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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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天は人の上に、、、人の下に

2007-12-30 11:13:50 oyazの投稿 
金がないと嘆き続けて数十年、、、

しかし、本当に月40万、50万もらっている公務員が幸せ

なのか?まして、年俸1億数千万円、あるいはイチローの

ような数十億円もらえるニンゲンが幸せなのだろうか?



答えは

「その人間になってその人生を演じてみなければわからない」

と言うしかないのかもしれないが。



結局、自分と他人の給料や収入を比較してうらやましいと

思うのは「単純でおかしげな嫉妬」以外の何モノでもない。


体重や身長、顔の良し悪し、髪の毛の有る無し、成績の良し悪し

運動神経の良し悪し、芸術的才能の有る無し、語学力の有る

無し、几帳面さの有る無し、気配りのできるできない、思いやり

のあるなし、爪の形の良い悪い、熱いお風呂の好き嫌い、そば好き

うどん好き、肉好き魚好き、下戸上戸、喫煙嫌煙、せっかち

のんびり、子供好き子供嫌い、犬好き猫好き、車好き自転車好き

アナログ好きデジタル好き、ノーマルアブノーマル、下駄好き靴好き

ブリーフ派ボクサー派、でぶタイプ筋肉タイプ、オカマ好き女好き、

自然好き都会好き、古典好き新し物好き、巨人ファンアンチ巨人、

親米反米、米好きパン好き、目に見えないものを信じれる人

そうでない人、、、、、、、、と思いつくことをアットランダムに羅列

しただけでも何を持ってその人の「幸せ」と言えるか、窮する。

金の多寡はそんな、人の持ち合わせた力量や好みやめぐり合わせの

ほんの1項目でしかないのがおぼろげにも、わかってくる。

むしろ、巡り合い、一緒に生きるヒトなりと楽しく生きているか、

自分の才能や持ち味を自分の納得できるまでに出せているか

のほうがきっと、個人がこだわる、大事な部分なのだと思える。


ヒトを殺す権利と行使

2007-12-28 11:48:45 oyazの投稿



人が人を殺す権利なんてあるのだろうか?

各国の法律はこうで、政治バランスは現在こうで、

軍事バランスはこうなっていて、大義名分はこう作れるから、、、

と理由付けして、大国はナラズモノ国家に「少数決」の原則で

軍事侵攻した。これを裁くもっと強い国はほかにはないから

フセインを含む「人殺しはまかりとおった」。


自分の子どもが誰かに殺されたら、たいがいの親はそいつを殴り殺し

そのあと、自分も死ぬだろう。個人的には感情的に心情的にそうなる。


宗教、過激派のいかんにかかわらず「自爆テロ」とはそうした

個人の「腹くくり」と「非合法な行使/実行」以外の何ものでもない。


ブットが暗殺され、それを取り囲んでいた無名の人々が数十人

殺された。たった一人の個人の個人的な感情と実行で。

悪いのは、世間一般に言うように、物騒な国パキスタンでも、

聖戦や自爆を神の名のもとに潔いとするイスラム教でもない、と

ワタシには思える。自爆テロでブットを殺し自身自爆するまでに

追い込んだ社会が悪い、と思える。その総張本人がムシャラフ

その人なら、ムシャラフこそ悪い。


9.11のテロの本質を、悲惨と凄惨の物凄さのあまり、

みな目を背けがちだが、オサマビンラディンを、地獄の火であぶられた

としても最後の一撃でオマエの喉仏を突き破ってやるッ、と追い込んで

しまったのが、歴代のアメリカの為政者たち、そして世界中で自国に

有利な商売を、力づく、札束づく、法律づくで、利権を我がものにし

て、のさばってきたアメリカ経済人、実業人、軍事関係者たちに

他ならないことを忘れてはならない。9.11のテロがあったから

アメリカがそれに対抗すべく立ち上がった構図ではなく、もともと

アメリカは自分のパワーと論理で好きなように世界を蹂躙してきた

しっぺ返しが、余りにも悲惨で人道を全く無視したこの世で考えられる

もっとも非人道的なやり方の人殺しとして9.11があるのである。

無論、オサマビンラディンも死刑だが、ブッシュと著名な財界人、

それを支える有力政治家たちも、死刑、もしくはそれ以上の刑、に

処せられるべきである。


何故「アメリカのやり方は悪いッ!!」と世間は騒がないのか

頭の悪いワタシには不思議でならない。日本は何で在日米軍の

ために「思いやり予算」を血税から支出しなければならないのか?

