Nov.11,2005
「いの~ち~♪みィジ~かしィ~こぉい・せよォ~お・と・め~♪」
もう冬が1800メートルにまで近づいている。
山形盆地から、東の蔵王、北の月山、西の大朝日の頂きが白くなっているのが見える。
朝8時。
通学する女子高生たちが、この寒空にまだ生足ダイコンをあらわに、自転車をこいでいく。つい数年前までウチのオジョーたちもそうだったように。今は下石神井と扇に住む22歳と19歳の娘となった。
Oyazは別にマッタク心配していない。
22の茜には“いいなづけ”のTakuちゃんがついてるし、
19の葵にも今年都内の私学に入った彼氏のトオルがいる。
Takuちゃんは小柄ながらトムクルーズばりに均整のとれた体つきで、海にキャンプをはった夏には、素潜りでアワビを捕ってくる男である。Oyazも2~3メートル岩場に潜ってみたがなかなか捕れるもんじゃぁない、まして、タコなど。
トオルはTakuちゃんとは全然タイプがちがうけど、高校時代はサッカー部、今は大学でフットサルやりすぎて、単位を落としているとか。いィんだ、ワガイ時は。体を鍛えろよトオル!勉強は社会人になって、自分で興味が湧いたら、するもんだ。
茜は仙台の服飾専門校を出て、服飾デザイナーをめざし就職活動を続けていたが、今は日本橋高島屋の子供服専門店に落ち着いている。
葵は6歳からジャズダンスを始めて以来13年になるが、去年・今年とTDRのダンサーのオーディションやサムのようなバックダンサーになるオーディションに挑戦しつづけている。わがいうちだ、なんでも、やってみろ!
19際の時、大学の講義に遅れてきた二人が講堂の入口でばったり出遭って、あれから29年が過ぎた。ふたりともイイおばんとOyazになった。「ボクには時間がないんだ」が口癖だったOyazが、カミさんとともに、はや半世紀近く、生きた。
「光陰矢のごとしだなぁ」なんて言っている内に、100歳になってたりして、ふたり。
ということは・・・ウチの娘たちは、そのころぁ、80や70のババアってことカァ~?
「いの~ち~♪みィジ~かしィ~」・・・
苦もなく貧しく美しく
Nov.10,2005
あたらしいことに、つねに自分をチャレンジさせつづけている48歳。
昨今の日課
3:30起床
4:00~5:00お湯沸かし、炊飯器on、おかず下準備、ブログ閲覧・製作
5:00~5:50自転車こいで畑へ。水方不動尊境内でテッポウ・シコ踏み、参拝、落ち葉掃き、水汲み
6:10~7:00自転車こいで研修先へ。ビニールハウスで清掃ほか、自主ボランティア「朝仕事」
7:15~8:00家で朝食準備、バーチャンにご飯出し、朝食、歯磨き、髭剃り
8:20~17:00研修先で終日、花の苗植え込み・土のポット詰め・ピンチ・水かけ・赤葉取り・出荷準備など
17:30帰宅、高騰灯油節約のため水浴・自分のものを一緒に洗濯
18:00~20:00家族と夕餉・団欒
20:30~21:00読書・就寝
研修先の社長夫妻は、私が行く朝6時ころにはいつも、すでに「朝仕事」を始めている。察するに、5~5:30にはハウスに来ている模様。
私も働き者だと思っていたが、上には上がいるものである。しかし社長もよわい53。そんなオヤズに若い衆は負けちゃぁいられない。
シャジョーのやることぐらい全部、自分でやれるように成ってみせる。熟練・熟達・更なる精進・六根清浄・森羅万象、である。
しかしこんな毎日や労働は今の自分には「へでもない」。
会社勤めのころを思えば何ともない。というのも、農作業は、頭1割、精神1割、作業8割だからである。
