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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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きむらちゃんと3びきの猫723b5f5bjpeg

Oyazarには、きむらちゃんという肝っ玉ヅマと2匹のオッドアイ白猫そしてスーパーヒョーキンムスメがいる。

2008年1月26日imadoki編


還ってきたヒョーキンムスメ!
 

Oyazは人称型の語尾er、or、arを付してきょうから呼び名を一新し、Oyazarと言うこと

にした。
いつものことながら、まったく深い意味はナイ。ブリーフあらためボクサー、程度

のことである。


さて、ワレラガ3人ムスメの末っ子“よしこ”(最近そー呼ばれている)

彼女は小学校5年中退という履歴をもつ。今時の学校システムに疑問を抱き、ある教

師に不信を抱き、結果、我が国の義務教育課程から早々に自主離脱し、家で2匹の

白猫と共に寝転び、瞑想し、時に食いまくり、自らをメタボの実験台として腹回りを研

究し、このOyazarを相手にお笑いやペーソスの何たるカを独学している16歳である。


さてここまでモノしたら、おかずがストーブの上でグツグツッと煮えたぎってきたので

突然ですが「マタライシュ~!」(ソンナンカイ??タイトルノナイヨーハ?・・・)

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きむらちゃんと3びきの猫

Oyazarには、Oyazarより絵のうまいほぼプロイラストレーターのチョージョと、何故いまだにTRMのバックダンサーに引っ張られないのって不思議なほど切れの良いダンスをするジジョがいる。

