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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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きむらちゃんと3びきの猫


カッコーの巣の上で、という題名の映画がある。

なんでも「カッコーの巣」とは精神病院の英語のスラングだ

そうな。ジャックニコルソンの出世作としても有名である。

そのジャックもとしょりになり、余命何ヶ月かと宣言された

爺さんが最後に好き勝手に今までにしてみたかったことを

全部やってのけちゃうストーリーの「最高の人生の見つけ方」と

いう映画で久々に主役出演している。相手役のモーガンフリー

マンも個性派俳優として味があること、ジャックにひけをとらず

実におもしろそうな映画である。


「カッコーの巣」と普通の社会はそんなにかけ離れてはいない。

むしろ「普通の社会」にのほうにおかしげな人がたくさんいるし

あぶなっかしくさえある。「生活に疲れた。人を殺すのは誰でも

よかった、、、」そんな「ヘンッ!」な人が「普通の社会」にこそ

いっぱい潜んで生活していることに、みんな思いをいたさない

といけないのに、ネ。



2008年6月9日akiba satsujin jiken yokujitsu編


もうすぐ退院

6月6~8日の2泊3日で病院からヨシコは家に戻ってきた。

2月18日から始まったヨシコの精神科入院生活。

延々4ヶ月近くに及んだ、いわゆる「精神病院」の入院生活

最後の外泊が終わった。あとは今週末の「退院」を待つばかりに

なった。モチロン、本人が一番心待ちにしている。「薬」によって

気持ちを落ち着かせ、ADHDのような興味の対象が次々に変化し

10個のスイッチが入れ替わり立ち代り入ったり消えたりする

ような分裂症状を抑えることがきるようになった。反面薬の影響で

行動はだれて、体の動きが緩慢となり、ぶくぶくふとってしまった。

ただそれも治療の過程と、大きく見てあげたいと思う。


「何故ここにいるの?」と自分が病院にいることを疑問符つきで

たまに言うことがある。たしかにそう言う時のヨシコはまったく

「精神病院」にふさわしくない「まともな」ヨシコになっている。

主治医自身がヨシコに確定的な病名を付けかねてきたことを

みても、この子が本当に病気なのか、ワタシにも疑問である。


ヨシコ以上にもっと治療の必要なニンゲンが社会にはゴマンと

いるが、仕事の都合などでしたくても入院できない人だって

いるだろう。ワタシの身近なところにも「この人、性格が強烈

というよりも、どっか病気的に、ヘンッ!」なんて人はいっぱい

いる。普通の人間とくくられる人たちだって仔細に見れば

10のうち2はどっか「ヘンッ!」なところを持っている。

あるいは「病んでいる」心を多少にかかわらず誰しも持って

いる。『カッコーの巣の上で』ほど極端さをクローズアップ

させない人々がこの世にはあふれている、とワタシには

思える。理性やバランス感覚が、個々人が抱える危うさを

抑制し、表面上穏やかに会話や交流、受け答えできるか否か

それだけの違いなんだろう、まともな人と「精神病院」の人の

違いなんて、そう思える。

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旬感Blog June 13,2008
昔の人に、時を越えた遭遇をする時


きょう、健康診断場所で5年ぶり位に

昔お世話になった中学校の先生に出くわした。

頭はかなり白くなり、いかにも彼と我が身が幾星霜も重ねてきた

ことを感ぜざるを得なかったが、中身は、お互いに若かりし頃に

出逢った時のまんま、何にも変わらず若々しかった。

会話を交わながら、修学旅行先の本部で二人っきりで話していた

当時の情景がよみがえってきた。


当時、彼は学年主任だったが、今や、小さいながらも一城の校長で

ある。

問わず語りに彼が「あと6年を残すばかりになりました」と残り時間を

告げた。

少しの沈黙の後、ワタシは聞いてみた、、、「先生、老後はどう過ごさ

れるおつもりですか?」、、、彼は考えてもいかなかったことをたずね

られた如く、一瞬きょとんとしていたが、「そうですね~」と言葉を継ぎ

ながら

「何もしないで、水だけ飲んで、過ごせればいいですかね~」ともらす。

行くところまで極めた教職公務員が何の欲もなく、むしろ厭世的な

くらいな感想を言うもんだと、少しくいぶかった。


「とにかく教育界にはもう携わらない、、、

たとえばシルバー人材センターとかで庭仕事のお手伝いするとか、、

ですね、、、そんなことをやれればいいですかね~、、、もう、うんざり

なんです~教育界には」と、、、、白壁先生はこんな水飲み百姓に

自分の校長という立場の威圧感も、年上の偉ぶった様子も微塵も

感じさせずに、そう吐露してみせた。






 

