、選択視を持っている。
ある意味、大河に流される。
ある種、イイ鴨。

あなどれない、大衆という、誰が誰やらわからない大人数のマスなのだが、
時々、大きく、間違ったほうに行く。
 

冬ごもり

Nov.29,2005

10棟のハウスにあふれんばかりにあったミニシクラメンの色とりどりの花々が、
花寄せされ、赤白ピンク紫のきれいな取り合わせでセットされ、大事に箱詰めされ、
大田へ、名古屋へ、大阪へと出荷されて出て行った。
その数7万鉢。
それがもう1棟にも満たないまでに、なくなっている。

外にずらっと並んでいた1万鉢の葉牡丹も、寒さが増して赤が一層鮮やかになり、白との組み合わせがバラを見るように美しかった。
それも、ホークリフト用パレットに4~5枚を残す程度となる。

夏を彩ったポーチュラカのしおれた鉢や巻きついたテッセンの大鉢を男二人でトラックの荷台に乗せ、田んぼに捨てに、3往復。

春まで不要なものをホークリフトとトラックで、倉庫に運ぶ。
10mも20mもあるビニールをたたみ、箱に詰める。捨てるものは産廃用ゴミにまとめる。
伸びなくなった事務所周りの雑草を掻き取り、箒で集める。
だんだんと仕事場が閑散としてきて、ガラ~ンとなる。

あんなに活気付いて、ポンポンと従業員たちに気合をかけていたシャジョーも、言葉少なに黙々と作業をこなしている。
予報では今週末から雪。
12月1日からはOyazもサラミ工場へ出稼ぎに出る。
虫も蛙も動物もみな、もう冬ごもりなのだ。大晦日、正月が近い。

手を抜く人、抜かぬ人

Nov.28,2005

いよいよ11月から12月にバトンタッチする端境期の週を迎えた。
5月の田植えから始まり、研修に入ってはや半年になる。
その間してきたこと。

1.水稲の田植え、管理、稲刈り、カントリーエレベーターへの運搬
2.ミニシクラメンの定植、肥料起き、花摘み、葉っぱ取り、つぼみ取り、取った箇所への有機緑銅コーティング、ジベ処理、一個一個の水掛、出荷
3.エニシダの挿し木
4.イソトマ、富良野ラベンダー、バコパ、サントリーナ、ヒベルチア、ポーチュラカ、星かずら、チェッカーベリー、ペンステモン、サフィニアの定植、管理、出荷
5.葉牡丹、ストック、パンジー、ビオラの播種、水遣り、赤葉取り、出荷
6.10棟のハウスのベンチ掃除、床そうじ、雑草・銭ゴケ除去
7.ポットへの土入れ・トレーの十段重ね・ハウスへの移動
8.銀マルチシートの水洗い
9.宮城県の花卉栽培農家視察、農業体験バスツアーへ参加および受け入れ
10.山形県内の花卉栽培農家を訪問(飯豊町・長井市・尾花沢市)

秋の出荷準備にむけ、それまで2人だったパートのおばちゃんたちも、8人になった。

パートの女性8人と一緒に仕事をする機会も増える。
自然と、その仕事ぶりの遅い早い、要領の良さ悪さ、きちんとする人・雑な人がわかってくる。

表面の言葉使いのていねいさや身のこなしとは裏腹に、手を抜く人がいた。
でっぷりした体格で、いかにも動きがとろそうな若い衆が、やらせてみると意外に一生懸命だったりした。

この違いを研修生のワタシにさえ見えていたのだから、管理者である社長や専務にはもっと鮮明に認識されていたのは言うまでもない。

何をしてもそうだが、言われないとしない人、言ってもしない人、返事だけはいい人、
黙っていても次の仕事を察して段取る人、コツを覚えて早い人、落ちてるゴミを拾う人そうでない人、困った場面ですぐに手助けする人・しない人、って必ず分かれる。