一方、会社勤めでは、7時半出社、お湯沸かし、ゴミ集め、支店内掃除機かけ(冬は駐車場の除雪)、日中の営業、連絡・報告・会議、残業、22~23時帰宅、なんていう毎日があったりまえだった。それにくらべ、農業は、頭と気をほとんど使わない“作業”がその大部分を占めている。まったくもって精神が擦り切れる、なんてことがほとんどない、人間本来の心持ちにたちかえれる職業である。へたすると頭を使わな過ぎてバカになりそうなくらいだ。
会社勤めの営業マンの時は、接客に精神を擦り減らし、企画書に知恵と汗を絞り、パソコンに時間を要し、ノルマの数字管理にきゅうきゅうとし、出張に出れば1時2時まで接待、5時起床の日々が3~4日続いたものである。そのころを思えば、今の無給研修とはいえ、まったく持って楽な、ただの農作業・土方仕事である。腰と腕っぷしと自転車マイフットのふとももだけが大事な道具である。
今の花卉栽培作業に熟達したら、今度は、私のこれまでの人生経験と知恵を加味した、新しい農業を、創っていこうと思っている。
夜空、夜明け、不和雷同
Nov.9,2005
11月の清透な夜空に、下弦の三日月と金星が対になって輝く。
トルコの国旗でもロシアの赤でもない、
日本独特の霜月の風情が枯れたすすきとともに冬のにおいを運んでくる。
翌、夜明け前、山に向ってペダルを踏む。
向っていく漆黒の山並の頭上には、
薄墨色の夜空が無限にひろがり、
明星とシリウスを、左と右の袖にしたがえ、
三ツ星をいだくオリオンが四角い希有な形を誇示するように、
宙の大画面に、雄雄しく、気高く、鮮明に、
大凧の舞うがごとくに浮かんでいる。
振り向けば、はや東の空を、夜明けの兆しが橙色に染め始める。
蔵王の峰峰の連なりは、北の葉山をたどり、
そして月山、ぐるりと西には大朝日連峰、南の牙城は飯豊山。
日本の清冷な秋の空、
高気圧とマイナス30度の寒気団との落差は、時に、季節はずれのカミナリをもたらし、子どもたちを震え上がらせもする。
山形県を東西に分断する山脈の西空に、稲光が走る。
大宇宙の季節の営みの中、
私は自転車にまたがり、雨を、雷を、大急ぎで避けようとしている。
雷神よ、撃つなら撃て、
この天空の微塵の的を。
何万光年のかなたで胎動し続けるうねりに中の、
息さえ聞こえぬちっぽけさを。
マイナスにまっしぐらだった少年
Nov.8,2005
自分自身、19歳まで、不安の連続だった。
生きていること自体・そしてこれから先30年も40年も生きていくことに、
まったく自信がなかった。
4歳ころから芽ばえたであろう自我はますます強靭になり、
自身の存在の意味をますます問うがわからず、
いきいきとこの世を謳歌しているように見える自分以外の他人が
「何の疑問ももたない不思議な人たち」だと見えて
しらけ、はすにかまえ、生きていた。
白と黒の
ノッペラボーの人間もどきが
かたわらに白は黒い敵を十字架につけ、黒は白を十字架につけ、
右と左、互いが両端に分かれ、その十字架めがけ、同時に弓矢を引きはなつ。
そんな夢を、繰り返し見ていた。
朝目覚めて
布団を押入れにたたむ。
すると、たたんだ布団の中に、何か大事な忘れ物をしたことに気づき布団をおろす。
やっとまた、布団を押入れにに畳み、元に戻す。
するとまた、何かをその中に忘れたことに気づき、再び布団をおろす。
その延々とつづく繰り返し(後年それが“シージフォスの神話”と一緒だと知る)。
そんな夢を、そしてまったく同じ夢を、何回も何回も見た。
そんな、
この世の存在自体に不安を覚える青年が、
人の親になることなど、
まったく考えもしないことだった。
むしろ、
自分のような自我の強い、不安だらけの、話ベタの、才能なしの、みにくい人間を
二度とこの世に送り込んではならない、
とさえ思っていた。
何故、親は、オレを産んだのか、うらみさえした。
そんな、
どん底へまっしぐらに向う志向をする少青年期時代があった。
