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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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~茂木健一郎のBlogからの抜粋~

爆発的な笑いのパワー

リーダーは、太陽であれ
『プロフェッショナル 仕事の流儀』2008年1月29日 火曜日NHK総合TV

(番組)三年目の記念すべき第一回のゲストは、サウジアラビアの地で
石油化学関係のプラント建設にかかわる現場所長、高橋直夫さん。

高橋さんは、30年にわたって、インドネシア、リビア、サウジアラビア
などの地で、プラント建設に携わってこられた。

プラント建設の現場では数千人の人たちが働く。
精密な作業を積み上げて、期限内に完成させなければならない。
その重圧は大変なものである。

高橋さんは、ある時、仕事上の失敗をして、プラント建設が予定
よりも7ヶ月遅れてしまった。

「起こってしまったことは仕方がない」とは言いながら、
責任感の強い高橋さんの内心は穏やかではなかったろう。

高橋さんは、自分に欠けているのは技術力だと悟る。プラント建設の
あらゆる側面について、確かな知識に基づいて把握し、自分の言葉で
語ることが必要だと考え、猛勉強を始める。

失敗をバネに、卓越したプラント建設指揮の力を
つけた高橋さん。

満を持して取り組んだプロジェクトでは、予定の工期よりも4ヶ月も
早く終えて、周囲を驚かせるとともに会社に大きな利益をもたらした。

高橋さんの真骨頂は、「笑う」ということ。
お気楽な笑いではない。そこから逃げ出したいと思うような
重圧の中でも、「もうどうにでもしろ」とばかりに笑う。

もともと、笑いには、ある特定の文脈だけにとらわれることなく、
状況を広くまんべんなく見ることができるという効用がある。

高橋さんの笑いには、さらに、命のやりとりをする戦場で
かんらかんらと笑う武将のような突き抜けた大らかさがあった。

笑いの持つパワーは、本来、不安や怒りなどの、ネガティヴな
感情の領域から来ている。

高橋さんは、プラント建設の現場で重圧に耐え、自分の中の否定的な
感情から逃げずに向き合ったからこそ、爆発的な笑いのパワーを得ることが
できたのだろう。

ついつい後ろ向きになってしまう日常の中で、笑いの力を得たい
と思っている人は、必見!





~(関連記事)日経オンラインからの抜粋~

逆境でも「笑い」を忘れない、リーダーの覚悟と資質

~プラント建設 現場所長 高橋直夫~ 

 今回お話をうかがったのは巨大石油化学プラント建設の現場の所長
である高橋直夫さん。
さまざまな国から来た7000人ものスタッフを束ねている。

 高橋さんは、逆境の中でも「笑って仕事をしろ」と言う。「笑い」は、メタ
認知などを通して複数の視点から状況を見ることだというところまでは
現在の脳科学で言える。しかし、高橋さんの修羅場においても覚悟を決めて
笑う、首を差し出すような気持ちで笑うというのは、ノーマルに扱える脳科学の
領域から振り切れてしまっている話のような気がしている。

 例えば平家物語などで、戦場で武士たちが「かんらかんらと笑う」というのと
近い。究極の現場における人間の底力というのは、われわれ科学者がデータ
として取れないところだ。そういうものに接すると感動がある。「科学もまだまだだな」
ということが1つ。それと「人間はすごいな」というところだ。

 高橋さんはかつて工期が大きく遅れる大失敗してしまった。当時の高橋さんの
立場になれば、本当にとてつもなくつらいことだったはずだ。その中から出てきた
ああいう言葉だから、非常にズドンと響いてきた。それは脳科学者としてというより
も、人間としてすごいなと。

 何千人ものスタッフを動かすリーダーシップについて高橋さんは、何度も方向
性を宣言すること、それから一対一で伝える機会をできるだけ多く持つことが
大事だとおっしゃっていた。それを支えるのはどこまでも「あきらめない」気持ちだ
という。まず組織全体にクリアに「オレはあきらめないぞ」というメッセージを出す。

 「小さなことも見逃さない。小さなことにこそ、全力投球する」という言葉にも、
システム全体を俯瞰するマクロな視点から、ミクロな視点まで、ダイナミックレン
ジを持って全部見られるという優れたリーダーの資質が表れていると思う。

