東京のゴミ集積所に捨てられていた赤ちゃんの
ニュースは、実に暗澹とした気持ちにさせられる。
捨てた親が未婚なのか、学生なのかわからない。
いずれにせよ、産み育てることができない人がそう
したのだろうが、、、ゴミ収集車の職員がその「ゴミ」を
収集車にまさに積み込もうと近づいた、その時「この子」は
泣いたのだ。泣き声をあげたから「ゴミ」にならなかったのだ。
なんという強い生命力、そして剛運を持つ赤ん坊だろう。
母親の足音かと、あるいは反射的に泣いたのかも知れない。
生み育てられない状況の中で生み落とされ、ゴミと捨て去ら
れようとした一人間が、日の目を見る命拾いをした今回だが。
この子が大きくなり、自分の出生の秘密、捨てられた過去を
知った時、猛烈すぎるショックとやり場のない憎悪で、まだ見ぬ
親たちを憎み、この世を焼き払わんばかりに呪わないだろうか。
先日山あいの小さな温泉に、親子三人でドライブがてら出かけた。
人前にまだ出ることのできない16歳の大きな幼い娘につきあって
つれあいは温泉に入らず駐車場で待っていた。
ワタシが上がり、車に戻ったのだが家人がいない。
周りを見渡すと、建物の陰でつれあいがワタシをそっと
手招きをしている。
行ってみて、ビックリ。
ワタシの手のひらに乗るほどのそれはそれは
小さな小さな子猫が三匹、ワタシを見てヨタヨタと後ずさりしていく。
そばには捨てられた時に入れられていたダンボールがあった。
またワタシは想像をした、どんな人がどんな気持ちでこの子達を
ここに捨てていったのか、、、と。
昨日は保育園の保育料滞納者が全国的に激増していると
TVで聞いた。あるお母さんは新車を購入し、月々の車の
返済に7~8万かかるので保育料が払えない、と答えた。
バイト先のホテルの新入社員が「明日新車がくるんです」って
嬉しそうに話しているのが聞こえた。若いので保険料も高く
車のローンと保険で月々6~7万返済しなければならない
のだとか。
この若者も結婚して子どもをもうけ、捨てないで育てることが
できたら、しかし途中で家でも購入し、ローンを組んだら、
保育料は払わないのかもしれない、、、と
ワタシは反射的に何の違和感もなくそう想った。
ワタシは今時の若者を一色単にそんな風に偏った
見方で単純化してくくってしまう自分にも気づいた。
どこに行こうとする?「日本丸」、波乱含み波高し「世界」
2007-05-24 04:15:54 oyazの投稿
ワタシの親父が逝ってからはや丸7年。
生きていれば今年で80。
3月になくなった作家の城山三郎と同い歳である。
戦中派の城山は自分の人生を振り返り語っていた
「戦争っていうのはこんなに怖いものかと、、、
もうやめてくれ、わかったからやめてくれって思った。
、、、、、楽しかった思い出なんか一つもなかった」と。
同い歳の親父が似たようなことを言っていたのを思い出す
「自分の青春時代は戦争一色でまったく灰色そのものだった。
アメリカのグラマンが目の前を耳をつんざく機銃掃射を繰り返す」
今、アベシンゾーは戦争につながる憲法改正や教育改革を
力づくで、数頼みで、強引に押し進めつつある。
こんな暴挙を「自民党に一票入れる」ことで絶対多数の国民が
「その方向でいいです」って選択してしまったことに、
無勢少数の国民の一人は非常なるもどかしさを覚えている。
なぜ「戦争はいけない」ってみんな強く思わないんだろう?
