温故知新つれづれ
Jan.7,2006
高松市で「マイ箸運動」を展開している若者をニュースで知った。
いいことだなぁと思った。が、以前にも「マイ箸運動」は全国的にひろがり、割り箸を使わない共通認識(コンセンサス)が日本人の間に形成されたはずであった。が、いつも間にか日本人は忘れてしまった。「今回は、まっ、イッカッ~」って店で割り箸を使い始め、今回が、2回となり、3回となり、毎回となる。来ない天災のように、人々は忘れる。
「日本の割り箸は間伐材を使っているんだから、いいんだよ」って言う人がいる。それは日本製の割り箸のことで、日本で消費する割り箸のたった2%にすぎない。日本人の平均使用数が一人年200本だと言うから、間伐材の割り箸はその内のたったの4本だけっていうことである。あとは中国ほかからの輸入品。だから、中国の緑の山をハゲにしてしまった功罪を、現代日本人はひとっこ一人まのがれない。中国の箸は竹かプラスチック、韓国のそれは銀かステンレスでいずれも洗って繰り返し使う。日本人だけがである。コンビニ弁当、カップ麺を含め、世界で1番使い捨て割り箸を使っているのは。IT世界一ではなく、割り箸世界一なのだ、小泉クンッ!
輸出入をしていなかった江戸時代、庶民は箸をどうしていたのだろう?落語には、夜鳴きそばの話も出てくる。市中には居酒屋も茶屋もあったわけだから、一体店ではお客さんにどんなふうに箸をだしていたのだろう?さっそく文献を調べてみると、こんな解説をみつけた。
【「麺類雑学辞典より」 江戸時代、そば屋が使っていたのは丸箸。洗って何度も使う箸である。竹製の丸箸は一般に普及していた。『和漢三才図会』(正徳二年・一七一二)には竹箸の多くは漆の塗り箸として流通しているとある。そば屋の箸が塗り箸だったのかどうかは定かではないが、何度も使い回す丸箸だった。
一茶の句に、「陽炎やそば屋が前の箸の山」というのが(文政六年)ある。そば屋の店先に箸の山という光景だが、これより少し前の文化六年刊『江戸職人歌合』には、天秤棒にけんどん箱を下げて出前をするそば屋の担ぎ(出前持ち)が描かれている。そして、その担ぎが通り過ぎる横にあるそば屋の箱看板の上には、ざるに入れられた箸の山が置かれている。
さて、飲食店に割り箸が普及し始めた大正から昭和初期のころ、杉の割り箸はまだまだ高価なものだった。そこで東京のそば屋では、特別な種ものやご飯ものなど値段の張る注文の時だけ割り箸を出し、ふだんは丸箸を洗って使い回すというのがふつうだった。店仕舞いの後、銅壷の湯で洗い、翌日、日当たりのよい店先などで乾燥させたものだそうである。】
ということで、今の使い捨て割り箸を一般的に使用し、近隣諸国の環境破壊を爆発的に促進してきたのは、まぎれもなく、この昭和・平成時代の悪しき御世になってからであったのがこれを読んでもわかる。しかし、「日本人は、たいへんな事をしている」と思う人は、間伐材割り箸と同じ2%くらいなのだろう。自分一人くらい、って、日本人はいつのころからか、利己的で、自分に都合のいいようにしか考えなくなった。日本人の誰も、車を運転することを罪だとか、公害の加害者だ、などとは感じていないし、クーラーをガンガンきかすことも勿論罪悪だなんて思っちゃいない。今に、韓国も、インドも、シンガポールもタイもベトナムもカンボジアもインドネシアもスリランカも、13億人の良くも悪くも巨象の中国さえ、早晩、そうなる。地球はバカあたたかくなってしまうだろう。二酸化窒素減・温暖化防止の世界レベル協定:京都議定書に世界のトップランナーを随所で自認して来たアメリカその人が批准しない。「おまえんところだろうがぁ~もともとこの地球に自動車を誕生させ世界中に蔓延させガソリンを浴びるように使ってきた張本人はっ!!!」って叫んだところで、今のアメリカは馬耳東風・馬の耳に念仏だ。「そういうお前んところだろうがぁ~!?アメリカで車をバンバン売って、世界一だったGMを衰退させ、米車販売数シェア過去最高の37%を占めるようになったのは!?そして今度は中国だぁ~?インドだぁ~?公害撒き散らし悪徳商人そのものの日本人がえらそうに、おんなじ顔で京都議定書ったぁ~笑い草だぁ!!」