 組織論に溺れる人はいる。それだけだと組織は動かない。もちろん組織全体の
マクロなダイナミックスも考えなくてはならないが、一方で一人ひとりの働き手の
ことをちゃんと考えてあげる。このミクロからマクロまでの視点のダイナミックレン
ジが、優れたリーダーの資質なのだろう。




(Oyazarまとめ)

高橋直夫(ただお) 福島県出身 国立福島工業高等専門学校卒業
日揮株式会社に入社し、海外プラント建設に従事し、35年。

「決めないリスク」より「決めるリスク」を選ぶ。 

   Ex.1000万円する部品が現場で誤って鉄くずとして処理された。
   取り返す交渉で何週間も時間をとられてこじれることより
   2~3000万の赤字になっても新品を購入する、と「決めた」。



「ぜったいにできる」と誰よりも強く「信じる」。

   5月31日まで完成させる、と決めたら皆にそれを明確に示す。
   納期まで完成させる計画を俯瞰し、各部署ごとに必要な人材数や段取り
   をチェック更に進捗具合は数字とグラフで具体的に紙に張り出して示す。



「人の得」になることは「自分の得」になる。

   アフリカ、インド、フィリピンなど出稼ぎ労働者も多数働いている。
   そんな彼らに高橋は現場で「技術研修」の時間を設けスキルアップ
   を無償で(いや賃金を与えて)行っている。定着する正社員でもない
   彼らに、である。プラント建設現場の第一線はボルトを締めたり
   溶接したりする労働者がけん引役だ。そんな彼らの技術力が上がれば
   工期も短縮できるし、しっかりした建造物が出来上がる。
   一見無駄そうに見える「教育」が結果的に「効率Up」を生み出す。


トラブル続き、損失が予想される時でも「笑う」。

   考えすぎれば重圧で志向が止まる、脳や精神が固まる。
   暗くめいれば、前向きな姿勢に立て直すことは容易ではない。
   また一つのことしか見えなくなる。
   笑うことで、全体を見渡しながらの運転ができるように
   柔軟な反射神経、思考力が保たれる。


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きむらちゃんと3びきの猫


末っ子ヨシコは中学には一度も行っていない。なのに、コウチョーは卒業

検討委員会でヨシコを卒業させることに決めたから親は卒業証書を取り

に来いと、去年の春Oyazarは呼び出された。学校に行くと生徒指導教官

と教頭、校長が雁首そろえて、まさに卒業証書授与式のヨシコ特別版を

行わんと、準正装のいでたちといんぎん無礼に、ワタシが来るのを今かと

待っていた様子だった。予想だにしていなかったその展開と雰囲気に呑

まれワタシは気押され、危うくそのまんま卒業証書代理授与式に引き込

まれる寸前であった。いっそ、そのままおとなしく「はい左様でございます

かオダイカンサマ」と目をつむって紙切れ一枚をもらってくる選択もあった

そうすれば何事もなかったかのように世間の日常がいつもと変わらず

淡々と時を刻んでいくだろうことが脳裏には浮かんだ。そんなふうに一瞬

ひるんだが、しかしやっぱりヨシコ本人の気持ちに立つと、ウソはいやだ

ろう、そう思った。まがりなりにも田舎中学の義務教育課程の現場の長

たるコウチョーが、一度も学校に足を踏み入れたこともない「生徒」に

「何々さんは卒業したことにします」だなんてウソを押し付けるとは!

かくしてヨシコの卒業証書受け取りはキッパリ拒否されてしまう。

行政処理役人たちは、意外な事の展開に右往左往し始める・・・・


Oyazarの心中は「筋が通らない!」 ただそれだけだったのだ。

2008年2月1日imadoki編


治っていくムスメ(その1)