「戦争につながる道を開こうとしている政党」に
なぜ「ノー」と言わないのだろう、と。
ワタシも含め、戦後生まれの「戦争を知らない子どもたち」は
この日本が本当は「アメリカの植民地」であることをもっと
きちっと知らなければならない。
小さいときから日常的にTVや流行を通じ、洗脳的に
アメリカナイズされ、「アメリカは良い」という価値観を
まったく自然に身に着けてきてしまった我々ニッポンジン。
若者はどんどん海外旅行をしてもっとよそを見てくればいい。
それは「観光旅行」「大名旅行」ではなく真摯に自分探しの
旅として、見聞を広めてきてほしいのだ。
エコノミックアニマルと言われたかつての日本人だが
ロシアも中国も今、おんなじアメリカの敷いた市場経済という
土俵で、ニッポンジンを押しのけてモンゴル勢が角界を
制するように、世界経済界の新興一大勢力になってきた。
「グローバル化」の号令の元で、石油を武器にもつ中近東が
石炭の宝庫を抱えるオーストラリアが、同じく鉱物資源豊富な
ロシアと中国が、「一人勝ち」を続けてきたアメリカ&日本勢に
がっぷり四つに組んで、アメリカが持ちこたえられなくなりつつある。
そんな情勢の中で一日本人百姓は
マツオカゴーガンフソンノー(タリン)水大臣のもと
日本農業にサンサンたる太陽の陽を浴び、希望に満ち
農業にまい進せんと、
なんて、もちろんっ!なれるはずもなく、
農業だけでなく、日本全体の行方を
親父や城山三郎になり代わって、
非常に心配しているのである。
Agricultural Human Life
2007-05-21 08:06:20 oyazの投稿
きのう今日と、とても爽やかな、湿気の少ない、
暑くも寒くもなく、ちょうどいい皐月晴れの日が続く。
「薫風かおる五月場所」と大相撲のアナウンサーが言っていた
まさにそんな爽快な天気のいい日は、朝から
「AgricultureダゼッBaby!」って感じだっ!
「頭なんか関係のない
ただただ肉体労働/忍耐持久力怪物みたいに思われがちな
Agriな人たちだが、けっこう今時はHighSocietyな連中も多く
馬鹿にしちゃいけないぜっ、そこんところヨロシクッ」ってな風に
変わっている。
Agriをベンチャーの一つ、位に考えて
クールに、チャレンジしてくる若者も増えつつある。
科学的に、合理的に、無駄なく、儲けを計算し、
ビジネスレベルで仕切っていく。
でも、やることは昔から一緒だから、最後に必要に
なるのは昔ながらの「根気」に行き着くわけだが。
それでも、達観して続けてみればいいAgriculture。
このFieldにはオフィスビルにはない
バイオ研究所なんかをはるかに凌ぐ、自然界の法則が
時間の経過と共に刻一刻と無から有が生じ、長じ、
花開き、実を結び、朽ち果てて、また来年芽吹く不可思議が
目の当たりに繰り広げられている。
それは、金を得るためだけに自分のすべてを
会社に捧げてしまったサラリーマンが知らないか忘れている
本来の自然とその中で共生しようとする本来の人間の姿が
別個の世界として、広がっている。
ビジネスマンが仮想社会の人間たちなら
Agriなペイゾンこそ実社会、現世を生きる人間たちである。
タマの休みに「体験」でもいいからAgriをしてみたらいい。
「ジャンボだTOTOだっ」て何もかも金で幸福になれると
勘違いしている市場経済的価値観が
なんだか机上の空論か、紙切れ一枚の安っぽさに、ふっと
思えてくるやも、わからない。
「ズボン」を「パンツ」と「ゆ」わないで!
2007-05-20 12:49:15 oyazの投稿
ワタシには今時の娘が3人もいるので
今時の子たちのモノ言いや考えや気持ちは、意外にわかる。
モノ言いや服装や化粧は「下品に」「汚く」キモク変わってしまったが
どんなに欧米に体格や様式が近づいても、
日本人はどこまで行っても日本人のまんまであり、
金髪に髪だけ染めても、スラングまじりでラップを踊っても
「あんたはどうあがいたってニッポンジンのまんまです」って!!