2008年1月28日imadoki編


ふたりのムスメの生き方


うちの上のムスメふたりは、小学校5年中退の三番目とは違い、今時の学校

システムに疑問や不信を抱きつつも、いわゆる周囲の大人たちが望むような

「良い子」を少なくとも中学か高校までは辛抱強く演じ続けていた。


考えてみると、自分がそのくらいの年齢の時は、まさにニッポンは「受験戦争

または地獄」と言われた真っ盛りにいたわけで、そう言う意味ではOyazarが

中学の時に家出をして警察の厄介になったなんてことは今考えれば実に自然

な行動で、できごとだったなと、振り返れる。


今時は切れれば自殺するか、他人を傷つけるか、極めて極悪事件にすぐに直

結して全国ニュースになって、本人も家族も、そこで人生が終わってしまうよう

な事態にいたってしまいがちだが、昔だって社会への憤懣や周りの大人たち

への反発や漠然とした不条理感は今以上に若者たちはいっぱい抱いていた

のである。


そのふたりの姉たちは今はTOKYOの空の下で、1000万の人混みに埋もれ

るように生きていることだろう。Oyazarときむらちゃん夫婦も大学時代の若かり

し4年間をその「花の都トーキョー」で過ごしたので、今はこの東北の片田舎に

身を置いていても、かの地の雰囲気や人いきれ、喧騒、関東平野の富士山丹

沢以外、山らしい山のない緩やかな丘陵地帯の360度の広がりは手に取るよ

うにわかるのである。もう、東京に住みたいたいなどとはミジンも思わないが。


ふたりのムスメもはや20を超え、大人になった。昔からほとんどほぼ放任で

生き方に注文や文句をツケてこなかったが、彼女たちはマスマス自身で自分

の生き方の左右を選択したり、停滞したり、悩み苦悩しながら、世間ごともこ

なしながら、生活しながら、バーさんになっていくワケである。


150億年前にビッグバンが起き、この地球はできたという。

ホーキンス博士の言うことにゃ~「地球の歴史が11kmだと

すればニンゲンの歴史はたったの7cmである」そ~な。

だから、大抵の事に、そ~クヨクヨせず、明るく楽しく死ぬまで彼女たちには

絶望することなく、この現世を生きていってほしいものであると

19までに何度も死のうと苦悩してきたOyazarだが、言いたいのである。

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きむらちゃんと3びきの猫


末っ子ヨシコは中学には一度も行っていない。なのに、コウチョーは卒業

検討委員会でヨシコを卒業させることに決めたから親は卒業証書を取り

に来いと、去年の春Oyazarは呼び出された。学校に行くと生徒指導教官

と教頭、校長が雁首そろえて、まさに卒業証書授与式のヨシコ特別版を

行わんと、準正装のいでたちといんぎん無礼に、ワタシが来るのを今かと

待っていた様子だった。予想だにしていなかったその展開と雰囲気に呑

まれワタシは気押され、危うくそのまんま卒業証書代理授与式に引き込

まれる寸前であった。いっそ、そのままおとなしく「はい左様でございます

かオダイカンサマ」と目をつむって紙切れ一枚をもらってくる選択もあった

そうすれば何事もなかったかのように世間の日常がいつもと変わらず

淡々と時を刻んでいくだろうことが脳裏には浮かんだ。そんなふうに一瞬

ひるんだが、しかしやっぱりヨシコ本人の気持ちに立つと、ウソはいやだ

ろう、そう思った。まがりなりにも田舎中学の義務教育課程の現場の長

たるコウチョーが、一度も学校に足を踏み入れたこともない「生徒」に

「何々さんは卒業したことにします」だなんてウソを押し付けるとは!

かくしてヨシコの卒業証書受け取りはキッパリ拒否されてしまう。

行政処理役人たちは、意外な事の展開に右往左往し始める・・・・


Oyazarの心中は「筋が通らない!」 ただそれだけだったのだ。

2008年2月1日imadoki編


治っていくムスメ(その1)


小学校5年(正確には6年)中退の三番目のムスメはとうとう小学校

最期のお楽しみ会である日光への修学旅行にも行けなかった。そし

て小学校の卒業式にも出られなかった。中学校課程の丸々3年間は

ただただ病的なまでに家に引きこもり続けた。外界との接触も100%

と言っていい程に拒否し続けた。だから、中学校の入学式から卒業式

までの丸3年、たったの一度も、一歩も学校に足を踏み入れたことすら

ない。その学校が、席があるという、戸籍上の理由だけでムスメを

卒業扱いにして「処理」した。ワタシには「許されない」ことであった。

そこにワタシは教育現場の「教育者」たる、範を垂れるべきセンセーと

「公務員」たる行政処理役人の側面との、表と裏を同時に見せられ

いや~な気持ちになった。教育者はどこまでも教育者を貫いてほし

かった。しかし権力には逆らえない、所詮、宮仕えの身であることも

わかっちゃ~いた。わかっちゃ~いたが「憤懣やるかたない」気がした。

戦争の時、赤紙一枚で戦場に召集する、そんな国家権力の事務処理

人としての「教師」がそこにはいた。生活指導教官も教頭も校長も皆

厄介な登校拒否児童の処分を新年度の新たなメンバーに残さないで

片付けるためだけに、ワタシに卒業を了解させ、卒業証書を渡し一件

落着させたかっただけだった。何故ならこの3名が3名ともワタシの

3番目のムスメを一度たりとも見たこともなかったし、話したこともな

かったのだから。東北大なり出た、これがエリート教師の身の処し方

か、とがっかりした。子どもたちを導こうなどという「覚悟」がそこには

ミジンも感じられなかった。どこまでもただの公務員だった。



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きむらちゃんと3びきの猫


ヨシコが小学校に行かなくなって、中学にも一度も行かずに義務教育を終えないまま16歳となり、また新年を迎えている。この5~6年間、ワタシたち家族は実に多くのことを学習し、学習させられ、耐え、耐えさせられた。3年前ワタシは会社員を辞め、この子と将来できるかもしれない職業として、自活する「農業」をめざし脱サラした。途中、妻であるヨシコの母は手術を伴う大病に見舞われ1年間の闘病生活を余儀なくされる。そんなこんなの5~6年。でもようやく彼女は「気持ち悪い」父であるワタシにおんぶをするまでに治ってきた。16歳、まもなく17歳にもなろうムスメのとる行動ではないが、彼女の「気持ち」や「信頼」が無邪気にワタシにじゃれ付いたり、取っ組み合いをしていた幼い頃まて戻ってきている、それが嬉しかった。