人間の仕事ぶりは、誰かがきっと見ているものである。
だーれも見ていないからイイヤ、ではなく、誰も見ていない・評価してくれないと思えるときでも、そんなのは関係なく一生懸命うちこむことが、結局その人の人間性を円満に、素敵にするのである。そうしていつか必ずそういう人は評価されるのである。どこかで神様はきっと見ている。大人でも子どもでも。

 

語らないこと

Nov.27,2005

毎朝夜明け前に家を出る。
すると外は、
満天の星だったり、満月だったり、三日月だったり、霜だったり、氷だったり、みぞれだったりし、本日の宇宙のお天気模様をかじかむ手足でいの一番にじかに肌で感じている。
自転車の電気ひとつで、山へ漕ぎ出す。

町が村へと変わり、
道が田んぼに変わり、
ぼんやりと白い綿帽子の穂をゆらすススキを横目に、
上り坂が暗い雑木林へといざなう。

夜明け前に山に入れば、
見上げる杉の大木の上で、
名も知らぬ鳥の声がきこえてくる。
テンかイタチかハクビシンなのかエゾリスか、ささささっとボクの横を走りさる。
お不動様の祠の屋根に松ボッ栗が突然ドスンッと落ちては、猿かっ!ってタマゲルこともある。
下の沼に住むウシガエルのグッ~、グッ~という低音の響きをききつつ、お不動様の守人は、竹箒できょうも落ち葉を掃き始める。

こんなことを、こんな神秘な雰囲気を、
いくら語ったとしても、人にはなんのことやら、と理解できまい。

シリアのダマスカスを現地人づらして歩き
ヨルダンのペトラの物売りとまけろダメダのとやりとりし
イランのペルセポリスでスケッチしてたら閉門のサイレンがなって中をひとっつも見られなかった。
けれど、それをどんなに雄弁におもしろおかしく語れたとしても、
人には何の役にも立たないし、その人の何の楽しみにもならない。
行った人のただの自慢話でしかない。
だから、語らない。

あの国のこんな横丁の年取った爺さんの店で気の抜けたビールを買ったんだよ、
エジプシャンバザールの雑踏の流れの中で二股の道のどっちに進んだらいいかわからなくなり迷子寸前だったんだ、言葉も話せず、字も読めないのに。
「もってけドロボー」なんていう下世話な日本語を誰が教えたのかと、ゲンナリするよね、こんなに日本から離れた異国の地に居るというのに。
クレオパトラの泉という名の湧水の溜池にもぐった時はその底からあったかいマリのような空気の球がボコッ、ボコッって湧き上がり、なんとも緑色の中で神秘的だった。
トルコではカッパドキヤの物売りバァさんが、きたないだがそのかっぷくのいい体に民族衣装が堂々と似合っていて素敵だったなァ。

京都の端の欄干を歩く。
まだ朝早い先斗町には新聞配達の兄さんか散歩のおじさんとゆきかう程度である。
この細い小路の入り組む町なかを歩くのが好きだった。

地元の町なかを歩いて、ふとあの町並みの一角を見るようなたたずまいに出会い、気持ちだけあの国へ飛ぶことがある。

それは旅し、歩き、漕いできた自分だけしかわからない楽しい一時。
誰に話したところで、ひとには何だかてんでわからぬ、ことではある。
 

農業が変わる時代

Nov.26,2005

今年の3月に閣議決定されたという「食料・農業・農村基本計画」という農業政策の新たな指針を読んだ。

それによると、
1.耕作放棄地を減らし、食料自給率を現在の40%から45%まで上げる
2.現在平均1.25haの水田面積を15~20haの大規模耕作に変え、一人当たりの総労働時間を短くし、なおかつ利益が出る稲作に転換していく(1農家あたり700万円から900万円の収益をあげられることを目指す)
3.トレーサビリティシステムを品目拡大し、さらに推進していく
4.環境保全型の農作を奨励する(バイオマスの利活用)
5.攻めの農業をやる(どんどん海外へ輸出する)

