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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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話す・聴く、授ける・受ける、作る・使う

Jan.31,2006

『蜆(シジミ)売り』の演目で桂福團冶という落語家が精彩なく高座にでてくる。
開口一番、「疲れはりまっしゃろ」
「・・・わてかてもう疲れましたヮ・・・40年もやってまっさかィ・・・からだが一番大事でっから、みなさんも適当に聴いてヤ・・・こっちも適当にやりまっさかい」
心もとなく弱弱しくも、風体も目鼻立ちも貧相でパッとしない、が、陰気なオカシミをかもし出していた。
チャキチャキの五代目志ん生が好きな東北いなか人は、この手の上方落語は、ハナから気乗りがしない。
つまらそうに、聴くでもなく、聞き流しす。

「アチャリィ~・・チジミッ!・・・・アチャリィ~・・チィジミッ!」12~13歳の坊やが凍てつく吹雪の中、蜆を売りにくる。
寒風吹きすさぶ川から採ってきた蜆を、ザルに山盛りにしたのを天秤棒でかついでいる。両のザルの蜆の山が雪をかぶって真っ白だ。坊ずのやせこけた手が、こごえ、かじかみ、ちじこまる。ハッーと息を吹きかける。耳が冷たいを通り越し、痛い。吹雪に目がよく開けられない。
「アチャリィ~・・チッジミッ!」
向こうに赤い火鉢を囲む大人たちの姿が障子越しに見える。
『あったかそぅャなぁー・・・・そや、あん人たちに、こうてもらおっ』
「オッチャンっ!ちじみコーテっ!」
「いらんッ!!」―――――(ピシャリッ)

・・関西弁の間、丁丁発止のやりとり、その調子に乗って、次第次第に話が活気づく。疲れて枯れていた始めの落語家はみるみるうちに名調子語りの講談師となり、力強く息づいてきた。何の道具建てもない舞台に、上手には天秤棒を担ぐ蜆売りの子どもが雪の中をはだしの草履姿で歩いて来、下手にはそれを買わん出て行けという大人たちのいきいきとした関西弁がまくし立てられる。十人も居ようという人情芝居が、たった一人の噺家の口車で、まるで眼前に浮かび上がるように見えてくる。その話し手・桂福團冶がもっているのは、閉じた扇子と手ぬぐいきり。

文字どおり裸一貫、ふんどし一丁、徒手空拳。落語家は、口とセンスと手ぬぐいだけで勝負する。それは俳句や短歌にも通ずる日本独特の文芸の一つといえるのだろう。柳生宗悦が民芸運動で言及した「器はそれだけでは8割しかできていない。食器も道具も使う人に使われて初めて完成する」に相通じるものがあるようにも思える。聴き手、読み手、使い手が、「参加して」はじめて成り立っている。ゴテゴテと装飾し、大道具・小道具を取りそろえて形作るのではなく、シンプルな道具建てのなかで「互いに心のやり取り」をして初めて成り立つ日本の芸。茶の湯、能、狂言、落語、俳句・・・肉体ではなく「心」、金をかけるのではなく「感性」・・・貧しくても絶えなかった日本の文芸とはなんだったのか、合点できそうな、そんな一席を聴いた。笑って、引き込まれ、そして最後に、ほろっと泪。

またひとりウソこぎバカニッポン人(バカポン)登場

Jan.30,2006

こんどは『東横イン』の西田が、ウソつき、偽装、ハートビル法・建築基準法違反である。
そのバカ社長の西田憲正は「車を運転していて60kmのところ67~68km出ていたが、ま・イッカ~って感じで」{部下がした}改造を認めたのだとTV記者会見でシャーシャーとふんぞりかえり経営者然としてしゃべっていた。「金で人の心も買える」と書いたゴーマンホリエも変だし、「オジャマモンならぬオジマモンと呼んでください」と偽装事件の渦中にいながらインタビューで一人はしゃいでいたバカも変だったが、今回の‘いい気になりすぎたシャジョー’も超、かっなぁり「ヘンっ!」である。