山も生きている
Nov.7,2005
表面を紅葉が始まった樹木で覆われている日本らしいおにぎり曲線の山々。
これらが燃えるように色づくとき、その下に隠れている大地のエナジーと樹木のもつ生命力とが一斉に湧きたっているように聞こえ、感じ、そう見えることがある。特に見る人の生命力が活気付いている時ほど、それは著しい。同じ土くれからできているんだね人も山も。
「どうして植物は紅葉するのでしょう?」って山々を縫うように走る車の中でカミさんが突然問題を出す。
「オレを見て、テレってっからカナ~」
「・・・(オメッ)ーー(ソージャナクッテッ!)・・今まで光合成をしてきたのをヤメッから~、だよォ!」
「あ・ァっ~~寒くって花たちもこの頃は咲かなくって来たように、成長がとまるんだナ」
「というか、成長をやめルンんだって。そうすると紅葉現象が現れ、やがてそれが白くなり、枯れていくっていうわけ」
前に読んだP600のことを思い出していた。
人間の細胞はその役割を終えると自らその成長をやめて死んでいく自殺機能がある、その役割を果たすのが、たんぱく質P600である。
そのたんぱく質P600が何らかの事情で働かなくなると、細胞が自殺できずいつまでも増殖を続け、やがて癌になるという、あれ。
(そっか、植物も同じなんだ。その時期がきたら自ら成長をやめ、死んでいくんだナア)
(人間も産まれ、幼児期を経て、盛りを迎え、つがいを作り、子をもうけ、手をかけ、見守り、巣だたせれば、やがて二人円熟期に紅葉したように笑い語らい、ともに白髪となり、枯れていく) その、繰り返しなんだね、自然界は、人も山も。時の流れの中で。この世の生き物が絶えないように、考え出されたシステム。枯れて死ぬのは、すべてその種の永遠のために、セットされた法則なのだ。
四歳の記憶
Nov.6,2005
脳はパソコンに構造的に似ている、と思ってきた。本当は逆で、脳をパソコンを考えついた人が真似しているだけなのだが。
まず最初にその整理法。
たくさんの引き出しを持ち、出し入れをしている点。
よく使う言葉を履歴として繰り返すと、頻用語として自動的に記憶してしまう機能が、脳にもある。間違って覚えていた字や言葉遣いを、それと気づいた時に修正する機能もある。お気に入りの引出しがあり特別扱いしたり、いやな事や人の記憶を故意に削除できる能力もある。
検索機能であるが、
キーワードが出てくると、脳もあらゆる引出しと、過去の経験と読書した知識を総動員して、まったく違った知識同士を、時に有効に繋ぎ合わせてしまうこともある。これは、ただの記憶の検索にとどまらぬ、脳の一つのぬきんでた能力である。
0と1の組み合わせ。
コンピューターはデジタルであり、0と1の組み合わせから、なっている。
コンピューター言語に詳しくはないが、脳に置き換えれば、必須アミノ酸と水から人の脳は成っている、と言えるようか。
今や、日本将棋会が、プロ棋士にコンピューターソフトとの対戦を禁じたように、
コンピューターの方が、将棋でもチェスでも、人を負かす時代となった。
これは、人の考える能力や商才が、いかに膨大な知識とノウハウの記憶の駆使力にかかっているかを示す一例だろう。
膨大な知識ノウハウをインプットし、それを総動員し、結び付け、再構築するスピードが、機械はもはや人間の脳を追い越している。アシモ君のような歩行するコンピューターロボットも実現でき始めた。アトム君誕生も現実味を帯びてきたが、最期に残ったのは、まだ人間だけの領域としての「喜怒哀楽」という感情をつかさどる能力と「芸術」の分野と、そうしてあえて付け足せば「味覚」の能力だろう。