2008年2月4日imadoki編


治っていくムスメ(その2)


08年2月3日のきのうの朝日新聞に載っていた青島幸男のムスメ

美幸の文章にこんなのがあった「私は義務教育で十分と思っていた

から、高校に行かないって言ったら、よくぞ言ったってお祝いをして

くれた。みんなが反対でも、父は、勉強したい時はいつでもできるし

学校に行くことばかりが勉強じゃない、と」


ワタシは「へ~」と意外な青島美幸の学歴に驚き、幸男に同感同感

と心で賛辞を贈っていた。

うちのヨシコが将来どんな余生を送ることになるのか想像だにできな

いが(当初はそんなことを考えれば、考えただけで暗澹たる気分になっ

たものだが) 今はほとんど将来の彼女のことなんか心配さえしなくな

った。モチロンどうにかして生活費を稼いで物理的に生きていかなけれ

ばならなくなるのだから、今の状況では到底無理なのは5~6年前と

まったく変わっちゃ~いないのだが、こちらの気持ちが変わったのである。


ワタシたち夫婦が死んだ後までのことなんか考えるだけ無駄だし、

むしろ今を精一杯生き、楽しみ、笑えればいいのだと思い、それが身に

ついてきたんだと思う。実際ワタシの「自活農業」は2年続きの赤字決算

で、しないほうがマシなくらいだし、2つ掛け持つ夜勤のバイト収入では

3人暮らしていくのがやっとである。でも今はそれでも十分楽しい。

何より一時期真っ暗な部屋から一歩も外に出られなかったり、トイレ

に何時間も篭城し続けたムスメ、脳に欠陥があるのかと大まじめに

考えたりしたし、昼も夜もない時間の感覚麻痺の中でのしつこさに

精神をも病み、ノイローゼ気味になる妻の心の不安定な日々など

過去の暗かった洞窟のような日を思い浮かべると、今の無邪気な

彼女の笑顔はその当初からは考えられないくらいの明るさなのである。

執拗さは性分らしく同じだが、実に「まとも」になってきた。

まだまだ精神年齢6~7才という部分はあるようだが、ワタシは

今のおんぶをしたり、手をつないでスーパーに入れるようにまで

「変わった」このヨシコの精神力に拍手を送りたい気持ちでイッパイ

なのである。そして、つれあいである我が妻の辛抱強い精神力にも。



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きむらちゃんと3びきの猫


ヨシコと散歩して見てきた霞城公園の生き物たち


2008年2月6日imadoki編


猫とカモの一生


きょうはヨシコと霞城公園のお堀端でカルガモを見てきた。

一部は氷に覆われるくらいの寒さにもかかわらず全部で50羽

ほどのカルガモたちが家族単位で6~7羽ずつ悠々と冬の湖面を

泳いでいた。それこそ「ダウン」そのものを身にまとっている彼らだが

越冬できる彼らの強さには驚かされる。食べ物だって決して多くない

はずなのに。原油が投機的に高値になり、庶民の車の燃料や

灯油の高騰が続き、いつにもまして厳しいこの冬であるが

人間生活の厳しさなんか比べ物になるまい自然の冬の中に身を

置く鳥たちはじめ生き物たちの生命力たるや、である。


そこにいくと家猫はニンゲンと一蓮托生の暮らしをしているから

野鳥とは比較にならないほど気楽で、退廃的ぐーたらとも

言えなくはない。ウチの二匹の白猫君たちもストーブの前や

ホットカーペットの上でひねもすのたりぐったり居眠りをこいで

いることしばし、の冬の姿である。



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