ハートビル法(高齢者と身障者が円滑に利用できるように基準を定めた建築促進法)では、ホテルには身障者用駐車場1台分以上と、身障者用客室を2室以上設備することが定められている。今回の東横インの横浜市中区に新築したホテルにはそれらを全て設備し、市の立ち入り検査も受け、営業許可がおりてから、その後すぐの改装だったというのだから、極めて悪質で意図して行った故意の重大犯罪行為そのものである。そういう意味では悪いこと・法に違反すると自覚しながら法を犯す最強タッグ‘ホリエモン&宮内リョージカルテッド’と姿勢はまったく同じである。そりゃぁわれわれ一般庶民だってスピード違反もすれば、ちょいとだけって駐車違反もしますよ、しますけれどもだ、それはその時その時の交通の流れに乗って逆に流れを損ねない「ハンドルの遊び」や「すんません、すぐもどりますからっ」ていう常識・良識の範囲内なのであって、今回のアンタの言う「67~68km出ていたが、ま・イッカ~って感じで」高齢者や身障者施設をとっぱらうのとは、まったく訳が違うのだ。これからますます高齢者がホテルのお客さんになろうというその矢先、われわれ東横インでは「高齢者と身障者はいりません、ほかのホテルにお泊まりなさい、ウチでは泊めません!!!」って日本中に振れ回ったようなものである。自分で自分の首を絞め、墓穴を掘ってしまった。アガスケ、増長、傲慢もはなはだしい、バカの骨頂を見る思いである。

思い返せばかくいうワタクシ、一度だけこの会社に願書を書き、山形駅西口店の支配人になろうとしたことがある。その時の求人広告には【90%が女性の職場です】ってわざわざ大きく但し書きが書いてあった。今にして思えば、それは【男性の方お断り!!!だから応募しても無駄よっ!】ていう、やはり、偽装まがいの求人広告だったんだなぁとわかる。今回の違法改造同様、はじめっから男子を採用する意図なんかさらさらなかったのだ。こんな求人広告の狡猾な表現方法ひとつ取ってみても、今回発覚した事件と、まるで経営体質がおなじだったんだ、と強く感じた。一度とはいえ、こんな不良な会社を選ぼうとしていた自分が逆に恥ずかしくさえ思えた。

いったい1億2千万人ニッポン人の何千万人がウソツキなのだろう?この先、あと一体どれだけ有名偽装社長は登場してくるのだろう。国土交通省は日本の全民間会社を一斉総点検してみたらいい。そして総務省は「ウソツキ国勢調査」でもしてみたらいい。結果は「総ウソツキだらけのニッポン人」「ジャパンイズウソツキ№1」だろうか。なさけなくも、下の下のゲまで、成り下がってしまったこのニッポン民族デアル、嗚呼わが祖国ヨ、である。
「♪カ~ネノタメなら~・エーンヤコーラぁー・モ し と っ おまけ-にィ~・・・」(NHKスペシャル・国宝:ニッポン金もうじゃ炎熱地獄図)

(^O^)人のもつ力

Jan.29,2006

週末、カミさんが病院から外泊許可をもらって戻ってきた。
来週から始まる抗薬点滴投与用に、鎖骨下にカテーテルを埋め込む手術を前日おえたばかりだった。
4cmの縫合キズを見れば、麻酔の切れたあとがいかにも痛そうだ。
痛み止めと睡眠薬を処方してもらってきていた。
朝、花やに出かける前にワタシはカミさん宛てにメールを送っておいた。「カテーテル埋め込んだ左胸痛くない?大丈夫っ?」
「うん。痛み止めの座薬をいれてもらって、睡眠剤も飲んだからよく眠れたよ。
部屋の人とも仲良くなって夜はおしゃべりをして、笑いあったし・・気を付けていってらっしゃーい!」

花やの仕事からあがり、2月1日から勤め始める老人ホームで打ち合せをし、そのあと病院にカミさんを迎えに行く。

家に戻り台所に立つ。19時になろうとしていた。すっかり腹がへってしまった。おいしいOyazのディナーを待ちくたびれた3人と2匹で夕餉の団欒を囲む。
末の娘の安心感と、ワタシのそれは当然にしても、
我が家の白ネコ君二匹も「いるべき人がいる」安心感を味わっているように、落ち着いているのに気づき不思議に思えた。
動物にも伝わっていたカミさんのもつ優しさや包み込むあたたかさ、自分たちをかわいがってくれる愛情、そんなものがこのネコたちにはわかっているようだった。オレには一度として来ないのに、カミさんにはチョコンと膝の上におさまる2匹だった。

