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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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きむらちゃんと3びきの猫


夜、大沢たかおと蒼井優なる俳優がブラジルとベネズエラを旅

するTVを見ていた。番組内容に魅了されながら「人間って

とってもちっぽけだし、ワタシの生のなんてほんの一瞬である

ことかっ!」って、あらためて感じながら見ていた。その一方で

隣では大人の会話ができるヨシミちゃんが久しぶりにワタシと会話

をし、そのヨシミちゃんをハゲには独占されてなるものかと、

何とか2階に引きずり上げようと

歯磨きをさせたり、

抱きかかえて持っていこうと試みる

笑えるヨシコがいた。




樋口のおばさんカヨ~、ヨシコは?


2008年12月22日 今季ハボタン出荷終了



終わった、、、、そして、終わらない


今季のハボタン出荷が10割、終わった。ようやく終了だ。

しかし何かが終了するということは「あと何もしなくていいんだよ」

ということではない。一週間の終わりに土、日が来たようなもので

別に、あと永遠に「仕事をしなくてよくなりました」という意味ではない。

きょうは一年に数回しかない「夜勤明け+休日」といういわゆる2日

続けてのボクにとっての「連休」の初日。それも7日連続夜勤明けの

初日の休み、、、、、、、とはいえ、夜勤明けにまっすぐハウスに行って

最後のハボタン出荷準備をしていたのだが、、、夜勤連続7日もこれで

「もう何もしなくていいんだよ」というわけではない。また24日が老人

ホームの宿直夜勤が待っているし、25日のホテル夜警が待っている

わけで生きている限り、仕事はワタシを「待っている」のである。とはいえ

あれもこれも、ワタシが望んで「求人を探し、自らアポイントメントをとり

面接を受け、たまたま採用してもらって、得た」仕事なのである。

金にならず生計の立つ目途の立たない「ハボタン栽培経営」も起農、

研修、独立という一連の流れも「自ら望んで門をたたいて」今日に

至っている。決してたいしたことをやっているワケではない。頭を使い

人間関係の綾をくぐりぬけながら、営業を展開し、バリバリかせぎ

まくる必要はないのだから。それが今ついている3つの仕事である。

夜勤しながら、昼間は畑仕事。たしかにいつ倒れてもおかしくない

加重労働を自らに課している結果になっている。でも、何回も言うが、

決してたいした仕事をしているわけではない。たいした頭脳は要らない

頭を使わない「楽な仕事」だ。

睡眠不足や手足の疲労困憊はあるものの、ストレスなんぞほとんど

感じない。「ご隠居の余興」っくらいなもんだ。


就農丸3年。ようやっと「+-0」くらいの経営状態までたどりつけた。

損得勘定だけで言えば「はっきり言って農業なんかするもんじゃ~ない!」

って他人には断言し、アドバイスするだろう。だが、それでも自身は

儲からない今の農業をし続けようと思う。


それは人が毎朝おまんまをいただき

排泄し、働き、家族団らんの一瞬に笑い、風呂に入れ、睡眠でき、また

次の朝を迎えるという人間の本来の営みに合致したスタイルだと思うから。



きょうはハボタン出荷最終日。昼ごはんはヨシミちゃんヨシコちゃんと

パッと美味しいところで一杯やろうと言っていた。が、意外に外は寒く、外出

するのがだんだん億劫になり、外食を直前キャンセルをし、大いに

ヨシコに顰蹙を買う結果になった。、、、、が、、いい、、これで、、、、、、


ワタシは貧乏である。家族には悪いと思うが、いい、これっ位いの貧乏が。

『金持ちどんちゃん貧乏さっちゃん』というメルマガを連載しながら、自ら

確信するようになったことがある。小林秀雄が言っていたがごとく、

「書いてみて初めて自分が何を考えているかわかる」って。


毎回あるテーマを考えながら原稿を書いている。

「人は、金があったら幸せになれるか?」って。


、、、、、ど~もそ~ならないらしい、ゼッタイこの世では。

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きむらちゃんと3びきの猫



ヨシコが入院するようになる直前の長くつらい日々からはや

1年が経つ。今の陽気なヨシコからは想像さえできない遠い遠い

記憶のような気もする。カーテンを閉めたまま、朝から晩まで

真っ暗になっても電気もつけず、居間の椅子にうつ向いて座りこんで

いた日もあった。家族以外誰にも会えない病的なまでの人見知りの