といったことが、素人ながら、印象的にOyazの頭の中には残った。

つまり、小規模農家はふるいにかけられ、会社も含めた、積極的にやろうという意欲のある農業経営従事者に農地が集約されていく方向性を示している。つまりみんなが狭い農地に、各戸、高い農機具と労働時間をついやすのではなく、まとまった土地を時間と費用の効率のいい規模に改めましょう、ということだとわかった。

そうして、なんという農薬を何回使ったか、作り手は誰か、を消費者が明確にわかる顔の見える安全な作物づくりを一層進めていこう、ということである。

農業するにも工程表を策定させ、計画的に、きちんと経営者として起業すろっ、て言っているのだ。日本の米だから政府が守れ、ではなく、積極果敢に外国に売れるのもなら、打って出ろっ、て言っておる。会社も農業に参入OKだ、と。

Oyazはおおむね、この新たな10年指針はいい、と感じた。
特に、今のように零細な規模のたんぼや畑に400万のトラクターや700万のコンバインを(年間数日しか使わないのに)各農家が維持する矛盾を強く感じているからである。農機具のために息子が会社勤めしてローンを返している兼業農家が日本にはゴマンといるのだ。農機具地獄なんてもうやめにしなければならない。

ワタシは来年か、再来年には花卉栽培農家として起業するつもりだが、いまだに適当な農地を貸してくれる人が現れない。ワタシのまわりには耕作放棄地はたくさん見えるのに。そういう点でも、タワシにもチャンスがめぐってくる可能性大の新指針である、と感じている。意欲のある人にとっては、今こそ、農業新規参入最期の絶好の機会かも知れない。

おかんとおとんと、時々らいおん

Nov.25,2005
うちのカミさんは、多書家で、映画好きで、スポーツ観戦大好き女、である。
一方のOyazは、遅読家で、「俺たちに明日はない」と寅さんしか知らず、スポーツを観るのおは退屈でするのが大好き男である。
カーちゃんは大のビール好きで、
トーちゃんは、日本人は酒だァ!である。
女は頭脳明晰、成績優秀、実務能力抜群で、今や医療事務の大ベテラン講師でもある。
男は絵空ごとと自然と歌と酒が大好きで、ホントーは自分は画家だといまだに思っている浮世離れした奴である。

そんな男は、ひょんなことから、鉄道員になり、嬬恋村のプリンスホテルのウエイターを経験し、旅行会社に転職し、好きでもないテーマパークやミュージカルに何回も足を運ぶことになる。とくにテーマパークという人の気を狂わせる先脳作りものワールドは大のにがてで、かの有名なTDRなんぞは修学旅行で毎春3~4回行っていたが、お客さんをゲートまで見送ったら、自分だけ海浜幕張駅までトンズラこいて、酒飲みしていたものである。

しかしこれだけはよかったな、と思うのは劇団四季の「ライオンキング」だ。
単純なストーリーではあるが、躍動感と、なんといっても衣装の多彩さと彩りのコントラストが特別いい。
おんなじライオンキングを7~8回観ているが1回1回新鮮な感動を覚え、飽きない。
そんなことを離していたら、
きのう、
「最期の一枚が残っていたからラッキーと思って取っちゃった」
と12月29日昼の部のライオンキング、ウィークエンドマチネ席をちゃっかり自分一人分だけ購入してしまった。
まァ好きにしろ、おもしゃいがら、よっく堪能して楽しんで来い。
 

気づきと修復、ひいては寛容

Nov.24,2005

大きな声で言うのもはばかられるのだが、このワタクシ、記憶力はさして優秀でない。
まして酒飲みした翌朝なんぞは、夕べの話の9割をスパッとスカッと、忘れている。

よくいえば、なんのわだかまりもない、いつまでも根に持たない清々したタイプ、
カミさん流に言えば、脳のシナプスが壊れっぱなしか、再生または接続していないタイプ。

だから時々、堂々と、平気で、間違える。
(特に言わんとしている事の本論と関係ない瑣末なことは、どうでもいいではないか)と一人開き直る。

例えば、つわものどもの「虫の声」

例えば、静かさではない「山寺や・・・」

例えば、人形の久月が「休」みだったり・・・。

しかし、こんなウィンドーズ98から進化しないような私の脳でも、「気づき」とその後の「修復機能」がなかなかの働きをする。

「ん~ドーモおかしいなァ・・」と思った文章や漢字や記憶にまちがいがありそうだと、それが「気になる」という電子信号を脳が受け取り、過去の記憶・知識を少ない引出しの中から総力員をして、検索し始める(らしいのだ)。