何故、アメリカ大使館だけ地代の支払いを延々と支払い猶予し

続けるのか?払う気がないからだし、日本が払って当りまえ、

オマエタチを北朝鮮や中国、ロシアから軍事的に保護しているのは

いまだにまぎれもなくこの「宗主国」アメリカなのだから、

そうコエタカラカニ言っているように聞こえるのは、難聴の

ワタシだけか、、、












ヒトも犬猫同様に「やっている」のかも

2007-12-26 06:17:09 oyazの投稿



ワレワレ人間は、猫や犬や鳥より上だと思っている。

飼い主である人間様は彼らに餌を「やって」飼って「やっている」。

おもちゃのように愛玩したかと思えば、八つ当たりのはけ口として

叱り飛ばしたりもする。


飼われているほうからすれば、迷惑なハナシである。

だいいち犬猫鳥はおそらく、このニンゲンに「飼われている」だ

なんて自分たちは思っちゃいない。媚びて餌をねだるようなしぐさを

するのは、食わんがための彼らの『処世術』であって、決して

飼い主を尊敬し、忠誠を誓って、服従しているからなのではない。


野坂昭如が脳梗塞で倒れ、リハビリを続けている現在、

わずかな分量ながら、毎日新聞に「七転び八起き」という文章を

連載しているが、彼の最近の文章のなかにこんなのがある、

「死の前には人間はみな平等である」。金持ちも貧乏も

名誉のあるヒトもないヒトも、利巧もアホも、男も女も

昔記憶力抜群だったヒトも昔から記憶力がなかったヒトも

昔絶世の美女だったヒトも昔からそうでなかったヒトも

すべからく「死の前」では平等だ、と。然り、然り!