ひと時の平凡でささやかな貧しい、だけど幸せな我が家の夕食風景。4人部屋のおなじように重い病気を抱えた、けれどめげながらも明るく快活な人々の話がカミさんの口から次々と繰り広げられた。3~4日いただけなのにこのカミさんたらもう1ヶ月も入院しているみたいに仲間に打ち解けているのがよ~くわかった。それが彼女のもつ長所のひとつでもあった。そのおんなじ悩みをもつ仲間に勇気と希望をもち、互いに励ましあったり泣いたり笑ったりする病院生活という環境が、逆に彼女を明るくしているようだった。身の回りをめんどうみてくれる1番接することの多いナースの皆さんたちも他病院とはまるでちがうスマートさと笑顔とあいさつが身についており、とても感じが良かった。この病院には名医がおり、快活な折り目正しいナースたちがおり、その雰囲気に包まれて自分たちも明るくなっていく病人と同じ境遇の仲間たちがいた。みな深刻で重大な病気を抱えた人々なのに、なぜか、日増しに、元気に、明るく、健康に、なっていくように、ワタシの目には見えた。人間の持つ「気」の相乗効果って確かにある、と考えていた。

『500分の1の奇跡』

Jan.28,2006

‘アメリカの良心’と言われる人:ノーマン・カズンズ、カリフォルニア大生物学教授。博士はある日、強直性脊椎炎という難病にかかる。原因が見つからない病気だった。遺伝子に問題があるんじゃないかと研究が進められたが、原因不明。その病気になると5%の人が急速に進行し、重度の障害を受け寝たきりになる。

主治医に、博士は治しようがないと宣告される。医療では治しようがないので、自宅に帰り寝たきりの生活を続けてくださいと、医者から見放されたのだ。それで博士は、毎日ベッドの上でただ天井を見つめる生活を送った。そうすると、友人・知人がだんだんお見舞いに来なくなった、あの博士はもうだめだ、一緒にいても何の役にも立たないと、どんどん離れていった。最後には家族にも見放され、愛していた大切な奥さんも去っていった、子供たちも。たった独りぼっちになった、そういう経験をした博士だった。

それから博士は、不治の病の宣告を受けたあとの自分の心の働きを、生物学的見地から自身で分析していく。そうしていく中で、彼はその難病から奇跡的に、どういうわけか、まさに奇跡的に機能を回復させてしまう。そして再び大学の教壇に立つのである。そしてまた、世界各国を回りながら、講演活動を始めた。しかしその後再び不幸が訪れ、心筋梗塞でまた入院し、ベッドの上の寝たきり生活を余儀なくされた。けれどもまたして彼は立ち直ってしまう。そういう「奇跡」の先生である。75歳まで生きた。

その「病気を克服する」自分を記録したのが『500分の1の奇跡』という本である。難病に打ち勝ったその奇跡をもたらす妙‘薬’とは、一体なんだったのだろうか?

それは、誰もがた易く手に入れることのできる、たった2つのものだった。
しかしそれは、病院の薬局では処方してくれない。
そしてそれは、何億円も持っている大金持ちが、買えないものでもあった。
むしろ金なんか一銭もかからぬ、それは、まさしくタダの「笑い」であった。人は笑うことで「心」や「精神」が活き活きとしてくる。すると自然と肉体までもが元気づいてくる。そのことに、その、人に組み込まれている奇跡の法則に、博士はこの時気づいたのである。

もうひとつの‘薬’も、それこそ種がこぼれりゃその辺にたくましく自生するパセリだった。細胞を活性化する働きのあるのは(ビタミンC)であるから、それを多く含む「パセリ」を食べれば、細胞の一つ一つが元気になるはず、と博士は考えた。「パセリ」を食べるだけで、人はレモンの数倍のビタミンCが摂れることも確認していた。

難病に打ち勝ったのは、たったこれだけだった。たったこれだけだったが、これで、「ブッラクジャック」も治せぬ病気を治してしまった。ノーマンカズンズは科学万能の時代に生きている我々に、人の原点:「自然治癒力」と「肉体をリードする精神」を考えさせつづける。