そおして、時すでに遅し、なのだが、30分位後に、その気になっていた箇所の、正確な文字や文章、名前を思い出すのである。
原稿を上げてしまった後だったり、試験の答案を出してしまった、あとの祭の話だったりするのではあるが。

そして更に、気になっていた誤謬を気づかせたら、そこを自動的に修正し、正しい答えを更新履歴してしまうのである、この「脳みそ98」は。

これをOyazは、もっともらしく、

「人間の誤謬への気づきと、その修復、ひいては[寛容]」

なんぞと大仰にで呼んでいる。
 

旅して写真を撮らない訳

Nov.23,2005

Oyazの自慢は、旅先で写真を撮らないことである。
というより、写真がヘタくそだから、である。
ワタクシは画家で、大芸術家のはずなのだが、写真はからっきしダメだ。
そこいくと、カミさんなんぞは、大の読書家の、スポーツしない、普通の方なのだが、
撮る写真・デジカメは、いい構図をものにする。

ヘタくそということもあるが、
写真やビデオに気と時間を取られて、旅の風景を自分のこの目で見ないで、
おわってしまうことを非常にもったいなく感じる人間なのである。
タワクシは画家なので、その時その地のすばらしさは、この両の目の眼底に焼き付けるだけで、それこそ充分である。

それに、芭蕉風情の、なんにも持たない手ぶらな歩き旅が好きなのである。
中学の時に家出をしたのも、もともとは、国語の教科でこの芭蕉という人を知ったからでもある。自分も何にも束縛されず、自由に各地を歩いて一生を終えたいと、漠と思った。

・五月雨を集めてはやし最上川
・夏草やつわものどもの虫の声
・松島や嗚呼松島や松島や
・山寺や岩に染み入る蝉の声
・ふと見れば何やらゆかしすみれ草

この程度しかそらんじてはいないが、いずれも端的にして簡潔で、スカッとその情景が思い浮かぶ描写ではないか。
宮本武蔵の雀を一匹描いた絵のように、
研ぎ澄まされ、無駄をそぎおとし、それも即興で勢いよく、
五・七・五のたったの17文字で活写する技は、
今の機械万能時代の我々現代人がいくら高性能の物を手に入れても、
まったく刃も立たない、遠く及ばぬ境地である。

物ではない、金ではない。
人間、こころである、磨くべきは。
 

お初

2005-11-22 04:17
Nov.22,2005

山形はきのう、初氷点下となり、初氷となった。
自転車で野道をいけば、水溜りに氷(すがこ)がはって、パリパリっと割れた。
夜明け前の群青色の空に、満月をすぎたお月さまが、煌々と照っている。

自分は小さい頃から、「初物」がこっぱずかしくて、にがてだった。
たとえば床屋に行ってきたばかりの頭を「はつあたま」と言い、「Oyazは今日、はつあたまだァ~」そう友達にはやされたものである。
また真っ白な新しいズックを「初ズック」と言い、はやりまぶしすぎて居心地が悪い。だからわざと土で汚して履いていったものである。
そんな子供時代をすごしたせいか、今でも、新調した洋服などはすぐには着ない。
1年くらい洋服ダンスにかけたままにしておく。見慣れ、馴染んだ頃、やっと着始めるのが習慣となってしまっている。
「オレになじむ」ここが大切のような気がするのだ。

