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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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きむらちゃんと3びきの猫


ヨシコちゃんの聡明で穏やかなかわいい笑顔を久しぶりに見て感激

ひとしおだった火曜日からはや2日。そのあと昨年卒業したことにな

った学区の中学校校長宛、「やはり卒業証書受け取りは拒否します」

という手紙をしたため、郵送した。そうしたら、さっそく昨日の夕方、

当の校長自らワタシの自宅に電話を寄こした。20分ほど「受け取ら

ない」「こっちでも卒業証書という公文書をゴミみたいに捨てるなんて

絶対できない。大人としてムスメさんに渡せるその日が来るまで、

お父さんが預かれないんですか」といった応酬が続いた。


最期に校長が「私が預かっていたとしても自分だっていつホロケルか

知れない」と言った。『、、、そうだな、、、この人が今年退職しその後

いつ何時逝ってしまったり、ホロケルかもしれないな~』とその言葉に

ひっかかった。爺さんに証書保管係をボケルまでやらせるのもそれも

確かに酷だな、

たまたまうちのヨシコちゃんの中学時期の校長になったばっかりに。

突っ張ることはどこまでも突っ張れる選択枝も腹くくりもできていたが、

その爺さんの将来がふっと垣間見え、突然のように、思い直した。

「わかりました。受け取ることにします」、、、校長は「ありがとうござい

ます」とそれまでの時にワタシがカチ~ンと来る寸前になるほどの強気

とは打って変わって、素直にほっとした安堵の声に変わって受話器を

置いた。






2008年3月13日imadoki編


ヨシコの1年越しの卒業証書


  そんなわけで、受け取り拒否して1年のモラトリアムをもらい、結論として

やっぱり卒業証書は受け取りたくない、と手紙に書いて学校に送ったものの

翻意してワタシは去年の分のヨシコの卒業証書を受け取ることにしたのである。


実態のない中学生活。ただの一度もその学校に行ってなくて、担任に会った

ことも、ましてやワタシがやりとりした当の校長とも、一度も会ったこともないし

学校の先生全員がヨシコのことを見たこともない。そんな状況の3年間だった

のに、ヨシコはその中学校に在校生として3年間席だけあったことになっており

去年、めでたく、義務教育課程を修了したことになっているのだ、行政上は。


その矛盾がどうにもワタシには「許しがたかった」。

けれど、、、だ、、何の因果か、、、わからずやの親だ、と唾棄し、ヨシコの

実態の全くない卒業証書なんぞ、廃棄処分だっていつだって年金記録同様

簡単にできるものを、その校長はワタシに保身だけだったとしても食い下がって

「お父さんがなんとか受け取って保管してくれないか」と懇願するように説得

し続けた。ワタシは、ヨシコの見も知らぬ爺さんから自分の中学卒業証書を

預かってもいらってるよりは、不本意でも、このオヤジであるヨシオが預かり

持っていたほうがまだましだろうな、ってだんだん思ってきていた。


そして丸一日が経って、ワタシはあることを思い出していた、、、、、、、、

ワタシは中学の野球部で補欠だった。いやになってよくさぼったり、練習中も

素直になれずにパッとしなかった。それでもチームは例年になく強くて県大会

まで進み、3位になった。その大会遠征先の宿舎で野球部顧問の先生が

枕元でワタシに一度だけ本気で説教を垂れた「ヨシオ、人間素直でなきゃ

ダメになっぞ。素直になれッ」前後は全く覚えていないがその「素直になれ」

だけを40年近く覚えている。


もうひとつ、ワタシは野球部補欠時代の不遇やチャンスに活躍できない己に

まったく自信を持てずにいた。何かあると悪いほうへ、暗いほうへ、悲観する

癖を身につけてしまっていた。そういう性質というのはなかなか払拭できるもの

ではない。けれど大リーグのイチローなどはそういう時、「前向きに考える。

良い方向に解釈する」のだと何かで知り、その前向きさ、楽観主義をいつか

ワタシも身につけたいと、ず~っと実は思ってきたが、そうできていなかった。


この校長が、何かの縁があるのだろう、「卒業証書を受け取れ」と食い下がる。

実はワタシはそんな卒業証書がヨシコの役に立つ日が来るとは、心のどこかで

悲観して「来るまい」と考えている部分が大きいのに、改めて気が付かされた。

「あ~また悲観的だ~、やめよ~この機会に」そう思った。よし信じよう、ヨシコが

必ず良くなって、中学レベルの学力を取り返せる日が、ゼッタイ来るって!