ワタシは50人ほどいる老人ホームの夜警のバイトをしているから

野坂の言う言葉は実に実感を持っておおいにうなづける。

いつ、自分の順番が来るか、とみなが思いつつ、毎朝

ぞろりぞろりと起きてきては数少ないオカズの朝食を済ませ

「おでかけ」といえばたまのスーパー送迎バスでの買い物と

あっちコッチのいろんな科への病院通い、と決まっている。

実に、我々ニンゲンは「死の前」で平等である。そういう意味でも

われらニンゲン様もカミサマか宇宙のゼッタイ法則管理者が

生かして「やっている」類のペットみたいなもんだと、ふっと

思ってしまうのだ。




ふたたび、高山辰雄

2007-12-24 13:46:34 oyazの投稿


彼は大分県生まれで、小学生の頃に「画家」を目指していた。

のちに東京美術学校に主席で入り、主席で卒業する。

後半部分はワタシとまったく違うが、小学生から画家を志していた

あたりはまったくワタシと心を同じうする類の人だった。


さて彼の写実力は圧巻で、鉄なら鉄の音がする如くに描き分けられた。

けれど、それだけだった。同世代の山本丘人にそのことを指摘されて

高山辰雄のホントーの画家の道程がスタートする。

彼は風景を描くことで、人物を描くことで、花を描くことで

そのモノを動かし、生かし、いざなわれているような「生命力」を

終生描こうとし続ける一生となる。それは愛情あふるるまなざしとか

受けを狙った凝ったデザインとも違う、栄誉を得んがための作為でもなく

宇宙やそれを動かしているエネルギー、同位元素の同じ人間と宇宙の

つながり、我々生きとし逝けるものの存在の根源とは何なのか、を

絵で探求し続けた求道者の「表現」にほかならなかった。


映像には、彼が70~80になろうがカンバスを眺めすかしつ、時に

眺めていた脚立の上から後ろ向きに飛び降りたり、ふるさと別府の

海辺に出かけては裸足になって海を「肌で見る」姿が記録されていた。

そうして由布岳の近くの丘に登り、風雨の中でも自然に溶け込んで

耳を澄ませて命と宇宙の息吹を一体になって感じていたいとでも

念じているかのような、表面だけ老いた哲人の姿が残されている。


「生きるとは」どういうことか、「生かされて、どこへ我々は逝くのか」

女性とはどんな生命力の存在か、子供たちは、家族は、、、、、

そんなありふれた、しかし世界のいずこにも普遍的な生の不思議と

畏敬と探求、をオオマジメに90数年生きながらしてきた彼の

人生であった。



高山辰雄の描きかた

2007-12-23 16:31:20 oyazの投稿


きょう新日曜美術館で高山辰雄を見た。

名前や作品は知っていたが興味のない人だった。

しかし今日の番組で彼が何を描こうか、という

観念的な考え方を聴いて、ああ、そういうことなら

共感できる、と思え、師と仰ぐことにした。

けれどわかったことはもう一つ、

よわい90何年を迎えても、命の何たるか、

自身の生の何たるかは、やはりわからないままだった、

ということ。そして、それでいいんだ、俺は生きた、描いた、

悔いはない、できることならもう一度生まれてもう一回

描いてみせたい、、、、、、そう、言っているような気もした。



ワタシも今もって自分は画家だと信じて疑わないが

それはマンガだったり、イラストだったり、版画だったりして

この高山辰雄に比べると、随分チャランポランだな、と

自分で自分の「姿勢」に、きょうはガッカリしてしまった。

でも、90過ぎの彼の人生観は、宇宙を含めたこの世に生きる

ものの生命の不思議、イカサレテいるかのような科学的神秘、

そして自己のいくつになってもわからない存在意義、などは

まったく自分とおんなじレベルだと、共鳴し、トレースできた気がする。

そういう意味で、ワタシは既に死んでしまった人と

きょう、運命的な出会いをしたのである。

「気」とは何か

2007-12-18 08:24:04 oyazの投稿


「病気」は「気」を病む、こと。

病んだ気は風邪のように周りにうつる。

反対に、元気な人のそばにいるとこっちまでなんか

知らずにパワーをもらったように元気づくってことは

誰しも経験している。

つまり、性質として「気」は、触発する、のである。

それは小説を読んで感動したり、映画を見てその気に

なったりする状態も、同様、「気」が働いているから。


では、根源的に「気」とは何なんだろう?