朝の水汲みでも、朝仕事でも、肉体労働でも、スポーツでもそれはおんなじかも知れない。「なじむ」ことだ。

佐藤人形店

Nov.21,2005

作、日曜日、紅葉の山々をうっすらと雪が覆う中、まぶしい太陽の陽射しが、上げた球を見えにくくする。
日曜の午前中はOyazが一週間で一番楽しみにしているテニスの日である。

いつもの朝仕事を終え、お勤めをし、労働の後のおいしいホッカホッカの胚芽米と一汁一菜に舌鼓を打った後、テニスウエアに着替え、グランドを3周ランニング。そしてそれから休み無く延々とテニスのラリ-が始まり、試合に入っていく。

毎日16Kmの自転車こぎも、このテニスのための鍛錬の意味がある。
花卉栽培農家で重い土や鉢を何十回も往復して運ばされるのを苦にも思わないのは、働きながら上半身を鍛えて、もっとテニスがうまくなれればこんないいことはない、と思っているからである。

28でここに家を建ててから毎日曜日、こんなふうに硬式テニスに打ち込んできた。もう20年にもなる。
48の年齢で、自分でもビックリするほど体力があると思えるのは、この続けてきたテニスと、毎日の鍛錬の結果だろう。メンバーの中には、そんなバケモノ驚異の足腰Oyazにひけをとらない60オヤズが二人もいるから、世の中、上には上がいるものだ。

昨日はその午後、バーちゃんと手押し車を車に載せて、となりの宮城県白石市越河というところまでお墓参りに行ってきた。昨年、バーちゃんの妹さんが亡くなり、その法事のためにである。山形は四方を1500mを越す山々で囲まれている典型的な盆地である。そのため隣県の秋田に行くにも、福島に行くにも、この宮城を越すにも峠を越えるので雪が心配だった。大急ぎで、スダッドレスタイヤに交換して、出かけた。

亡くなったオバさんは、佐藤人形店のおかみさんでもあった。
そのだんなさんと昭和28年に人形店を起業し、苦節を耐え、あるときは寝ないで仕事をし、納期に間に合わせ、そうしてその積み重ねの末、浅草の人形の休月の看板を掲げるほどの、宮城県では不動の地位を築くまでになった。昔から、そして今でもこの家にはクラウン以上の車しかない。

その墓前で姉のバーちゃんはさめざめと泣くのである「こんな姿になってしまって」と。
自分より歳の若い妹に先立たれて、寂しいのだろう。
まして親より先に子が亡くなったら、なおさらだろう。
この家では、初めてのお孫さんを0歳にして亡くしていた。
亡くなったおばあちゃんのお墓のとなりにはそのお孫さんのお地蔵様がたっている。

良い日よりの里山の墓参りの帰り道、柿の実が誰も取らずに残っていた。
来年また来れたら、こんどは柿もぎをしようと、まもなく80になるバーちゃんと笑った。 


平和ボケ

Nov.20,2005

とうとう山形にも初雪が降った。
Oyazは昨朝4時半に畑に行く自転車をこいでる最中に、その洗礼を受けた。
東の空から朝陽が昇る、その反対側の山々がうっすらと雪化粧し、そこに
茜色の陽が射し、得もいわれぬ“美し日本”を見た。

茶色い大地に緑色を配し、青い服を着た農夫たちとオレンジ色の犬が遊ぶゴーギャンの絵が好きである。ゴッホの田園風景や農民たちの絵も好きだ。二人とも日本の浮世絵を初め、日本文化に影響をされた画家たちである。

いろんな外国を見聞してきて、やっとわかったことがある。
四季のハッキリしたこれほど美しい国は、北欧をのぞき、ほかには無いと。
お月見風情を楽しむ繊細な情緒をもつ国民はほかに居ないと。
どんなフランス人シェフよりも微妙な味わいのわかる舌をもった民族だと。
南北に細長い、海も山も河も豊かな、様々な美味しい産物が次々出てくる宝庫だと。
昔から伝わる独特の祭と伝統芸能が各地にあり、お国訛りがゴマンとある不思議な国だと。
奇跡的にどこの国からも侵略されたことのない希有な国だと。
だからこそ、日本人だけ平和ボケ、していると。