時代もあった。外に出られるまで回復したと喜んでいたら、今度は

一人でどこかにプイッといなくなって行方不明。3度、4度と警察に

厄介になり、担当の警察官のおねーさん、おにーさんと親しくさえ

なった。ワタシとのかけあい漫才は度が過ぎる異様なまでのレベルに

達し、家出同様ヨシコ自身自制できなくなっていたらしい。それから

昼夜逆転の、夜に眠らない異常ハイな日々。

睡眠不足でパートナーのヨシミちゃんが心身ともに限界ラインを行き来

するようになっていた。とうとう精神内科に連れ出し、受診。即、入院。

最初からいきなりの「独房」。まるで『大脱走』のスティ-ブマックイーン

さながらの「刑」にワタシはやり場のない「後悔や不安」を覚えていた。

それから長い長い入院生活4ヶ月。その間よくヨシコが辛抱したなって

思う。主治医の頑固ちゃんはじめ一生懸命に見守り声がけしてくれた

病院スタッフの皆さんのおかげで、ヨシコは別人のように元気になって

いき明るくなっていった(と同時に食事とおやつと飲み物と薬で、なかり

ヘビーな17歳にもなった、が)。



2008年12月29日ichinen soukatsu編


ヨシコ復活のキセキ!!


10年間に起きた出来事でもあったかのごとく、めまぐるしく

いろんなことが「変わっていく」1年になった。


外にも出れるようになって、父娘漫才までできるようになったと

喜んでたら、ハイテンションすぎて歯止めがかけられなくなり、

入院まで行き着いてしまった3女ヨシコ。しかし「結果」はそれで

良かった。変則的だが「変な大人たちに混ざって送る」寄宿舎

生活。勉強こそしない(できない)ものの、不登校になっって以来の

小学5~6年以来の、それは第二の「集団生活」だった。


「あれから40年、、」というキミマロの台詞じゃ~ないが百代の

過客と年月が過ぎ去っていった。

 

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きむらちゃんと3びきの猫


最近、自分の味覚が「庶民感覚」すぎる低レベルに

すっかりなじんでしまったのだろうかとハッとした。

世界各地の料理を普通の人よりは食べる機会がある

立場で長年仕事をしてきた経験からワタシは多少料理には

うるさい面があるのだが、今家庭で自分が作る料理の

ごっちゃ煮的味付けに満足してしまったのか、舌が高級なものを

「うまい」とは受け止められなくなってしまっている。

貧乏とはそうしたものなのか。B級グルメをうまいうまいと食べ

続けていると、A級をたまにいただいてもうまいと思わなくなって

しまうようだ。200万円以下の収入で4年も暮らしていりゃ~、

まっ、それもしょ~がないかっ!




ウチの銀ちゃん「自己主張強い娘」です



2009年1月23日imadoki編


舌の異文化交流

1月22日ヨシコの定期健診日で精神内科から3人で帰宅

する途中『シャン』という中華料理屋に入った。ワタシは当店

No.1人気メニューというマーボー定食をオーダー。夜勤明けで

精神不安定、おまけに昼時をとうに過ぎ、腹ペコ不機嫌虫が体中に

充満し、何の罪もないヨシミちゃんやヨシコにもワタシの八つ当たり

的スパークがその前にもしばしば飛んでいて、彼女たちが

気が気でないハタ迷惑を憮然と感じていることもわかってはいた。

だが朦朧としている上に空腹イライラな精神を御するのは至極

困難だった。そのフィニッシュを飾るかのごとく

この中華料理屋はこともあろ~に、当店No.1四川料理

本格マーボーなるものを、もったいない精神人一倍を自負するこの

ワタシをして、3口でギブアップさせる、どぎつい香辛料まみれの

一品を出してきた。


端くれながら農に従事するワタシに食べものをぞんざいに扱わせる

結果をもたらしたこの手の料理屋にワタシは久しぶりに頭にきて

いた。これぞ四川料理だ、さ~もったいながって食え、と、ど田舎の

ザイゴの無知な市井の人々を相手に本場を知らないことをいいことに、

ありがたそうに提供するこの店の愚弄に、高慢さを感じていた。


人間千差万別である。ワタシは嫌いなものは嫌いだ、付き合わない

というタイプだが、様々なやり方や好みがあること自体を否定する

ものではない。そのピンからキリまでの多くの中から自ら「選択」して

いくことこそがまさにその人の「生き様」であり「人となり」であり

人間としての行き着くべき「洗練」だと信じるものである。そういう

意味で、今回は久しぶりに異文化に接し、自分の好みの方向を

再確認するいい機会にはなった。自分の好みは「和」であり

「淡い味わい」であり「香辛料ではないアミノ酸の旨味」であり

胚芽を有する穀類の餅っぽさやネバリ、甘味なのだと。

 