それは、体も心も頭脳も経験も感情もやりたいこともやりたく

ないことも好きも嫌いもできるもできないも正直も嘘も実務人も

夢追い人も演歌歌手もオペラ歌手も津軽三味線もハープも

健常者であろうが障害者であろうが、その人のもつ全人格の

中格(コア)、である。


いわば人の根本の一番中枢になる部分である。

だから人は挨拶する時「元気ですか?」と聞く。

「気」は健康ですか、健在ですか、息災ですか?と。


別の言葉でムリクリ言えば「気」は、魂であり、スピリット

であり、生霊である。だからこそ人に影響を及ぼし人から

影響を受けるのである。

「気功」とは本来、ただの健康法ではなく、この人間の根本を

掃除をしたり、メンテナンスしたり、準備体操したりして

宇宙の中の、リズムに包まれながら、自然の法則空間でこの時間

生かされる我々が、平常心でいつもの正直な自分であたるために

ちょっと居住まいを正して構えを整える、準備法なのである。




生物界のニンゲンという性悪

2007-12-13 13:26:10 oyazの投稿 
非情に、ノベルっぽく言えば

この世には2通りのニンゲンしかいない。

裏表を使い分けるニンゲンと、そうでないニンゲン。

実業界では前者でないと生きていけない。

弁護士もそうであり、今時の政治家もそうである。

人心や理屈への賛同を得んがために実態の有無にかかわらず

論理的、効好感的に言葉を駆使する職業的弊害人種たち。


マスゾエが公約でコエタカラカニ言ったことが不可能なことが

ここにいたって明瞭になってきたら、途端に、顔を真っ赤にして

誰がこのポストの大臣に座ったって「できね~もんはできね~」

と、逆切れタンカを切り始めた。


東大卒のアンちゃんでトップ当選していきなり大臣に抜擢されて

意気軒昂だった当初と比ぶれば、今や自らのリップサービス過剰

の尻拭いに、成す術もなく、頓挫、沈没し、他の幹部の苦しい

言い訳めいた援護を楯に、背走の先陣を切っている姿と言おうか。


裁判も、決して正しいから勝つわけではなく、証拠と理屈の整合性が

より理にかなったほうが勝つのである。これってアメリカのディベート

の延長に過ぎないとしか思えず、舌戦の巧者コンテストに思える。


最近では、食料に回していたトーモロコシや大豆をエタノール燃料の

原料として守銭奴ファンドが買いあさるもんだから、食料危機が切迫し

てきたし、京都プロトコル以来、CO2売買取引などどいう新手の先物

取引をイギリスが作り出し、また地球を金で切り売りするオイルマネー

ならぬCO2マネーという市場経済の1ページがヨーロッパを中心に

台頭してきた。なんでも「ゼニ金」の世の中である、と子供たちは強く

実感して見ていることだろう。


これもあれも結局、金のため。政治家も大企業も「金のためなら

何でもするゼッ」ってことを、世界会議を通じ、我々庶民に見せて

いるニュースばかりである。



現代人は自然界にないPCBを創り出し、石油製品で身の回りを

溢れさせるようになって以来、かくの如く、救われがたく、地球もろとも

自滅する以外ないであろうと純粋に絶望的悲観をしてしまうほど

まったくもって死ななきゃ直らない、愚か者に堕してしまった。



ふっと、存在を否定された一瞬

2007-12-09 03:50:15 oyazの投稿


「なんでそんな怒ったように大声で言うのヨっ!?」

って罵声を浴びせられたら、「うっ」と本当は二の句が継げない。

それはワタシのハゲアタマに「何でアンタはハゲなのヨっ!?」

って詰問されているようなもんだし、たとえばデブでノロマな人に

「メタボガメっ!」なんて言われたのとおんなじである。


「Aにこうしたなら、おんなじようにBにもこうしてくれると思った」

って勝手に決め付けられても思考の手順やパターンがお互いに

違うのだから、ワタシの思考パターンと行動が、必ずしも

あなたと一致するとは限らない。むしろ違うことのほうが普通だ。


たったこれだけのことだった。たったこれだけのことで

人は大喧嘩を始めるし、何十年の信頼をいっぺんに壊してしまい

かねない場合がある。それは特にどちらかの心が疲弊している時

普段なら笑い話で終わることが、深刻なバトルに進展してしまう。


自慢じゃないが「自分には人より優れたイイところなんてほとんど

ない」と思う。いいものがないと思っている人に「あんたって本当に

いいところが全然ないのネッ!」って追い討ちを掛けられたら

立ち上がる気力もヨスガもワラ一本もなくなって沈没するしかない。


夫婦の些細な喧嘩で、危険な喧嘩とはこういうもんである、いつも。

それは自分自身の変身願望へと変わるきっかけにはなる。

女房の好きなサワダケンジやクサカリマサオのようないい男に

今日から変身するぞっ!な~んてデキモしないことをしようとしたり

コダマキヨシのように知的で物静かな言動で包容力のある人間に

改造するぞ、な~んて自分自身の器ではない借り物をかぶって

「きのうの自分とは違った」自分を演出して見せようなどと

奮闘してみたりする。化けの皮はモチロンすぐ剥がれるが。


かくのごとく

ニンゲンは自分自身の欠点をお恥ずかしながらもさらして生きて

いくしかないし、どんなに一所懸命努力しても自分の人間性を