Jeansを腰パンにはき、キャップをはすにかぶり、ラッパーする。
それが一番かっこいいんだ、とワガイ衆が地べたに座っている。(ミッダグねー)
子どもが外で遊んでいない。
TVゲームと、外国産クワガタで遊んでいる。
伝統芸能を、地元の70のズンツァンが60の若い衆におせーているという記事を読む。
若者は漬物を嫌い、魚を嫌い、ケンタッキーとハンバーガーとドーナッツがお気に入り。

もうすぐ、日本が、あ・ぶ・な・い
 

日本人をやめますか?

Nov.19,2005

なぜかナぁ、近頃の韓国もそうなんだが、
一国の経済が成長し、生活レベルが上がって来ると、
若者の格好が欧米のモノマネ化するのは?

Oyazはおよそ20年前から韓国に行き始めましたが、
その民族のもつ儒教に裏付けされた、目上の人をうやまうしきたりや言葉使い、
考え方、立ち居振舞いなどに、日本では失ってしまった、いいものがまだこの韓国には残っていると感動したものでした。が、今は、もう、韓国も日本同様、欧米の猿真似ばかりで、堕ちてしまいました。

われわれアジア人は何故白人にあこがれるんだろう?
どんなに金髪にしたって、レーバンのサングラスかけたって、シャネルに身を包んだって、ウエスタンブーツはいて、アメリカをきどったって、そのアジア顔を、そのスタイルを、そのしぐさを、所作を、言葉使いを、その根本的なところで何も変えられはしなというのに。

一体、アメリカの何がいいの?
Jazzか?それって、白人に奴隷にされていたもともとアフリカの黒人たちの民族音楽じゃぁないか?
Jeansか?それってもともと幌馬車の幌でこさえた究極のブルーワーカー用作業着じゃんか?
英語か?カタカナもひらがなも漢字もない、一番幼稚な単一言語だぞアルファベットなんて。あんな単純な文字を筆で書いたって、深みもへったくれもありゃしない。
ハーレーか?アメ車か?飛行機か?
確かに、機械はスゴイ、アメリカは。機械工業国なのである、アメリカの本質は。
武器の製造・輸出国なのである。それに農作物も牛肉もマイクロソフトもくっつけて、お前の国も関税取っ払って、オレンとこのモノを買え、と押し売りする悪徳ブローカーか世界で一番紳士面したマフィアなのである。

もっともっと外国に出かけて、見てくればいい。食べてくればいい。話してみればいい。あこがれの外国人たちと。そしていかに自分が日本のことを、文化を、味を、民族の誇りを、知らないのかを痛感してくればいい。

 

時間の切り売り

Nov.18,2005

朝3時45分に起きる。
3時50分、きまって、新聞太郎さんが朝も寒かろうに、朝刊を運んできてくれる。
そのうちに、やかんのお湯が沸く。
炊飯器にスイッチを入れる。味噌汁になりそうな具をみつくろって鍋にかける。
パソコンを開いてしばし、思索・検索・・・4時30分。
上下のカッパに身を包み、長靴ばきで、ダイナモ回して山へ修行。明けの明星、シリウス、オリオン、時に月明かり。お不動様のそうじ、水汲み、大根掘り。
5時半、花卉栽培ハウスで朝仕事(ハウス内掃除、エニシダの刈り込み)~6時45分。
7時15分帰宅、朝食、バーちゃんに給仕、洗面、朝のお勤め。
8時、再び花卉栽培ハウスへ出勤。
昼、大急ぎでも往復30分はかかるチャリで家に戻り、バーちゃんと末娘にラー麺やうどんをこさえ、その後しばし15分間だけの自分の昼休み。
5時まで三たび花卉栽培ハウスで肉体労働。
5時30分、宵の明星を見ながら帰宅。