遺伝子研究がヒトゲノムの全貌解明まで達しているが、それは構造の全解明、の話である。一つ一つの遺伝子がどんな記憶を持って、その人間固有のものを作り上げているのかがわかったわけではない。
人間はいつの頃からなのか、智(心)が暗くなり、鈍くなり、その創造主の記憶をはっきりわからない状態で産まれて来るようになった。これは原初の人間の記憶的遺伝子からの伝来だとするなら、アダムとイブの時代からなのかもしれないし、日本書紀のアマテラスの天の岩戸の時からなのか、私の暗い智識ではもはや遺伝的に、知らない。
さて、自分の一番古い記憶の引出しを、老コンピューターと駆動させて捜してみた。
「妹が産まれた時、父親が朝ご飯の用意をしている隙に、家を飛び出し、母と妹がいる産婦人科の方角へ向って駆け出すと、後ろをオヤジが追っかけてきた」
・・・妹は私と4つ違いなので、これが私の4歳の記憶ということになる。
ほかには、何か悪いことをしたのだろう、畳の上に正座させられオヤジに何かガミガミ言われながらビンタされた記憶、が何回かある。が、何をガミガミ言っているのかがまったく記憶が無い。何が悪く何が良いのかという善悪判別能力や良識というものが4歳児にはまだ形成されていない、のが今振り返ればわかる。そういう意味では子どもは最初、性悪でも性善でもなく、ただの白い紙、状態なのかもしれない。
またあるシーン。
朝、保育園に「いってきます」と言って、弁当の入った黄色い肩掛けカバンをさげて玄関を出た自分は、行くのイヤでそのまま家の裏に隠れつづけ、昼前にその弁当を家裏の壁にもたれながら食っていた、という記憶がある。自分が行きたいところには行く、行きたくないところには大人のルールを破ってでも頑として行かない、という能力というか行動力は、今の自分の行動パターンと同じなのである。私の独立心・決断力・行動力は少なくとも、この4歳ころまでに、形成されたことになる。
三歳の記憶
Nov.5,2005
「三つ子の魂、百までも」と昔から言われてきたように、
人の情操は、三歳までにできてしまうと言う。
私は、人間は本来、性悪なのか性善なのかは、いまだにわからないが、
理屈としてはこうなる。
・・・この広大にして緻密な無限大に膨張し続けている宇宙の中の、
その中でも一銀河系の、太陽を周る六つの惑星の、その中でもたった一個の「地球」にしか生命体が存在せず、そうして太陽の光も温度も土も水も空気も動植物も何もかもが全て、まさに人間が存在するためにのみ、何十億、何億、何千年をかけ、都合よく着々と準備されつづけてきたこの世のシステムを、科学が解き明かせば明かすほど、そのようなしつらえをセッティングできた「全能の創造主がはじめにありき」でないと、まずは論理として理解できないはずである。
・・・が、一方で、人間の認識である智(心)は、いつからなのか、暗く、鈍くなり、その創造主を認識できないまま産まれて来るようになった。だから、現代人は誰一人として、神のことも、人が生きる意味も、死後のゆくえも、なぜ時間が存在しているのかも、明言できる人がまったくいないのである。
しかし「神は存在する」と信ずる多くの名も無き信者と祈りの人がいる。
いや「神は死んだ」というツァラトストラや哲学者がいる。
この世の表層の、物質・生物の進化論だけに固執し、その始まりに言及したがらない科学者もいる。マルクスレーニン主義のように、人間が人間のためにシステムを改革したり、こさえ上げたりするのに、ただヤッキになっている人がいる。
この唯一無二の、かけがいのない地球上で、今も、
国同士で、民族同士で、人間同士で、いさかいを、戦争を、人殺しを続けて、やめない。