小学校5年(正確には6年)中退の三番目のムスメはとうとう小学校

最期のお楽しみ会である日光への修学旅行にも行けなかった。そし

て小学校の卒業式にも出られなかった。中学校課程の丸々3年間は

ただただ病的なまでに家に引きこもり続けた。外界との接触も100%

と言っていい程に拒否し続けた。だから、中学校の入学式から卒業式

までの丸3年、たったの一度も、一歩も学校に足を踏み入れたことすら

ない。その学校が、席があるという、戸籍上の理由だけでムスメを

卒業扱いにして「処理」した。ワタシには「許されない」ことであった。

そこにワタシは教育現場の「教育者」たる、範を垂れるべきセンセーと

「公務員」たる行政処理役人の側面との、表と裏を同時に見せられ

いや~な気持ちになった。教育者はどこまでも教育者を貫いてほし

かった。しかし権力には逆らえない、所詮、宮仕えの身であることも

わかっちゃ~いた。わかっちゃ~いたが「憤懣やるかたない」気がした。

戦争の時、赤紙一枚で戦場に召集する、そんな国家権力の事務処理

人としての「教師」がそこにはいた。生活指導教官も教頭も校長も皆

厄介な登校拒否児童の処分を新年度の新たなメンバーに残さないで

片付けるためだけに、ワタシに卒業を了解させ、卒業証書を渡し一件

落着させたかっただけだった。何故ならこの3名が3名ともワタシの

3番目のムスメを一度たりとも見たこともなかったし、話したこともな

かったのだから。東北大なり出た、これがエリート教師の身の処し方

か、とがっかりした。子どもたちを導こうなどという「覚悟」がそこには

ミジンも感じられなかった。どこまでもただの公務員だった。



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きむらちゃんと3びきの猫


ヨシコが小学校に行かなくなって、中学にも一度も行かずに義務教育を終えないまま16歳となり、また新年を迎えている。この5~6年間、ワタシたち家族は実に多くのことを学習し、学習させられ、耐え、耐えさせられた。3年前ワタシは会社員を辞め、この子と将来できるかもしれない職業として、自活する「農業」をめざし脱サラした。途中、妻であるヨシコの母は手術を伴う大病に見舞われ1年間の闘病生活を余儀なくされる。そんなこんなの5~6年。でもようやく彼女は「気持ち悪い」父であるワタシにおんぶをするまでに治ってきた。16歳、まもなく17歳にもなろうムスメのとる行動ではないが、彼女の「気持ち」や「信頼」が無邪気にワタシにじゃれ付いたり、取っ組み合いをしていた幼い頃まて戻ってきている、それが嬉しかった。


2008年2月4日imadoki編


治っていくムスメ(その2)