その間、食事と休憩タイム以外、動き続ける13時間。
今のカリキュラムだと、ワタシに余裕のある時間はない。
そこにバーちゃんは唯我独尊的に
「わるいけどあれ取って」
「柿むいたから、日当たりのいい車庫にほしてけろ」
「妹の墓参りに行きたいから連れてって」などなど
思わぬ注文がいきなり入ると、13時間を今は分単位で切り売りしている百姓Oyazはテンテコマイになって、矢でもテッポウでも持って来いっ!状態になってしまう。

明けから宵の明星までの日中の13時間を切り盛りしても、物理的にできることはそうそう多くないことがわかる。その中の自分の休息時間は1時間くらいだろうか。

では残りの夜の11時間を切り盛りしようか。
ブルーワーカーにはたっぷりの酒と食事と睡眠は欠かせないので、内8時間はその時間に必要である。では残り3時間。風呂に入らない。TVを見ない。家族の団欒をなくす。日本女子バレーを応援しない・・・人間の時間とはホントーに限りがある、と思う。
 

日本男子は馬鹿か?兵役を問う

Nov.17,2005

Oyazはあえて言う、日本人男子には1年の兵役を義務づけるべきだと。
何故なら、今の日本の男たちがあまりにも軟弱すぎるからだ。
何が腰パンだ、何が金髪だ、何が「はい、わかりました!」のアッカンベーだ、
おまえたちはただこずるくなっただけだ。
レトルト食品とポテトチップスとアイスクリームでアメリカンデブのように外見にはおっきぐなったが、マッタクたくましさ、頼りがいを感じない。
それは気骨がないからだ。一本芯がとおっていないからだ。肝が据わっていないからだ。日頃から体を鍛えていないからだ。臍下丹田から力を出す方法さえ知らないからだ。いまだに占領下の日本をはっきり認識してないからだ。アメリカンムードのいかにも自由で・民主的で・緩やかなカゴの中で、いや檻の中で、いや自国の領土なのに米軍の意向にそむいてはどうにもできない、収容所の中で、体裁よく骨抜きにされているだけなんだよ、われわれ日本人は。そのほうが占領国アメリカも大変都合がいいのだ。日本人男性がアメリカ人より強く、賢くなんて、なってほしいとは、これっぱかしも思っちゃあいないさ、アメリカは。今のひ弱な戦えないペット犬でちょうどいい、と馬鹿にされこそすれ。

なぁ、若者たち、目をさまして、現実を直視すろよ!
 

おとなが変われば子どもも変わる

Nov.16,2005

山形県の青少年教育機関の最近の標語「おとなが変われば子どもも変わる」は言い古しの陳腐さはあるものの、Oyazは妙に、気に入っている。

なぜなら、今時の、おじじ、おばばは言うに及ばず、おばん、おじん、いい大人まで、すべからく、近所の大人が地域の子どもを、あるい全くの他人の大人がよその子どもを叱らない、叱れなくなったから、とズッーっと思っていたから。

それどころか、いい大人が自ら、自転車の右側通行、無灯火、信号無視を堂々と平気でして恥じ入る様子も無い。子どもたちに格好の悪い見本を積極的に示しているありさまだ。そしてそれに自分自信、気がついていないようなのだ。

子どもたちは見ている、親や近くの大人の素ぶりを。先生たちの一挙手一投足を。うえのアンちゃん、ニーちゃん、ネーちゃんたちの立ち居振る舞いを。そして言うゾッ、「だって~、大人たちもみ~んなしているじゃんかぁ~」

自分も若い頃「世の中が狂っているのは社会が悪い」という言葉を漠然と想ったことがあるが、それはあいまいな言い方であった。正確には、「大人が悪い」からである、と今はハッキリと言える。人間30もすぎたら、いい大人の仲間入りなんだから、子どもをいい方向に導く交通指導員のお一人として、手伝い、叱り、注意してあげようよ。交通事故から守ってあげようよ、次代を担う子どもたちを。大人っ!肝を据えて、腰を落として、がっぷりよっつで、小学生に、中学生に、高校生に、青年に、向き合えよ!!
 





















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