自分たちこそが神の選民であり、存在する価値があるし、固有の土地を守る義務があるし、そう教典に書いてある、と言っては、ユダヤ教徒とイスラム教徒がおんなじ聖地をめぐり、「おれたちのものだ」「いや、おれたちのものだ」と争いをやめようとしない。同じ穴の狢、おんなじ出発地から出た2つの宗派なのだから、聖地はいつまでたっても同一のまんま、しかし教義が違うのでいつまでたっても和解することがない。人間のおろかさの典型を見せられる思いである。聖地といわれるエルサレムの黄金のモスクと嘆きの壁が見える西門の広場にはいつも、その周囲にイルラエルの自動小銃をずっしりと持つ小編隊が警戒している。そんな街なかで、ユダヤもイスラムも渾然となって、買い物をしたり、飲んだり食べたり、銀行に言ったり、郵便局に並んだり、バスに乗ったり、タクシードライバーに値段の交渉をしたり、死海で泥パックをしてはひと時プカプカ浮いたりしている。市井の人と交われば、どこもかわらぬ親子であり、夫婦であるのに、何故こんなメビウスの輪のような、永遠に続きそうな争い事になってしまうのだろう。独善のアメリカ、それに歯に歯をもって、極悪非道の報復で対抗するオサマビンラディンのアルカイダ、前時代的独裁国家、台頭する13億中華民族・・この地球に明るい未来はあるのか。
私は半世紀近く生きてきた今でもわからない、人間が性悪なのか性善なのか。
ただいつも、自分の暗くなった智(心)のかすかなうなずきや導きに耳を傾けつづけてきた。そして、これからも。
何でも同じ、仕事の段取り
Nov.4,2005
11月3日の国民の祝日に働く私を含む皆様、全員、非国民で訴えられることでしょう。
さて、今は花製造屋さんに見習い修行中の身ですが、6ヶ月がたってわかったことがあります。前の仕事のとき、「寿司屋と同じで、仕事は仕込みがしっかりできれば、8割方終わったようなものだ」を口癖にしてきた。そうしてそれは、まったく違う今の仕事でも、おんなじだ、と。
①今年は何の花を、どんな色を、何万作るか、トレンド研究と戦略を立て
②どのハウスに何を植え、空き期間は別の何を植えるか、計画作成
③培土、種、苗、ポット、トレーなどの仕込み道具発注
④パート要因の確保準備
⑤年間の作業を人員割、それを月単位、週単位に細分化
⑥実際の植付け、水遣り、出荷準備
ここまでやれば、出荷という本番は、あとは天候と運送屋さんの腕と運次第である。
一つのことに通ずれば、何でも同じ、だってことがようやくわかった研修生。だた働きの今ですが、もっともっと吸収しますよォ~、若者に負けず貪欲に、精鋭に、ヴェンチャー中年Oyazは。
ボーダレス時代、表示博覧会、TV報道の意味
Nov.3,2005
韓国と中国がキムチ戦争をはじめたとか。
日本でも中国産のホーレンソウの残留農薬の多さが問題になったし、
最近では、韓国と同様、中国産野菜から寄生虫の卵が検出されたとニュースになった。その原因は、中国では今も人糞を肥料として畑に撒いているから。
日本も30年前はそうするのが当たり前だった。
だから農家の便所は外だったし、畑にはそのダラを貯めておくタメオケが掘ってあり、そこにつッパいった小学生が、1週間もその匂いがとれなかった、なんつう話題は普通にあった。中国同様、日本人にも寄生虫が住んでいたのだ。2mにもなる十二指腸カイチュウなるものがみつかって入院する同級生もおった位だし、そのため小学校では寄生虫検査が定期的に行われていた。東京の目黒駅から100mほど歩いていったところに寄生虫博物館があるのも、そのなごりである。
産地表示が義務化されてから、最近のスーパーの食料品を見ていると、実にボーダーレス時代を身近に感じる。ブラジル産鶏肉、チリ産ウニ、ニュージーランド産カボチャ、中国産ニンニク、タイ産エビ、アラスカ産子持ちシシャモ、豪州産牛肉、フィリピン産アスパラガス、イラン産ピスタチオ、北朝鮮産ハタハタetc.