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きむらちゃんと3びきの猫


ジューンブライドのとおりワタシたち夫婦は

6月14日に結婚式を挙げた。だからその日は

いわゆるアニバーサリーなのであるが、その同じ日に

2008年ヨシコは退院できた。我が家のアニバーサリーが

めでたい重ね記念日になったのである。




3人娘でアスパラガスのもぎ取り


2008年6月15日yoshiko taiin編


4ヶ月ぶりのシャバ

退院したヨシコと前から約束していたので

その足でまっすぐ寿司屋に出向いた。

つい最近、この地に回転した『スシロー』なる

回転すし屋に入った。11時を回ったばっかりだって

言うのに駐車場はいっぱいになりかけていた。

大阪の寿司屋ってどんなもんかと少しは興味があったが

どーせ押し寿司やちらし寿司かなんかだろーって思っていた。

3人でボックス席に座る。まだ本日開店したばっかりだって

いうのに回ってる寿司皿の一つはネタがひっくり返って

干からびているように見えた。ウニが回ったきたので

ウニに目のないヨシミちゃんが取り、ナスの漬物寿司を

ヨシコが取った。鉄火巻き、スズキ(ナイルパーチか?)、、、

、、、結局、皿のガラの悪さ、ムラサキをさす小皿がないやら

気に入らなくて6皿で席を立った。一皿@105円、それだけが

魅力のお店だった。旨味、粋、作りたてのあったかさはなかった。


で、いつものなじみの『栄助寿司』で仕切り直した。

なんとも安心できるお店である。シャリが握りたてであたたかい。

こういうものがワタシは好きである。

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きむらちゃんと3びきの猫


あじさいの季節を迎えているが、退院したヨシコは

相変わらず食っちゃ寝、食っちゃ寝るを繰り返している。

知的障害者の憩いのクラブに行くこともなく、積極的な運動を

するでもなく、食欲以外の意欲はない。ただこちらだけが

今は焦る思いがしている。


バイト先の新入社員のなっちゃいないのをみるとこりゃ~先が

思いやられると他人事ながら目を覆いたくなる場に出くわすが、

うちのヨシコのことを思うと「この子は我々に守られて家の中で

過ごす限り、人間関係で失敗もしなければ、それについて学習も

しないし、悟りもなければ、挫折もなく、大人らしい知恵も

我慢も交際術も身につかずに終わるのだろうか」と案じてしまう。







2008年6月24日suemusume編


この娘の生き方

退院したヨシコの10日が瞬く間に経った。

先週行けなかった『サンサンクラブ』に行く火曜日がまた

訪れたが、「行く?」とさえワタシは声もかけない。

今はまだ言うだけ無駄だと思えるから。


知的障害者の交流のゆるやかなクラブである『サンサンクラブ』。

そこにヨシコが行けるかどうかで彼女の人生がガラッと急変する

わけでもないだろう。どこにでも行って、彼女が家以外の楽しみや

友達を見つけてほしい、そういう人に出会えればいいが、、、親は

ただただそんなことだけを期待している、というのがとどの詰まりだろう。


考えてみるとこのヨシコはヨシミちゃんのお腹の中にいるころから

人とは変わった生い立ちであった。堕ちかけ、半年間、母のヨシミちゃんと

共に大学病院で準絶対安静状態で入院し続け、そして生まれたのである。

いわば九死に一生を得て、生まれてきた子、であった。

そして小学五年。突然この子は、学校に行かなくなって、社会から堕ちた。

そして今、17歳になった。同級生の友達は一人もいない。普通の

高校生の生活なんて知らない。メールするダチもいない。化粧も興味ない。

彼氏、なんて男はワタシ「ヨシオ君」しかいない。お金に興味ないし、

ゲーセンももう進んで行かなくてよくなった。花よりだんご。デブで結構。

「ヨシオ君とヨシミちゃんが時々ドライブに連れ出してくれて

スーパー試食の旅や、こんにゃくツアー、漬物グルメの旅を企画

してくれ、美味しいひと時を楽しんでいる」、、、せいぜいそんな幸せ。


ワタシたち夫婦にとって、二人の上の娘たちは「練習」に過ぎなかった

のかも知れない。この3番目のヨシコを育てるため、カミサマは

我々夫婦に長女次女で訓練をさせたのかもしれない。ヨシコが

上の姉たちのように「自立」する日は来るのだろうか?

我々が死ぬまでに彼女は一丁前になれるのだろうか?

なれなかったら、その後を誰が面倒見てくれるのだろう?

「焦ってもしょうがない」が、やっぱり、

辛抱強くも、粘り強く、この娘を一人前に育ててから逝きたいものだ。

何気ない日常の幸せの価値感 June 25,2008
“今ワタシはこうして生きている”


『3人にひとり』という書評をついきのう読んだ。日本人の男性で言えば

「2人にひとり」の割合で癌になる時代になったそうだ。

奇しくも夕べはその後でNHKのTV番組プロフェッショナルの流儀で

大阪淀川キリスト教病院の癌専門の終末ホスピスのドキュメンタリーを

見た。いつか死ぬのであるがニンゲンは、、、死ぬ数年や数ヶ月前の

「生ききる」姿こそ「ニンゲン」なのだとあらためて思えた。

ニンゲンは「死ぬ」のではない、「生ききる」のである。



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