ワタシはそんな心の軌跡をたどりながら、「明日学校に伺います」と

校長にきょう、電話を入れた。

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きむらちゃんと3びきの猫


ヨシコちゃんの病院のお友達:アキちゃんとはじめて会った。

いい子だった。ちょうどウチの長女くらいのお姉さんでヨシコに

とっては頼りがいのある病院内お姉さん的存在なのもわかった。

いつかアキちゃんとヨシコがウチの畑でハボタン栽培の手伝いが

できる日が来るといい。ふっとそんな想像が頭をよぎった。






2008年3月19日imadoki編


精神病棟暮らし丸1ヶ月


  きのうは入院して丸1ヶ月になるヨシコちゃんとの楽しみな面会日。

もうそろそろ隔離された病院生活に辟易し、あばれ出してもおかしくない

そ~一方でも考えられる不安を抱きながら、ヨシミちゃんと2人で訪問した。

あにはからんや、ヨシコは結構な笑顔で元気そうだった。ただまたふっくらと

顔が太って見えた。差し入れたお菓子やジュースを夢中で食べ、飲み干す。

『あ~ストレスがスコシたまってきてるんだな、、』

そう、しぐさでわかった。「ヨシオとヤマザワに買い物に行こうか?」と

振ると、躊躇なく椅子から即、立ち上がり、ワタシの手をつないで

すぐにも行こう、という勢いだった。こんな春一番が吹く陽気な季節に

一ヶ月も外を散歩していないヨシコ。かわいそうだがもう少々辛抱だよ。



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3月21日、ヨシコの病院に洗濯物と特別児童扶養手当申請書類を