江戸時代は、実に自然の中の循環(リサイクル)がうまくいっていた時代だそうである。稲作が生活の基本だっだから、ワラが上手に使われていた。草履をはじめ長靴、蓑、かさ、ござ・畳、納豆のわら筒、こぬかと混ぜた温床、それらが古くなれば焼き、その灰は灰汁として山菜のあく抜きや火鉢に使い、畑にまいて有機肥料にした。花咲じいさんにいたっては枯れ木に花まで咲かせた。
植物を食べ、植物で道具を作り、植物を焼いた灰で生活し、土に戻した。人は植物をいただき、生き、排泄し、下肥を土に戻した。そこには、土に戻らぬビニールもプラスチックも発泡スチロールのトレーも農薬もなかった。「自然との共生」や「循環」とはこんな江戸時代までのことを言うのであって、現代日本で使える場所はもうない。車や電化製品から熱と排気ガスを大気に放出し、何十年も除草剤を土に残留させ、チッソリンサンカリをゴマンと畑に入れ込みつづけ、薬に負けないかつてはいなかった強力な虫たちを育て上げ、ビニールマルチシートで土をおおい、そしてそのまんまビニールごと土を耕作してきた日本の大地に、もはや聖地などはなくなってしまった。農機具メーカーが悪い。農薬メーカーが悪い。金を貸す農協が悪い。尻馬に乗る農家が悪い。そうして「きれいなもの」「便利なもの」「安いもの」を追求し続けてきた、そしていまだにそうしている消費者が一番、もっとも、悪い。「経済のことは市場にまかせる」と首相は言う。市場経済とはそういうものである。消費者が1円でも安いものを求めるのなら、適正価格で経営できていた農家は潰れ、安い中国東南アジア野菜がどっと日本に蔓延する、農薬たっぷりかけられて。消費者が1円でも安いものを求めるのなら、ユニクロもジャスコも中国で衣料を生産させ、日本の衣料メーカーを倒産させ、気がついたらそこに勤めていたトーサンを失業させたカーサン、という構図になる、市場経済下では。
日本人は、いまさら、ラーメン屋で、そば屋で、食堂で、割り箸を使わずに、他人の使った丸箸や持参するマイ箸に変えられるのだろうか??それもズッ~と???
スーパーのレジ袋にしたって、現実、マイバックを持ってきている人は10人中2~3人だろう。10人中10人にならなければ、意味がない問題なのに。
ワタシは決してペシミストではない。むしろ陽気な酒飲み楽観Oyazである。ただ、今の日本に身を置く一人として最近特に、「温故知新」という言葉をもう一度使ってみないか、と呼びかけたくなってきた、そんな時代だ。
高松市で「マイ箸運動」を展開している若者をニュースで知った。
いいことだなぁと思った。が、以前にも「マイ箸運動」は全国的にひろがり、割り箸を使わない共通認識(コンセンサス)が日本人の間に形成されたはずであった。が、いつも間にか日本人は忘れてしまった。「今回は、まっ、イッカッ~」って店で割り箸を使い始め、今回が、2回となり、3回となり、毎回となる。来ない天災のように、人々は忘れる。
「日本の割り箸は間伐材を使っているんだから、いいんだよ」って言う人がいる。それは日本製の割り箸のことで、日本で消費する割り箸のたった2%にすぎない。日本人の平均使用数が一人年200本だと言うから、間伐材の割り箸はその内のたったの4本だけっていうことである。あとは中国ほかからの輸入品。だから、中国の緑の山をハゲにしてしまった功罪を、現代日本人はひとっこ一人まのがれない。中国の箸は竹かプラスチック、韓国のそれは銀かステンレスでいずれも洗って繰り返し使う。日本人だけがである。コンビニ弁当、カップ麺を含め、世界で1番使い捨て割り箸を使っているのは。IT世界一ではなく、割り箸世界一なのだ、小泉クンッ!