品格なきシュールブー:日本、この国の形

Jan.27,2006

20数カ国の外国を見た。その末に、自分は原点の「日本の百姓」に立ち返りたいと思った。

そう思うようになったのは、日本の南北に細長く自然の恵みの多様さ豊かさを持つ東の際のこの島に立っていると、四季のうつろう美しさ、肥沃な土の黒に緑のコントラスト、どこでも飲める水と川、樹木と山菜に覆われる山里、その向こうに連なる雪山の峰々、湿り気の多い空気と雨、その環境が織り成す人々の風情と情緒、それらが、決して世界のどこを探しまわろうとも見つからない、ふたつとない、希有な奇跡だ:と、ようやっと、今更、ボンクラ頭にも気づいたからだ。けれど、たいへん遅すぎる気もする。・・・まだ気づかないあふれかえる超ボンクラに比べれば、月とスッポンほど違って、マダマシなのかも知れないが・・・(「勝ち組・負け組」という拝金主義時代はまもなく終わりを告げる。その次に「文化的階層社会」が訪れる。金にとりつかれた「バカ」は絶対に「文化的階級」には決してのぼれない。そんな「バカと文化を隔てる壁」ができてしまう時代だとか)・・・この国の農業の滅亡に私の非力な参加が何の役に立つのかわからないが、やってみようを思うのである。・・・今日もどこかの百姓のせがれが、日本の田園風景からシャコタンでをさっそうと去っていく・・・(世界一美しい黄金の島の農業を見捨てて・・・ホトホト・・・文化的貧民であるっ、キミたち!!・・・「精神的シャッターガイ」と呼ばれるゾっ!!)・・・涙が出るこの国の「バカ」の形。

「汗」をかいて「心」をつくせよニッポンジン

Jan.26,2006

23日夜ホリエ逮捕。
24日朝刊朝日新聞1面‘極秘で捜査’「・・・昨年4月、大鶴基成特捜部長は就任記者会見でこう強調した。額に汗して働く人が憤慨するような事案を困難を排して摘発していきたい」。
故後藤田正晴のような一徹親爺がまだ日本の特捜部にはいた。

人間「金」じゃぁない。
「頭」じゃぁない。
「汗」である。
「心」だ。

時価総額7000億円まで稼ぎ上げたマネーゲーム世代の象徴的な男ホリエは紙面トップに踊り出て、逮捕されて、あっというまに自家用ジェットのベッドからブタバコの煎餅布団に入れ変わった。まるで「王様と乞食」ゲームの主人公だ。「ネットで世界一の会社になる」と豪語していた若者。世界一の大富豪にまで登りつめた西武の堤義明もそうだった。「金のもうじゃ」の顛末とはいつもこうなのか?あれだけ騒いでいた世間が、もうホリエモンのことも堤のこともヤオハン会長のことも、誰も口にしなくなった。

人生、明日は何が起こるかわからない。
半世紀近く生きてきた私たち夫婦にもそれは突然来た。
昨日まで元気にしていたと思っていた妻が、実は病気を病んでいた。
こんなちっぽけで、金のない、つつましく、平凡な、普通の家に、なんでこんな大きな試練が突然投げ込まれなければならなかったのか。
本人にも家族にもあまりにも大きすぎる困難に思われ、みな「事実を受けとめる」だけで精一杯で、青息、吐息で、本当はいまだに力が入らない。

「そこを乗り越えろ!」と神が備えた壁。しかしなぜそんなにも高いハードルを準備した?
「おまえ達なら乗り越えられる」とでも言うのか。
乗り越えられるからこそ与えられた‘試練’だと言うか。大きすぎる残酷な試練だ。
貧しくも美しく燃えよとでも言うか。
全く人生の折り返し点に、私たちは待ったなしに立たされた。
ふたりともタイムリミットに向って前向きに明るく「汗」して「心」を尽くして生き抜くだけだが、頭でわかっているのと実際は違うのだ。時々、なかなか力が入らず、威力が、踏ん張りが、効かない。もどかしくも、そこにある物が、手が、指が、こんがらがって、取れない。


現実を事実と受け止め、明るく生きる

Jan.25,2006

人間の価値は「お金」ではなく
人の人生の豊かさは「出会い」に依るのだ、と思うようになった。

突然、ニョウボは重い病気をかかえていることが告げられた。
予定していた手術が当面見送られ、抗薬の点滴療法に変えることとなった。

インフォームドコンセプトのための説明が、主治医からあった。
冷静に、ゆっくりと、しかししっかりとした口調と論理で、その先生は我々に語られた。

重い現実で、逃げられない事実にニョウボは思わず涙した。
事は一段と深刻な事態にまで及んでいることをふたりともよく理解した。

原因細胞が全身にまわっていること、局所を摘出しても生存率に変わりはないこと。
ならば抗薬投与をまず行ってみて、薬が効くかどうかを確かめてみるほうが良いこと。

ワタシはキリスト者であり、祈る者であり、念仏も唱え、お不動様にも頭を下げる。
そのワタシとニョウボと我々家族に「なぜ?この試練?なぜ今なんだっ?」と、天の采配の無慈悲と残酷さを恨んだり嘆いたりしたいところだが、今は不思議とそうは思わない。