これらのものにも、残留農薬や寄生虫、BSE、北朝鮮産ハタハタに入っていたような鉛や重金属、PCBその他もろもろ、何が混じっているのかわからない訳である、疑い始めたら。かといって日本産は大丈夫か、といえば、必ずしもそうでもない。農業研修生1年生のOyazは初めてわかったが、ブドウやりんご、ラフランスは、除草剤以外の農薬を10回までかけていい(農家の人曰く「規制が厳しくなって今は農薬を10回しかかけられなくなった」)のだそうだ。山形名物ラフランスやりんご、サクランボにいたっては、それにつくダニを「農薬散布」するというよりは、大量の水で洗い流すようにダップリと農薬をザブザブかけているのが現状である。それを、洗いもせず、うまそうに皮ごとかぶりつく子どもを、秋の味覚も本格的です、なんてTV報道する報道機関の無責任さってなんなんだ!って腹をたてるのは、変わり者Oyaz一人ですか。
食の安全、というか、食の危険を感じたら、もはや自分で作るしかなくなる。虫くいの穴あき野菜。完全無農薬の取り立てで、オイスイ、のである。安心は、ちょっとだけ手をかけ、自身で作るもの。売るほどづぐんねくってイイがら、ねぇ日本人、農業すろよォ~!
星と砂
Nov.2,2005
夕闇の仕事の帰り道、夜空に宵の明星がまたたく。
これからもっと寒くなるといよいよ星空ははっきりとクッキリと見える季節がまた近づく。
朝5時、畑に自転車をこいで、くらがりを行く。
夕べの金星が今度は明けの明星としてオレンジがかって瞬いている。
その頭上にシリウス、左手に北極星が白く輝く。
自分は高校生のとき、紙を細長く切って、糊でつないで、部屋の壁にぐるりと貼って、
人類が誕生してから何億年、歴史的文献が残っているのから数えて何千年、
と自分の一生80年とした時の、時間をその紙に定規のようにメモリをつけて書き出したことがあった。そうすると自分の一生なんてほんの数センチ、数ミリなのである。
『竜馬がいく』を読んで、大河ドラマを見て、Oyaz少年も竜馬にひかれていく。
それは幕末を近代に動かした、駆け抜ける風雲児竜馬、というよりも、
寝ションベンたれの竜馬が、乙女という強い姉のもとだんだんとたくましくなっていく過程や、千葉道場でこめかみのビンの毛が擦れるほど剣道の稽古に明け暮れてつよくなっていくことや、だんだんとそういうなっていく男の、革新的でとらわれない柔軟な思考、キモの据わり方、豪快さ、ダイナミックさ、に惹かれていたのである。
つまらないことでクヨクヨしたり、おちこんだ時は、よく海に行った。
広々としたキラキラした海原を眺めながら、「竜馬だったら、どうしただろう」と思った。
そうして、一握の砂である自身の小ささに、笑うことができた。
オーストラリアの内陸部でキャンプを張った27歳。
まわりに人工的な電気がまったくない真っさおな夜空に、
大づぶの星星がそれこそ降るように、手の届くようにきらめく様に圧倒されたことを
昨日のことのように忘れない。
考えない葦
Nov.1,2005
なんでパスカルは「人間は考える葦である」と言ったんだろう。
何故「猿」ではなく、動物でない、植物の「葦」だったのだろう。
葦は紙の原料になったから、「人間は考える、まだ真っ白な紙のようなものである」とでも、インテリっぽく言いたかったのか。それとも、もともと人は植物のように土から生まれ、ただ動植物と違った「自分で考える創造力」がそなわっている、って言いたかったのか。
上ふたりの娘たちもそうだが、職場でも、今時の若者は、携帯を片時も離さない。休憩時間ともなれば、皆でお茶する間も、一人モクモクと、携帯の画面を見たり、メールを打ったりしている。これってまず、みんなで世間話に花を咲かせる空気の中、大変失敬な行いのように思えるのだが、若い衆はそんなこと考えもつかない風である。人前で男女がいちゃつくことも、電車内でキスすることも平気になった日本人って、アメリカっぽくなってカッコよくなったわけでも何ともなく、ただ下品に失敬に無礼に行儀悪くなっただけだ。Oyazに言わせりゃ「日本人は考えない、テレパシーのない、感度の鈍い、金髪の携帯電話である」だ。
修行が足りんのだ。学が浅薄なのだ。儒教も仏教もキリスト教もユダヤ教もイスラム教も、礼儀作法も何も知らないのだ。学科ではナク、人間の勉強すろよ。農業すろよ。機械を仲介にしないとできないコミュニケーションにばかり、本末転倒で、縛れんなよ、若者たち。