輸出入をしていなかった江戸時代、庶民は箸をどうしていたのだろう?落語には、夜鳴きそばの話も出てくる。市中には居酒屋も茶屋もあったわけだから、一体店ではお客さんにどんなふうに箸をだしていたのだろう?さっそく文献を調べてみると、こんな解説をみつけた。
【「麺類雑学辞典より」 江戸時代、そば屋が使っていたのは丸箸。洗って何度も使う箸である。竹製の丸箸は一般に普及していた。『和漢三才図会』(正徳二年・一七一二)には竹箸の多くは漆の塗り箸として流通しているとある。そば屋の箸が塗り箸だったのかどうかは定かではないが、何度も使い回す丸箸だった。
一茶の句に、「陽炎やそば屋が前の箸の山」というのが(文政六年)ある。そば屋の店先に箸の山という光景だが、これより少し前の文化六年刊『江戸職人歌合』には、天秤棒にけんどん箱を下げて出前をするそば屋の担ぎ(出前持ち)が描かれている。そして、その担ぎが通り過ぎる横にあるそば屋の箱看板の上には、ざるに入れられた箸の山が置かれている。
さて、飲食店に割り箸が普及し始めた大正から昭和初期のころ、杉の割り箸はまだまだ高価なものだった。そこで東京のそば屋では、特別な種ものやご飯ものなど値段の張る注文の時だけ割り箸を出し、ふだんは丸箸を洗って使い回すというのがふつうだった。店仕舞いの後、銅壷の湯で洗い、翌日、日当たりのよい店先などで乾燥させたものだそうである。】
ということで、今の使い捨て割り箸を一般的に使用し、近隣諸国の環境破壊を爆発的に促進してきたのは、まぎれもなく、この昭和・平成時代の悪しき御世になってからであったのがこれを読んでもわかる。しかし、「日本人は、たいへんな事をしている」と思う人は、間伐材割り箸と同じ2%くらいなのだろう。自分一人くらい、って、日本人はいつのころからか、利己的で、自分に都合のいいようにしか考えなくなった。日本人の誰も、車を運転することを罪だとか、公害の加害者だ、などとは感じていないし、クーラーをガンガンきかすことも勿論罪悪だなんて思っちゃいない。今に、韓国も、インドも、シンガポールもタイもベトナムもカンボジアもインドネシアもスリランカも、13億人の良くも悪くも巨象の中国さえ、早晩、そうなる。地球はバカあたたかくなってしまうだろう。二酸化窒素減・温暖化防止の世界レベル協定:京都議定書に世界のトップランナーを随所で自認して来たアメリカその人が批准しない。「おまえんところだろうがぁ~もともとこの地球に自動車を誕生させ世界中に蔓延させガソリンを浴びるように使ってきた張本人はっ!!!」って叫んだところで、今のアメリカは馬耳東風・馬の耳に念仏だ。「そういうお前んところだろうがぁ~!?アメリカで車をバンバン売って、世界一だったGMを衰退させ、米車販売数シェア過去最高の37%を占めるようになったのは!?そして今度は中国だぁ~?インドだぁ~?公害撒き散らし悪徳商人そのものの日本人がえらそうに、おんなじ顔で京都議定書ったぁ~笑い草だぁ!!」
江戸時代は、実に自然の中の循環(リサイクル)がうまくいっていた時代だそうである。稲作が生活の基本だっだから、ワラが上手に使われていた。草履をはじめ長靴、蓑、かさ、ござ・畳、納豆のわら筒、こぬかと混ぜた温床、それらが古くなれば焼き、その灰は灰汁として山菜のあく抜きや火鉢に使い、畑にまいて有機肥料にした。花咲じいさんにいたっては枯れ木に花まで咲かせた。
植物を食べ、植物で道具を作り、植物を焼いた灰で生活し、土に戻した。人は植物をいただき、生き、排泄し、下肥を土に戻した。そこには、土に戻らぬビニールもプラスチックも発泡スチロールのトレーも農薬もなかった。「自然との共生」や「循環」とはこんな江戸時代までのことを言うのであって、現代日本で使える場所はもうない。車や電化製品から熱と排気ガスを大気に放出し、何十年も除草剤を土に残留させ、チッソリンサンカリをゴマンと畑に入れ込みつづけ、薬に負けないかつてはいなかった強力な虫たちを育て上げ、ビニールマルチシートで土をおおい、そしてそのまんまビニールごと土を耕作してきた日本の大地に、もはや聖地などはなくなってしまった。農機具メーカーが悪い。農薬メーカーが悪い。金を貸す農協が悪い。尻馬に乗る農家が悪い。そうして「きれいなもの」「便利なもの」「安いもの」を追求し続けてきた、そしていまだにそうしている消費者が一番、もっとも、悪い。「経済のことは市場にまかせる」と首相は言う。市場経済とはそういうものである。消費者が1円でも安いものを求めるのなら、適正価格で経営できていた農家は潰れ、安い中国東南アジア野菜がどっと日本に蔓延する、農薬たっぷりかけられて。消費者が1円でも安いものを求めるのなら、ユニクロもジャスコも中国で衣料を生産させ、日本の衣料メーカーを倒産させ、気がついたらそこに勤めていたトーサンを失業させたカーサン、という構図になる、市場経済下では。
日本人は、いまさら、ラーメン屋で、そば屋で、食堂で、割り箸を使わずに、他人の使った丸箸や持参するマイ箸に変えられるのだろうか??それもズッ~と???
スーパーのレジ袋にしたって、現実、マイバックを持ってきている人は10人中2~3人だろう。10人中10人にならなければ、意味がない問題なのに。
ワタシは決してペシミストではない。むしろ陽気な酒飲み楽観Oyazである。ただ、今の日本に身を置く一人として最近特に、「温故知新」という言葉をもう一度使ってみないか、と呼びかけたくなってきた、そんな時代だ。