それはあらたなドクターAとの「出会い」があり、彼に任せよう、という信頼が我々に芽生えているからに違いないと思った。事は重大・深刻だが、先生はまっすぐな目で、淡々とした中にも余裕とあたたかい笑みをまじえながら話してくれた。何十何百という病人と家族に、いつもこの先生は逃げることなく向き合ってきたのだと思った。落ちこむ当人と家族に、真正面から真剣に面倒くさがらずに、手を抜かずに、時間をかけて根気よくお話をし、そして納得と信頼の上ではじめて彼は処方し、オペを行ってきたのだ、とよくわかった。その誠実さが伝わってきた。彼に任せよう、とふたりとも思った。

ニョウボもやっとふっきれたように、腹をくくった。
あとは明るく、気長に、あせらず、病気と付き合っていくだけである。
「ニョウボも、そしてこのワタシもどうかあと十年、生かしてください」と祈るようになった。



数年ぶりの休肝

Jan.24,2006

23日、妻を病院へ送った。
今日から娘とふたりっきりである。
娘もさぞ心細いだろう。
花やから夕方もどる。
電話が鳴る。
おとといドタバタと蔵王の麓を駆け上って受けた就職面接先からの採用の知らせだった。2月からは、夜勤に入る。
朝あらかじめこぬかで下茹でしておいた雪堀り大根に、練り物を加えて味付けしたアツアツのおでんを一品。
サンマを三枚に下ろし、娘用に片栗粉をまぶしてソテーにし、あとはネコ君とOyaz用の焼き魚ができた。
頭も骨も出刃包丁でこまかくしてあげ、やったのに、猫たちはいつにもまして食べても食べても「腹へったコール」をやめない。
そんな、めずらしい、ふたりと2匹の静かな夜。
いまごろ妻は味気ない病院食を食べているのだろうと思った。
一人、酒を飲んでも、虚しかろう。
お笑い見ても笑えぬだろう。
大酒飲みが酒をやめ、ニョウボの好きな琴欧州をまね、ヨーグルトを食べて、寝た。
外は静かに冷たく、雪は降っていた。

ゴドーを求めて

Jan.23,2006

スーサイドする人は突然死んだ訳ではない。
雨が石を長年穿ち穴をあけるように、自殺者も長年の蓄積の果てに果てるのだ。
と、不条理をえがいたカミユは言った。

何の変哲もない貧しくも時折笑い声の聞こえる平凡な普通の人々の日常が、
「あなたはコレコレという病気です」と宣告されたばっかりに、
きのうまでとは全く違った心持ちとなり、世の中が全く異なる世界に見え出し、人格が変容してしまったかのごとくになることがある。

東京のオジの訃報がきのう届いた。
腰が悪く買い物にもいけないそのつれあいが、子もなく、言葉どうり「天涯孤独」となって一人この世にとり残され、狼狽していた。

亡くなったオジの弟は、1週間前、盲腸が破裂し腹膜炎を起こして入院していた。
だからアニキの葬式には出られない。代理の奥さんも足が悪く、アルツハイマーで出られない。一人残され、オロオロしていた。

アルツハイマーの母親を仙台にいる息子の嫁さんが埼玉まで迎えに来た。
つれあいのダンナが退院するまで面倒を見るためだ。その息子夫婦の次男は自閉症だった。嫁さんは来月子宮ガンの摘出をする。

大学の友人が最愛の奥さんを昨年突然亡くした。独立開業した矢先のことだった。それでも彼は毎日朝から晩まで仕事をこなした。レジには奥さんと友人が仲良く立って客を迎えるはずだった。そこに今は自分一人だけが立ち、そして1年が過ぎた。

その彼からハガキが届いた。気丈な文面だった。でも心が寂しさと空虚で充満しているのが自然と伝わってきた。サミュエルベケットの『ゴドーを待ちながら』を思い出していた。







急転直下

Jan.22,2006

おととい接骨院に行って来た。
昨年12月の1ヶ月だけバイトしたサラミ工場で痛めた左手親指の軟骨らしきものがポコリと突き出たからだ。亜脱臼ぐらい放っておけばそのうち治る、と思っていたが一向に力は入らず、カクンカクンと第1、第2間接共に音がする状態のまま一月がたっていた。診察結果は「腱の亜脱臼」。マッサージし、電気をかけ、テーピングで固定した。親指の腱も、右手中指のそれも使いすぎが原因だという。荒廃した畑の開墾、サラミ工場でののし方、いずれもこのいずれもこの手この指が働いてくれたおかげの“名誉の勲章”には違いなかった。

