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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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プーポ~のラッパとともに


2008年2月9日imadoki編

庶民は「居る」だけで充分の一生


NHKテレビを見ていたら、東京で昔スタイルの引き売りをしている

豆腐屋を偶然目にした。今時の大規模店舗花盛りのアメリカンモール的

商業区域開発真っ盛りの昨今、逆手を行く発想に目が点になった。

同じ地区を同じ時間に繰り出すリヤカー豆腐売りの「野口屋」である。

今やそれを待っているお客さんの数は9万人、東京1000万都市の

約1%を顧客にするにいたっている。日々の売上も300万円なり。

出かけたくても出かけられないお年寄りも窓から手を振って手招く。

社長の言によれば「豆腐売りという手段を使って人と触れ合う」ことが

目的だという。いつも顔を出すお年寄りがきょうは出てこなければ

「病気だろうか?」と地域の見守り隊役もおのずと引き受けるそんな

ボランティア的存在にもなっている。結局そういう地域の見守り隊的

ボランティアの役割を昔の「触れ合う」感覚の商店は皆持っていた訳

なのだが、それが顔の見えないスーパーのような「物」だけ大量に

陳列され、客が勝手にカゴに放り込み、レジという関所で一括会計する

という今時流アメリカンスタイルに慣らされた現代人の多くが

核家族、無関心時代の波の中で、置き去りにしてきた盲点なのだ。

だからその盲点をカバーする「野口屋」の社長の視点がスゴイのである。



ワタシがここで言いたかったことは

体が言うことを利かなくなって出かけられなくなったお年寄りが

家に居るだけで豆腐が買える、ってことではモチロンなく、また

野口屋の社長みたいに優れた視点と日々の工夫をこらしながら

地域の信望を得、商売を盛り上げて財を成す金持ちのことでもなく

落語に出てくる長屋の人々の存在意義についてであった。

つまり、大成するわけでもなく、特別なずば抜けた才能がある

わけでもない「その他おおぜい」の市井の人々はその生きる

意味があるのだろうか、という点にスポットをあてたかったのだ。

で、結論を言うと本日のお題のように「居るだけで充分」意味が

あるんだってことである。東大なんか出ていなくたって、あるいは

小学校しか出ていなくたって、あるいは中近東やアフリカの文盲

の人々だって、ただそこに生きているって~ことだけで確かに

この世を生きる意義はあるのである。なぜなら、名もない

雑草や山々にうごめく日のあたらない虫や動物たちさえ

この世に生き、子孫を残し、一生を終えていっているじゃーないか。

それは、何かすごいことを成し、名を残せ、とは神サマが望んでいる

わけでは決してないのだと思えるからである。自然を見ていると

人は本来、学歴や職歴、金銀財宝の多寡などで見られるべきでは

ないと思われるのだが、いつも間にかそういう視点は置き捨て

られた世の中になってしまったようだ。それがたまたま見た昔ながらの

行商豆腐屋の姿と重なり、なくしてしまった「盲点」に気づかされ

サザエさんの三河屋さんなどを思い出す思いと重なったのである。



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