そして、どんなに本音と建前を上手に使い分けられるようになろうと
「いい子を演じれば演じるほど、ギャップで切れたり爆発してしまう」
そういうことは昔だっておんなじだったわけで、
ワタシたちの世代とどこがどう違っているかといえば、
「なにクソッ!」がすこ~しだけ少なくなった、だけなのかもしれない。
「人間は何故生まれ、どこに行くんだろう?」って
ワタシは5歳のころから考えていたが、
そんなことを教えてくれる先生も大人もいなかったし、
いまだに明確に答えられる人はいないし、
「死ぬまで生きてみるしかない」のが
地球人全員に与えられている『平等』なんだと今はやっと言える。
そしてジェントルマン顔して世界のトップランナーとして走り続け
日本も手本にしてきたUSAが「一番悪い」市場経済をスタートさせ
もう、誰にも止めることができなくなっていることがわかる。
USAの最たる文化は『映画』であり
USA国民のスポーツ文化のそもそもは『野球』だった。
それはそれで「おもしろい!」
しかしそういう庶民や娯楽レベルの好感とは裏腹に
USAの歩んできた政治と経済は紳士面したマフィアの
それに思える。だから今時の若者たちよ、もろ手をあげて
アメリカのものまねなんてしないでほしい。
日本人は決して人としてアメリカ人に「負け」たりしていない。
むしろ、文化的にも精神的にも数段優れて繊細な種族である。
食文化は味覚と五感も含め「世界一」である。
俵屋宗達や本阿弥光悦の絵や書や工芸、焼き物に
匹敵するものを欧米人はもっていなかった。
日本の文字には漢字もひらがなもカタカナも英語もある。
お祭りは東北だけでも何百もある。
江戸時代という「循環型社会」が日常にできていた時代ももっている。
日本人であることに「見た目なんかで卑屈にならず」
「もっともっと日本を知って味わって誇りを取り戻そうよ」って
ワタシは言いたい。「なんで~あのスットコドッコイガ~っ!」て
みんなで言ってあげようじゃあないか!!
「人生は4コマ漫画」(脳の超整理法的極意)
2007-05-19 05:13:59 oyazの投稿
TVで、漫画家の故「はらたいら」氏の特集をたまたま見た。
「人生は4コマ漫画
起承転結がある
3コマ目をどう過ごすかで4コマ目が決まる
3コマ目が一番大事」、、、、そんな氏のコメント。
中年世代は誰でも知っているが
この「はらたいら」のクイズの正解率には舌を巻いた。
その極意は、なんとこの「人生4コマ漫画」の考え方
そのものだったことを、今回のTVを見て初めて知った。
普段から勉強し、博覧強記ではあったのだろうが
クイズの答えを推理するのにも4コマ漫画に
当てはめて考えていたところが面白い。
問題を4コマに整理し、穴の開いた何コマ目かを
「起承転結」の整合性の上で推理し答えを出す。
『クイズダービー』正解率70%の秘訣はそれだった。
さっそくワタシも「はらたいら」式4コマ漫画的整理法を
新しい仕事を覚えるのに応用してみた。
するとどうだろう、
じつに頭にすーっと記憶できることに気づいた。
何かを覚える時は、
メモ帳に、箇条書きした要点を右に書き連ね
大きい四角い線で囲み
左にインデックス代わりに「起」「承」「転」「結」
の文字を一文字づつ縦に書き込み
縦線横線で4コマに整理すれば、できあがり。
実に「すーっと」脳はそれをメリハリよく記憶する。
なんでもない簡単なことだが「コツ」とは、えてして
そんな「なんでもない何か」なのかもしれない。
若者に人気が出てきたの?「農業」
2007-05-18 04:32:38 oyazの投稿
ワタシは若い時
いろんな国を見る機会があった。
北はマイナス25度のカナダのオーロラの見える地
南は40度で道路に陽炎がゆらめくワラビーが併走する豪国