昨日、老人介護施設の夜間宿直のバイト採用の面接に急遽出かけた。
10日の勤務で、月70,000円になる。
夜勤といっても仮眠もできる。
日中はほかの仕事ができるし、
泊りこみだから、禁酒もできる。
無収入の続く今の状態で、少しでもお金の補充が必要だった。
早晩、銀行口座はマイナスになるだろう。
「餓死して死ぬほど今の日本で難しいことはない!みな何かしら働いて食べてたくましく生きているんですよ、だからあなたも・・・」
ラジオから聴こえていた人生相談コメンテーターの言葉がふと思い出されていた。

妻にそのことを報告する。
中2の娘を夜ひとりにする気か、と意外なことに詰められた。
今の妻と争いごとはしたくなかった。その話は一方的に、こちらからよしにした。
逆にいらぬ心配をかけたと話したことを後悔した。
なんでも正直に話してはいけない場合もあると自覚した。

介護施設はスキーのメッカ蔵王の麓にある。
きょうは急な面接で、たまたま車がなかったので、腹をくくって、雪道に自転車を飛ばし、背広姿で山道をドダドダとかけのぼった。面接時刻にギリギリ間に合い、氷点下の空の下汗だくでかけこんできた百姓面の男に面接官もあきれ顔だったことだろう。終了後、急いで帰宅。2時間半が過ぎていた。外はとっぷり暮れていた。久しぶりのクロカンに両太ももが悲鳴をあげていた。無性に泣きたい気分だった。世の中が真っ暗に思えた。


水が浄化され貝が生きかえり誤診が減る

Jan.21,2006

 「マイクロバブル」という革新的技術装置があることを知り、そんなにも養殖漁業で有効なら、施設農業にも応用でき、相当有効になるに違いないと、ピンと来た。

・・・「ホタテの貝柱の品質向上が得られた。これは食べてみるとすぐにわかったが、マイクロバブルのホタテは、やわらかくておいしく、グリコーゲン含有量が増加していた。ここでの壁は、カキと同じように、その成長促進と体質改善の原因を解明すること、とくに、水槽内実験で行ったホタテ体内の金属物質の除去問題の検討であった。・・・成長促進、とくに稚貝の成長促進が著しく、その程度は、従来の養殖期間を半減させるほどのものであった。すなわち、2年かかる養殖が1年でいけるほどの成長促進が得られた・・・」

これだけ読んでも、ただならぬ「魔法の薬」が使われたのかと思ってしまう。ところが、それが私たちの周りに普通にある空気の「泡」なのだと知り、一層、ビックリした。

そしてもっと驚いたことは、「マイクロ」だとか「ナノ」だとか呼ばれる域まで達すると、何ミリかを境に、「泡」同士が合わさって次第に大きくなって行くのとは反対に、「泡」がどんどん分化して益々小さくなる性質を持っているということ。これは、宇宙で起こっている「爆発」の逆の「爆縮」に似ている。星が合体を繰り返しある大きさを超えてしまうと重力世界に存在すること自体が不可能となり「爆縮」が起き、ブラックホールになるというあれである。

その夢のような万能泡は、さすが「強欲ニッポンジン」、すでにいろんな分野に応用し金儲けに役立てられていた。工場廃水の浄化装置、牡蠣・ホタテ養殖の有酸素泡装置、美肌泡風呂、銭湯の除菌装置、農業用潅水装置などなど。そして何よりも画期的な最新の応用のひとつが、超音波装置に映し出される断面図を従来よりも倍以上に鮮明に映し出す「血液投与剤」に使われ、実用化されたことである。このことにより病院での超音波診断による「誤診」が格段に減少するだろうといわれている。

勿論、そんな技術とが別個に、普通の平凡でつつましく小さな幸せを守っている庶民の生身の人間である我々は、ひとたび身近な大事な家族に何かがあれば
「どうか神様、誤診であってくださいっ!」
って、逆に切に
誤診を
願って
やまないのであるが。

特捜のキレモノが怒った

Jan.20,2006

一足飛びに儲けを出して、巨万の富を得る者が居る。
彼らを見ていると毎日コツコツと働いてあっという間になくなる給料しか得られない者は、腹が立つなら、愚弄された気がするやら、馬鹿らしくなるやら。

数年前『金持ちとーさん貧乏とーさん』という本が日米でベストセラーになった。
その現象が象徴するように、少なくともアメリカ人と日本人は、「金持ち」=幸せ(勝ち)という価値観を持つ人が相当数にのぼるのだとわかる。