08年2月3日のきのうの朝日新聞に載っていた青島幸男のムスメ

美幸の文章にこんなのがあった「私は義務教育で十分と思っていた

から、高校に行かないって言ったら、よくぞ言ったってお祝いをして

くれた。みんなが反対でも、父は、勉強したい時はいつでもできるし

学校に行くことばかりが勉強じゃない、と」


ワタシは「へ~」と意外な青島美幸の学歴に驚き、幸男に同感同感

と心で賛辞を贈っていた。

うちのヨシコが将来どんな余生を送ることになるのか想像だにできな

いが(当初はそんなことを考えれば、考えただけで暗澹たる気分になっ

たものだが) 今はほとんど将来の彼女のことなんか心配さえしなくな

った。モチロンどうにかして生活費を稼いで物理的に生きていかなけれ

ばならなくなるのだから、今の状況では到底無理なのは5~6年前と

まったく変わっちゃ~いないのだが、こちらの気持ちが変わったのである。


ワタシたち夫婦が死んだ後までのことなんか考えるだけ無駄だし、

むしろ今を精一杯生き、楽しみ、笑えればいいのだと思い、それが身に

ついてきたんだと思う。実際ワタシの「自活農業」は2年続きの赤字決算

で、しないほうがマシなくらいだし、2つ掛け持つ夜勤のバイト収入では

3人暮らしていくのがやっとである。でも今はそれでも十分楽しい。

何より一時期真っ暗な部屋から一歩も外に出られなかったり、トイレ

に何時間も篭城し続けたムスメ、脳に欠陥があるのかと大まじめに

考えたりしたし、昼も夜もない時間の感覚麻痺の中でのしつこさに

精神をも病み、ノイローゼ気味になる妻の心の不安定な日々など

過去の暗かった洞窟のような日を思い浮かべると、今の無邪気な

彼女の笑顔はその当初からは考えられないくらいの明るさなのである。

執拗さは性分らしく同じだが、実に「まとも」になってきた。

まだまだ精神年齢6~7才という部分はあるようだが、ワタシは

今のおんぶをしたり、手をつないでスーパーに入れるようにまで

「変わった」このヨシコの精神力に拍手を送りたい気持ちでイッパイ

なのである。そして、つれあいである我が妻の辛抱強い精神力にも。



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きむらちゃんと3びきの猫


ヨシコと散歩して見てきた霞城公園の生き物たち


2008年2月6日imadoki編


猫とカモの一生


きょうはヨシコと霞城公園のお堀端でカルガモを見てきた。

一部は氷に覆われるくらいの寒さにもかかわらず全部で50羽

ほどのカルガモたちが家族単位で6~7羽ずつ悠々と冬の湖面を

泳いでいた。それこそ「ダウン」そのものを身にまとっている彼らだが

越冬できる彼らの強さには驚かされる。食べ物だって決して多くない

はずなのに。原油が投機的に高値になり、庶民の車の燃料や

灯油の高騰が続き、いつにもまして厳しいこの冬であるが

人間生活の厳しさなんか比べ物になるまい自然の冬の中に身を

置く鳥たちはじめ生き物たちの生命力たるや、である。


そこにいくと家猫はニンゲンと一蓮托生の暮らしをしているから

野鳥とは比較にならないほど気楽で、退廃的ぐーたらとも

言えなくはない。ウチの二匹の白猫君たちもストーブの前や

ホットカーペットの上でひねもすのたりぐったり居眠りをこいで

いることしばし、の冬の姿である。

儲かりまっか?


プーポ~のラッパとともに


2008年2月9日imadoki編

庶民は「居る」だけで充分の一生


NHKテレビを見ていたら、東京で昔スタイルの引き売りをしている

豆腐屋を偶然目にした。今時の大規模店舗花盛りのアメリカンモール的

商業区域開発真っ盛りの昨今、逆手を行く発想に目が点になった。

同じ地区を同じ時間に繰り出すリヤカー豆腐売りの「野口屋」である。

今やそれを待っているお客さんの数は9万人、東京1000万都市の

約1%を顧客にするにいたっている。日々の売上も300万円なり。

出かけたくても出かけられないお年寄りも窓から手を振って手招く。

社長の言によれば「豆腐売りという手段を使って人と触れ合う」ことが

目的だという。いつも顔を出すお年寄りがきょうは出てこなければ

「病気だろうか?」と地域の見守り隊役もおのずと引き受けるそんな

ボランティア的存在にもなっている。結局そういう地域の見守り隊的

ボランティアの役割を昔の「触れ合う」感覚の商店は皆持っていた訳

なのだが、それが顔の見えないスーパーのような「物」だけ大量に

陳列され、客が勝手にカゴに放り込み、レジという関所で一括会計する

という今時流アメリカンスタイルに慣らされた現代人の多くが

核家族、無関心時代の波の中で、置き去りにしてきた盲点なのだ。

だからその盲点をカバーする「野口屋」の社長の視点がスゴイのである。



ワタシがここで言いたかったことは

体が言うことを利かなくなって出かけられなくなったお年寄りが

家に居るだけで豆腐が買える、ってことではモチロンなく、また

野口屋の社長みたいに優れた視点と日々の工夫をこらしながら

地域の信望を得、商売を盛り上げて財を成す金持ちのことでもなく

落語に出てくる長屋の人々の存在意義についてであった。

つまり、大成するわけでもなく、特別なずば抜けた才能がある

わけでもない「その他おおぜい」の市井の人々はその生きる

意味があるのだろうか、という点にスポットをあてたかったのだ。

で、結論を言うと本日のお題のように「居るだけで充分」意味が

あるんだってことである。東大なんか出ていなくたって、あるいは

小学校しか出ていなくたって、あるいは中近東やアフリカの文盲

の人々だって、ただそこに生きているって~ことだけで確かに

この世を生きる意義はあるのである。なぜなら、名もない

雑草や山々にうごめく日のあたらない虫や動物たちさえ

この世に生き、子孫を残し、一生を終えていっているじゃーないか。

それは、何かすごいことを成し、名を残せ、とは神サマが望んでいる

わけでは決してないのだと思えるからである。自然を見ていると

人は本来、学歴や職歴、金銀財宝の多寡などで見られるべきでは

ないと思われるのだが、いつも間にかそういう視点は置き捨て

られた世の中になってしまったようだ。それがたまたま見た昔ながらの

行商豆腐屋の姿と重なり、なくしてしまった「盲点」に気づかされ

サザエさんの三河屋さんなどを思い出す思いと重なったのである。





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