東はインディアンが出てきそうな赤茶けたグランドキャニオン
西はパリのモンマルトルの雑貨屋やアムスのガラス窓
北欧の短くも美しい夏に登山電車や船に乗りフィヨルドを渡り
エジプトアレキサンドリア近くのクレオパトラの泉に潜り
イスラエルの死海の半端でない塩辛さに目を覆いながら
帰りのタクシーの中でアラブ人の話を一生懸命に聞き、
アテネのOP競技場で夜通しブズキと歌声に酔っていた。
日本に帰るたんび思った、
日本ほど1年を通して四季があり
水と緑があり、南北に幅のあるさまざまな食文化と
祭などの伝統文化が今も数多く息づく国は
ほかにはないだろうって。
そんな日本の瑞穂の国と言われ続けた農業国は
世界No.1に象徴される自動車販売を筆頭とする工業国となり
「米」を作っても食っていけないのでドンドン米作りを放棄し
雑草に覆われた田んぼが目に付く農業荒廃国になってきた。
そんな時代にワタシはあえて奮起して「百姓」になったが
人が言っていたとおり「農業だけでは食っていけない」
まさにそのとおりの現実に今、直面している。
作物は何でもいいのだが、たとえばキュウリ。
一本10円が農家から買い上げる卸値だとする。
200万円の売上にするには実に20万本を収穫し販売し
続けなければならない計算である。経費が40%とすれば
手元に残る現金は120万円。税金も納められない。
米にいたっては経費が70~80%かかるから
同じ売上がある人でも手元に残る現金は5~60万円。
そのほかにベンツが買えるほどの農業機械の借金が残る。
TVで若者の農業を希望する数が2倍に増えていると言っていた。
「ベンチャー」として、果敢に挑戦する姿には大いに賛成だが
「夢と現実」はまったく違いすぎるのも現実であることを知ってほしい。
今の日本においては「農業で儲ける」という工業的な思いは捨て
視点/考え方、そのものを変えたほうがいいように思う。
むしろ「自給自足的農業」か「副業農業」に観点を変えるべきだ。
汲々として切羽詰ってなんてやらないことだ、
「農業に命を懸けて」なんて思うな。
何故そんなにシゴトをするの?増やすの?
2007-05-16 05:22:17 oyazの投稿
差し歯を心配のないしっかりしたものに作り変え、
夜道の運転にもそなえメガネのレンズも交換した。
ワイシャツも2枚購入、黒いズボン・黒い靴・ベルトも新調。
初めて勤める会社のユニフォームのブレザーとネクタイを
身にまとえば、新顔のホテルフロントマンのできあがりである。
昨日より6月からの1本立ちに向けて、実践的な実習が
始まった。長年、旅行会社の営業マン兼添乗員だった自分
には、久しぶりのサービス業の現場復帰である。
2年間のブランクはあったが、なつかしい「接客7大用語」や
電話予約や問い合せへの受け答え、パソコンを使っての予約や
空室状況の把握・修正の仕方など、すぐに呑み込めた。
農業にも老人ホームの宿直にもない新鮮味を味わいながら
しかしほとんど違和感もなく、すっと職場に溶け込めて行く感じは
やはり慣れ親しんだ同業種だからであろうかと思われた。
6月からはナイトフロントと称する仮眠のない夜通しの夜勤フロント
マンとして月に10日ほど勤務する予定である。そのほかに老人
ホームの宿直を10日こなしながら、日中は花栽培もやろうという
計画。「いつ眠るんだい?」ってことになるが、ワタシはそもそも
あんまりたくさん眠れるほうではない人間なのでうとうととその辺で
ちょっとだけ休息すればナントカなってしまうだろうとタカをくくって
いる。本当は「もう寝なくともいい、酒も飲まなくてもいい、死ぬまで
元気に働き続けられるように、とにかく元気で健康に働き続ける」
なんていう無理くりの、ワケのわからない強引なOyaz流理屈と
ノリで後半生に臨んでいるのである。