そうして今回の「第2次株式バブル」である。今回の景気は明らかに「バブル」だ。
PCから携帯から、手軽に株式や先物に売買注文できる「ネット取引」がひろがっている。それは、我々ごく普通の貧乏人一般大衆が、携帯電話を(ワタシ以外)みんな持つようになったように、みんな一攫千金をモクロミ、ネット取引に参加しだしている、ということである。だからこそ、最近の株や相場の動きが過剰反応し、上下にジグザグに揺れるのである。ホリエが買うそうだと聞けばホリエの買おうとする株に便乗し、殺到し、アレはウソだったそうだと言えばマズイマズイとオロオロと「狼狽売り」して大損をするはめになるのである。それもこれも一般庶民個人投資家が生半可な知識とニセも含めた情報に始終耳をそばだてながら、せっせとせわしくピコピコと何万人もが1分1秒をきそってネット取引をくりかえすために起こっている現象なのだ。腰のすわったまっとうな投資家はガタガタと「狼狽売り」などはしない。プロなら、本当に社会に貢献する会社であるのか、将来性ある会社か、環境に配慮した会社か、普通の庶民の平凡な幸せな毎日に寄与したいと考えている社長かどうか、ちゃんと見て、投資先を決めて、十年後の成長株かどうかを選定しているのであるから。今の一般大衆にわか投資家の9割はいずれ大損をして市場から去っていくだろう。10数年前にバブルが一気に崩れた頃のように。そして今回の破綻が来るのは前回と違ってもっともっと早いような気がする。それは以前のにわか投資家は、ある程度所得のあるおとっつぁんやOLたちだったのと違い、今回の墓穴組は、金のない若者たちが多いからである。みんな第二のミキタニやホリエを夢見て、金持ちとーさんを気取っている。けれど残念ながら間違いなく9割は失敗し無一文になって「更なる貧乏とーさん」に生まれ変わることだろう。

そもそも我々一般大衆と六本木ヒルズ族を一緒くたにすることからして、まずスタートが間違っている。彼らは極悪人だが、やっぱり、庶民とは違う頭脳の持ち主なのではある。ハーバード大出であり、東大出であり、書棚をまとめ買いする・百科事典を読破してしまう・六法全書とプロの税理士の知識を持つ、並でない頭の良い連中なのである。ただ「心が貧しい」のだ、いやしいのだ。まだ人のしていないことをやったり、人が気づかないうちに儲ける盲点を見つけ出したり、抜け道を見つけたりすることが得意に思う頭でっかちのこまっしゃくれた生意気なガキなのである、百姓から言わせてもらえば。だからこそ、こんなOyazと気持ちを同じうする東京地検特捜部のある「キレモノ」がきっと動いたに違いないのである。

「ホリエー、今回は『想定内です』なんてぁ言わせんゾッ~!特捜にも東大出のビッガビッガのキレモンが居ることを思い知らせてやる。ナメンナヨッ小僧っ!」
そんな凄みが聞こえてきそうな、天下国家あげての獄門ホリエ召し取り物語だ。


戦後現代史は悪行史

Jan.19,2006

 37年前、北九州市の米ぬか油製造会社「カネミ倉庫」がカネミ油症事件を起こした。米ぬかぬか油にPCBが混入、熱せられたPCBは猛毒のダイオキシンとなり、それを人が口にしてしまった事件だ。「ダイオキシンを食べた」歴史上例のない最悪食品公害事件である。過去に数々の人間人体実験まがいの重大犯罪をおかしてきた同じ我々日本人は今日も、こりもせず、会社ぐるみで犯罪を犯しつづけている。そんな大人を見ている今の日本の子どもたちがどうして良い人間に育つっていうのだろう。育つっ訳がぁ無いだろうっ!!!!て大声で叫びたくなる、悲観する、ことがある。

<カネミ油症事件>
1968年に九州を中心に発生した米ぬか油による集団食中毒事件。カネミ倉庫の米ぬか油製造工場で脱臭のため熱触媒として使っていた鐘淵化学工業製のPCB(ポリ塩化ビフェニル)が食用油に混入したことで発生。カネミ油症となった母親から生まれた子供も胎児油症となり肌の黒い”黒い赤ちゃん”が生まれた。ダイオキシンを食べた人は体のあらゆることろが侵される。カネミ油症は究極のダイオキシン被害である。