きむらちゃんと3びきの猫


2009年も、はや2月3日の節分が過ぎ、4日の立春を通過し

2008年の大晦日や2009年の正月があっという間に後へ、後へと遠ざかる。

伯父や伯母が次々と「お先に」と言ってオサラバしていった思い出は自身の

髪の毛の後退やぽっこリ膨らんでしまったお腹、衰えてきた手足をなでながら

「わたしだっていつかこの世をオサラバする日が来る」ことを自ずと想起させる。

子供たちはいつの間にか大人になって、親はいつの間にかハゲや白髪になっている。

高校の国語の教科書で初めて接した小林秀雄の『無常ということ』の概念が若かりし頃

わからなかったのに今は実感として理解できる。人に限らずこの世に生きとし生けるものは

すべからく常ならず、刻々変わり続け、いつか土に帰り、また循環し、転がっていく。

実に不思議な、この世の「永遠」を維持するしくみ、「理」である。


2008年7月 函館元町のクリフサイドにて
(by yoshimi)

無常という、この世の絶対法則

去年の7月はヨシコ、ヨシミちゃんと三人で函館を歩いていた。

ヨシコを伴って旅するなんて7~8年ぶりの記念すべき出来事だった。

小学校を離脱し、中学高校時代を棒に振った彼女がここまで普通に

旅行できる日が来るなんて、全く考えられない暗澹たる日々も今は昔。

三人娘たちとキャンプに行ったり、2年に一回オーストラリアに行ったり

よく旅する家族だった。もちろんワタシ自身が旅行会社員だったから

年に何回も仕事でもあちこち旅していた。ところ定まらぬ浮遊するこの身を

客観視しながら、これが「無常」という生き方、過ぎ越し方かとも感じていた。


去年は大好きなポールニューマンと、緒形拳が「お先に」と逝ってしまった。

ツベルクリンのようにいつかワタシたちにも順番は来る。その時まで何の

業績も、功績も、作品も残さなくていいから、「普通に生きる」だけである。人は

ほんの70~80年の中でほとんど何もできはしない。何か大きいことを成した

ような気でいてもほとんどは自己満足以外の域を出ない。過去の何億何兆の

累々とした屍の山に埋もれ、積って行く中で、逝った直後まで特筆されていた

名誉も黒板の文字のように薄れていく。だから

「普通に生きて」いけばいいのである。急ごうが走ろうが必至になろうが

青ざめようが。この世の「無常と言うこと」という絶対法則の前には何にも

ならないのであるから。


Betsuni hikan shiteiru wakedeha nai.

Mujo=Hibon deha naku, =Hutsu.

So iitai dake dearu.






きむらちゃんと3びきの猫


この世に生きる限り、ど~うしても苦手な相手っているもので、、、、、

それはアソーだったり、ウノだったり、モリだったりする。

別に日本国民が口にしたくない「アホ」宰相トップ3を羅列

するつもりではなかったのだが、、、、、

そのくらい、人には同席したくもない相性や感覚の受け入れがたい

相手って数多くいるもんだ、っていいたかったのである。







2009年2月8日imadoki編


この世に生きる、って~こと。


10人10色、と言う。

現代ならさしずめ「64億人64億色」。多すぎるので

大雑把に血液型で4分類してみても「16億人16億色」。

結局この世に生きる生物にはひとつとして同じものはない、

ということ。これは、ものすごい不思議であり神秘である。

「カミサマのすべてハンドメイド」である、証とも言えようか。

だからこそ相受け入れがたい相克も生まれるわけだが、、


、、、、よくよく考え深め、それもまた良し、と受容

できような、そんな境地にそろそろ達してみたいものである。

結局、「こういうタイプって嫌い」「むかつく」「感覚的に自分には

理解不能」って思うって~ことは、ひとつにはこちらの懐が

狭いって~ことでもあるし、別の見方をすれば、自分が

今日まで磨き洗練してきた美意識や味覚や人物観に、対峙

している相手が「合わない」「不合格」な存在であるということでもある。

自分の間尺に合わない人を受け入れることは、歳をとればとるほど

至難の技になってくるが、たとえば、こう考えてはどうだろう。いやだ

いやだと思う人間だって(自分も含め)いつかいなくなるわけである。

生あるものの全ての定、だから。ならばその浮世のいっとき小舟に

同席した相手の10のうちの1つだけでいいから良いところをみつけて

やろうと努力してみたって、別に損にはなるまい。どうにも受け入れ難い

相手にだって、切り口さえ変えれば、へ~って思える良い部分がみつ

かるかもしれないじゃ~ないか、て~ものである。

、、、ケッキョク、見つからないかもしれないけれど、、、


別に「バカ」と冠されてきた歴代恥ずかしソーリトップ3を

並べるつもりではなかったのだが、一つのたとえとして

それっくらい一緒にされるのさえゴメンこーむりたい相性や

感覚の受け入れがたい人間が、生きている限り、お互いに逃れようなく

付いて回る、、、、それも、この世の「常」だし、いつかそいつとも

オサラバする日が来るのも「常」なのもこの世なのだと最近思う。

それも、やはり「無常」と言う。





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