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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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Family Blog
きむらちゃんと3びきの猫


先日、ぼくらの青春と共にあった存在の

ポールニューマンの訃報に接したばかりなのに

今度は、この人が死ぬはずない、と思えていた

だいすきな、大好きな緒形拳が、死んでしまい、

この世からいなくなってしまった。





bousi2.jpg



2008年10月9日緒形拳の最期のTVドラマ編


誰でもいつか逝くが・・・

人は自らの意思で生まれてきたわけではないから

自らの意思でその最期も阻止することができるわけではない。

人は誰も「徒手空拳」「裸一貫」で生まれてくる。なのに

何千万、何億という「金に目がくらむ」守銭奴に堕し、

金欲の奴隷になってしまう人のなんと多いことだろう。

最後の最期に無一文(六文銭)で旅立たなければならないことを

ようやく悟ることになるのだろうが、その時ゃ~、もう遅いわけで。


緒形拳だって無一文で生まれ、六文銭だけカンオケに入れられて

逝ってしまった。そういう意味で我々庶民と変わらぬ「普通の人間」で

あったとあらためて思い知らされたが、もっと生きてず~といつまでも

存在を我々に見せ続けてほしい人だった。芝居もプライベートも人間

として個性と魅力のあふれ、ひきつける人だった。


セザンヌとゴーギャンとモディリアーニは死んでなお、ぼくらに

絵を見せてくれる。岡本太郎は死んでなお、その目(視点)を残した。

緒形拳は死んでなお、顔と体と声と全身でぼくらに人となりを残していった。

人はみな無一物で生まれてくるが金はダメだが「作品」は残していけるのだ。

絵でも書でも写真でも芝居でも細工でも作品はその人そのものしか出ない。


「創造」  あっというまの数十年の人の一生。

137億年前のビッグバンという無限大の時間から見ればほんの数秒の

わたしたちの短い生。そんなウスバカゲローのようなはかない一生でも、

カミサマは、人に自分と同じ才能を潜ませてこの世に送り出した。

その「創造力」。

 

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