<チッソ株式会社の水俣病事件>
高度成長期の企業優先・工業優先の「日本株式会社」が犯した象徴的恥ずべき・悲惨な公害事件である。
1932年日本窒素肥料株式会社水俣工場(現チッソ株式会社)がアセトアルデヒドの生産を開始し、1941年まで無処理のメチル水銀を熊本県水俣市の水俣湾に排出していた。そのメチル水銀は水俣湾内の魚介類で「食物連鎖」により濃縮され、沿岸住民がその魚介類を食べて有機水銀中毒になったのである。「食物連鎖」による濃縮で最も毒物が溜まる部位は卵巣である。重度の障害を負った赤ちゃんが生まれた。

<森永ひ素ミルク事件>
1955年6月頃から8月にかけて、近畿地方以西の西日本一帯で、乳児の奇病が発生した。「人工栄養児に奇病!原子病に似た症状」「ドライミルクの恐怖、各地に死者続出」と新聞がいっせいに報道した。被害児数は12131人、死者は130人(1956年6月現在)にものぼった。被害者が乳児であり、被害も大規模なものであったことから、人類史上例を見ない悲惨な事件となった。守る会は、森永製品の不売買運動を国民に呼びかけるとともに、民事訴訟を提起して闘った。不売買運動は燎原の火のごとく広がり、裁判も世論から大きな支持を得て、森永乳業はついに謝罪した。

<今現在も日本で進行中の野菜殺人事件?>
フリージャーナリスト宇佐見利明氏は専門誌『農業経営者』第27号で【硝酸塩】の多量摂取の危険を警告している。
宇佐見氏は、長男のアトピー性皮膚炎を改善させようとして、大手有機農産物宅配会社の会員となり、「有機野菜」を購入していた。しかし、【硝酸塩】の危険性を知らされ、自分自身で測定してみると、コマツナに1kg当たり、16000㎎の硝酸が含まれていた。東京都が20年間行ってきてデータをつい最近まで隠していた「野菜の残留農薬等の検査結果」と、奇しくも、宇佐見氏が測定したコマツナの検査データが一致した。
宇佐見氏が検査したコマツナは、青汁にして飲んだ場合、1日でコップ1杯(180㏄)で中毒症状を起こし、コップ2杯以上で死亡する危険性があった。仮に有機肥料を使っていても、必要以上に有機肥料を土に投下すれば土中に「窒素成分」が大量に混じり我々が口にする「野菜に硝酸が残留する」のである。

1990年代以降、環境ホルモン(内分泌撹乱物質)が注目されてきたたが、野菜に含まれだした【硝酸塩】は、環境ホルモン同様、子や孫の世代まで悪影響をもたらし、現に我々が買い物に行くスーパーの棚に、そして我々の食卓の目の前に迫った危険なのである。

日本人はいつのころからなのか?どう考えてもおかしくなった。
今日も、アネハが、オジマが、ホリエモンが、TVをにぎわせている。


ブドウ園主からの手紙

Jan.18,2006

 つい最近、ぶどう園の持ち主に手紙を書いた。
「この春をもってお借りした旧ブドウ園と野菜畑をお返ししたいと思い、早めにお知らせする次第です。趣味では、農業で食っていけないことが、ド素人にもやっとわかったからです。今年からは水田もお借りしたいとお願いしておりましたが、それもできないことをご容赦ください・・・」

 「お手紙拝見しました。水田も耕作すると言っておられましたので、種籾をどうしようかとちょうど考えていたところです・・・荒れた葡萄園を一生懸命草刈りし、苗を植え、頑張っておられる姿を感心して見ておりました。百姓は昔から草との戦いだと言われておりますが、作物も雑草も自然も恵みの中で精一杯生きています。また虫も鳥も光も雨も風も、人間の自由にできるものではありません。そして自然は美しくもあり、残酷でもあります。そんな自然と一体になって生きていければ本当に幸せなのですが、生活していくには非常に厳しいものがあるのです。農作物が商品として売られお金を手にすることは並み大抵のことではありません。・・・逆に、あなたに、荒れた葡萄園に無駄なお金と労力をかけさせてしまったのではないかと心苦しく思っています。・・・畑を返すこと、気になさらないでください。春になったら、またワラビを自由に採りにきてください。そして子育てが終わって、また耕作ができるようになったら、いつでもおっしゃってください。それまで健康に気をつけて、ガンバッテ・・・」

 ワタシは思わず泣けてしまった。心で手を合わせた。百姓をやった人だからこその思いやりあるお言葉をかけてもらった思いがした。そして10年後、またこの人のところにブドウ畑を借りに行こう、そうオモッタ。

 

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