届けるため、夜勤先に行くついでにワタシは立ち寄った。

2階の病棟に登っていく。訪問記録を記入し、施錠された入り口の

係の看護士さんに目で挨拶する、その目線の先にヨシコがこちらに

向かって歩いてくるのが見えた。面会日でもないし、勿論予告する

はずもないのに、偶然のようにヨシコはワタシのほうに歩み来て、

はにかみ笑いしながらも、ワタシの差し出した手を握り、仲良く手を

つないでふたり、ヨシコが来た方向に向かってまた歩き始める。




2008年3月23日imadoki編


「帰る!」と断言する言い方


つないだヨシコの手は暖かかった。

外から来たワタシの手はことさら冷たかったので

ヨシコの手は気の毒なくらい暖かく、柔らかく、ぷっくらしていた。

ヨシコは歩きながらもワタシの持っている洗濯物の入った手提げ袋を

のぞき見ようとする。「あっ、きょうはお菓子じゃないんだ」とワタシ。

それでもがっかりするわけでもなく、ヨシコはニコニコしながら歩いた。

ヨシコの4人部屋のベッドに二人で腰掛ける。「マルと銀は?」とヨシコ。

「元気だよ、ヨシコがいなくてさびしそうだけど」と答えるとヨシコは唐突に

「帰る!」といつもの断定口調で言い出した。この子は決して『帰りたい』

とは表現しない。「~したい」の前置きはなく、いきなり「~する」という

はっきりとした意志(Will)を表明する言い方しかしない。頑固で図太く

腹が据わっているのである。


自転車で転んで前歯にひびが入る大怪我をした時でさえ、周りの子が

右往左往して騒いでいるのにヨシコ本人は泣きもしなかったという。

勿論予防注射くらいで泣くはずもない。MRI検査で最初に飲まされた

薬を「甘いっ!」て言って目の前の看護婦に全部吹きかけてしまった話は

我が家のカタリグサになっている。それくらい嫌なものは頑として拒否する。

土佐の国ならさしずめ「いごっそう」の部類に入るのだろう、そんな人。


上の姉が小さい頃、公園のロケット型ジャングルジムのてっぺんまで

登った。はいいが、おりるにおりられなくなり「たすけて~たすけて~」と

半泣きで叫んでいたという出来事もまたカタリグサだが、それとは対象

的にヨシコは人に助けを求めない。そういう、自分の気持ちの表現べた

頑固、意固地、強情、一匹狼、付和雷同しない性格だからこそ、彼女は

言いようのない嫌悪を感じていた小学校にも行かなくなったのかもしれない。

そういう「行かない!」という意志的断定でしか、学校や担任への反抗を

表現しえなかったのではないか、今思い起こせばそう思えた。

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3月23日、畑から戻るとヨシコの病院から電話があって

21日に差し入れたジュースが既に完売したとのこと。


夜勤に行くついでにお菓子と共に飲み物を入れた袋を携えて

病院に立ち寄る。ちょうどヨシコがいつものように廊下を周回

している最中にぶつかり、遭えた。しかしこの間とは打って変わって

ニコリともしない。つないだ手にもいつもの温かみやソフトさがなく

少し汗ばみ、二の腕辺りから筋肉が硬くなっている得体の知れない

緊張感や焦燥感のようなものが伝わってきた。何もしゃべらない。





2008年3月24日imadoki編


「まじ」がえり


夜勤出勤前のため時間がなく、ナースステーションに

差し入れを頼んだだけで、立ち話もせずヨシコと手をつないだまま

もと来た出入り口に戻り別れを告げた。門番の看護婦がいなかったら

ヨシコもワタシと一緒に出て行く勢いを感じたので、「またね」と

何気ない風を装ってワタシだけすばやく、しかしあせっていることを

感じ取られないように病棟外へ出た。ガラス戸越しに見えるヨシコを

置いて去るには後ろ髪がひかれる「尋常でない」きょうのヨシコだった。

「まじ」がもどったのだろうか?この病院にいることの現実を重く

受け止められるようになったのだろうか?

いつものおどけて、はにかんだ、プクプクの笑顔をまったく

しなかったきょうのヨシコに会い、つなだ手と、体のこわばりを

感じながら、まじな目つきに変わった彼女の心中を思うにつけ

切なさと不安で、気持ちは落ち着かなかった。

こんな気持ちは初めてだった。

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3月25日、入院4週間目のヨシコとの面会日が来た。

2日前に会ったまじ顔の笑わないヨシコがその後どうしたか

気になりながら病棟にヨシミちゃんと2人で入っていく。


いつものように廊下をグルグル回り続けて歩いてくるのかと

思いきや、ヨシコは食堂にいて担当の看護婦ジュンちゃんと

久しぶりに一緒だった。ヨシコの顔には先日のこわばりはなく

いつものニコニコ顔が戻っていた。それにしてもたった2日前

会ったあのこわばりとまじ顔は何だったのか?やせてさえ

見えたその同じ人は、今はお茶をがぶ飲み、団子を食べ、

煎餅をかじっては、久しぶりのヨシミちゃんにおにぎりをねだ

っている。3度3度の食事もほぼ完食だっていうのに。

顔がだんだんお相撲さんのようになってきた。




2008年3月26日imadoki編


さかさま銀次


ヨシコの担当ナースは入院早々「ジュンちゃん」と

ヨシコに呼ばれてきた。この子の人の呼び方は人への接近術の

ひとつとでも言うべきもので、独特で妙であたたかさのあるトーンが

ある。いつの間にか父であるワタシは「ヨシオ君!」母であるわが妻は

「ヨシミちゃん!」と呼ばれる慣わしで定着してしまった。

そのうち担当の小児科の女医を「イシイちゃん!」とかなんとか

呼び始めるような気がして気が気でないが。


さて、本日の朝日新聞『女と男』という特集記事でウチダタツルと

いうトックリセーターのざっくばらんオッサン教授がいいことを

言っていたので載っけてみる、


---------いまの人が男女関係で苦しんでいるのは愛情の欠如じゃなくて

       相互の敬意の欠如じゃない?

     なんでこの人はこんなこだわりがあるのだろうと、あふれる好

   奇心と敬意をもって見つめる。理解できないけれど、いつも一緒に

   いたくて抱きしめたくなる。なぜか。自分の中にあるブラックホール

   と対応しているからですよ。

     つきあうほどに底知れぬわからない人だと互いに見えてくる。

   理解できる部分より理解できないほうが多いことに気づいていく。

   そんな何考えてるかわからない不気味な生き物と暮らせてすごいと、

   共生できる能力に感動すべきなんです。ぴたり理解して生活できる

   のが愛だと勘違いしている------------------------




ヒトもネコも一皮向けばおんなじわけのわからない不気味なエーリアン。

ネコもヒトも「猫を被って」どうにか一緒に一つ屋根の下で楽しくおかしく

ドタバタと、共に数十年生きる間柄もある。これまた何かのエニシ。

子も親も女も男もネコイヌも、わけがわからないけど、オモシロイ!
   



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