世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。
こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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たいへんお待たせいたしました
7月からハボタン栽培が始まってからはや6ヶ月。 あれからワタシの夜勤と夜勤明けの畑仕事という2足のワラジの 鬼が島のような過酷な日々が始まり、最近その出荷作業が終了。 ようやくふつうの人間の日々に戻ってまいりました。。。。と思ったら いつの間にやらパソコンが立ち上がらなく、おしゃかになってしまっ ておりました。で、しばらくパソコンドクターなるところにマイパソコンは ドックインしておりましたので、こんなに長々ブログが更新できずにいた という始末でございました。 お待ちになっている方もたぶん一人もいらっしゃらなかったとは思いま すが、これより百姓一揆ブログ、ぼちぼち再開いたします。 乞うご期待!(pachipachipachipachi) PR
3びきの猫
今年は新年の初月に初孫が誕生し、ワタシたち 夫婦は若いドレミ(ミソラ?)で晴れてジーさん とバーさんにあいなった。その孫は、我が家の 伝統の血を引き継いで、勿論、女児。彼女の名は 「あひるちゃん」(ジーさんがつけた勝手な呼び名) その「あひるちゃん」の母である我が娘の実家である この家で、誕生の後、約1ヵ月間の長逗留したあと 孫のあひるちゃんはまだ見ぬトーチョーの大都会の 空の下に旅立ち、若夫婦本来の家庭につい最近戻って 行った。少子化の時代、それはそれで大変結構なこと なのだが、毎日、泣く子をあやしたり、お風呂に入れ たりしながら身近にすごし、かわいい笑顔が日増しに 愛らしさを増してきた頃だっただけに、彼女たちが 去った後の我が家は、何かが非常にもの足りない 妙に静まりかえった寂しさに包まれる3~4日である。
猛暑のハボタン軟腐病奮戦記
今夏の異常で猛暑な高熱地獄の日本列島で 我が畑のハボタン栽培も、ここ5年間に類を見ない 高温障害に見舞われている。例年通り7月20日に 播種を開始し、4日目で発芽が見られた、まではいっ つもどおりだったが、その後がいけない。日中のみな らず、熱帯夜にもさいなまれ、若苗たちが次々に腐り 始めた。移植どころではない。移植できるのか、先が 見えないほど、葉牡丹の苗は成長できずに倒れていっ た。遮光幕を張り、ビニールハウス内を涼しくし、ワ タシのできることは全て対策を打っては見たものの、 自然の猛威の前に、ニンゲンなんてこれっぱかしの ことも成しえない存在なんだと、打ちのめされるばか りだった。結局、ポットに植え込みができた、まとも な葉牡丹の数は、例年の7分の1ほどまでに激減した。 |
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