他の人間性と交換して、性転換でもしてしまうようには人間性を

変えることは容易ではない。その醜いワタシの容貌と体と声と思考

パターンと尽きない欲を、仏教では「業」と言っている。

「バカは死ななきゃなおらない」とモリノイシマツが言われたように

「ワタシの人に嫌われる人間性も、死ななきゃ直らない」ワケだが

19の時「決して死なずに生きてみること」と決めてしまったので

それもかなわない。死なずに、死ぬまで生きてみる、ことに

決めたのだから。嫌われても、疎まれても、、、それが「業」を

もつ者の死ぬまで終わらぬ「修業」だと思っているから。

、、、、生きるってスバラシー!なんぞという刹那的な一瞬も

確かに人生にはあるが、つらく、重く、せつないことのほうが

その何倍も何千倍もイッパイいっぱいあるのである。

ダレニデモ、である



この世にありうべからぬ一期一会

2007-12-07 11:18:29 oyazの投稿 
この世にあり得べからぬこと

それはこのワタシたちが「今ここにこの瞬間生きている」こと

そのものである、とは大抵考えも気づきもしない。



63億人なりは、みな、奇跡的にこの現代に生きている実は。

と言うのは、一個人、一人一人のレベルに立った時に

おおげさでもなんでもなく、そのとおりだと思える人も多いのでは。


ニッポンには「一期一会」という言葉があるが、みんな知っては

いるはずだが、その稀有な意味深長さや神業的な言葉だとは

思ってはいないだろう。

実はコレハなかり哲学的に深い。

し、実存的にオオマジメな奥義の言葉である。


卑近に言えば

きのう酒を飲み交わした相手が

きょうは夢幻だったかのようにこの世からいなくなっていたりする。

あるいは、運命的な出会いをし、結縁の家族にも恵まれ

ワレラの一生はまたとないと感激ないい人生だったと言っていた夫婦も、

いつしか老いさらばえゾクゾクとシャレコウベとなって口なしで土に還る。

その墓を「先祖代々」からのお宝と、子孫が累々と守って手を合わす。


あるいはきのうまで赤ん坊でオシメを変えたりお乳を飲ませていた

かわいい子が、今は憎たらしいデブの才走ったガキデカに育っている。



「人生は一期一会」「人生は一瞬」「霧の中の泡の如し」であり

こう語っているワタクシも、明日はいないかもしれない。

いや、いつか必ず、そういう日が来るのである、だれにも。


だから、一瞬一瞬の会話やふれあいや交流は

もう再現できない、またとない「最期」であると古人は喝破していた。



そう思うとあたらめてこの瞬間ここに自分がいることが奇跡と思えてくる。

今は我々は生きていて、人と語り、ふれあい、子育てしているが

明日は露のように消えてなくなるのである。そう考えると

妙に何かがぐっと胸に来て、人間だって7日で一生を終える

ウスバカゲローとなんらかわりがないんだ、7日が70~80年に

なっただけで、生の本質に違いはナイ、と思えてくる。

「そう思うのも」ワタシが「考える葦」の一本として

今この瞬間、生きているから、、、、なのである。






生き終わるまでのLife(原点)

2007-12-01 23:27:56 oyazの投稿 
何の因果か

何のお導きか

いや、何かの間違いだっただけか、、、、



兎にも角にも、ワタシたちは老若男女、大小硬軟こきまぜて、

愚息賢息、マルビにセレブ、媚び上手にまいうぇ自己チューまで

あの世にでも、妖界でもなく、宇宙人でも、犬でも猫でも虫でもなく

我々は人として「この世」に生まれ落ちていた。気づいたら、いや、、

別に自分の意思で生まれたくて生まれてきたわけじゃない、、、誰モ。


In fact 実は、、ワタシは、幼い時からタイ~ヘンに悩んできた、

自分とは何者か、何故この親で、何故この家で、何故日本で、

何故この時代だったのか、、、、と。そして

何故生まれ、どう生き、どう逝き、どこへ行くのだろう、、、、

このまま生きるべきなのか、生きてて本当に楽しいのか、、などと。


ところが、そうこうするうちにいつの間にかワタシ個人は半世紀も生き

子供たちがヤマンバおっかけ走りで我らに追いつかんばかりの勢いで

歳をとり始めた。すわっ!このままではあっという間に人間の

最長可能年齢140歳に達し、死んでしまう!

そう気づいたワタシは、もとより備わった人知れない聡明さと

半世紀の間に鍛え上げられた人としてのキャリアと辛酸の数々、

その結果として吐露できる珠玉の言葉や奥義、爺のくりごと、

ひいては「おせっかい」を、ボケと思い込みがまだしもの今のうちに

うちの子たちに、または奇特な後人に、残してあげねばと思ったので

ある。以下は簡潔な、ワタシの悩んできたことへの対処法/考え方。




まず「死」についてである。宮沢賢治が雨ニモ負ケズ。。。の詩中に

≪、、行って、こわがらなくていいと言い≫と書き残したように、第一は

自分の「生の終わり」をいたずらに人は怖がらなうほうがいいということ。



死を「生まれ変わる」とか「霊界」とか「天国地獄」という言葉にまどわさ

れて、考えないことだ。死んでなお生きる、かのように人は錯覚しているが

どうして生まれてきたかさえ覚えていない人が死んでなお生きる、などと

いうことがありえようか。、、、ありえない。と、ワタシは結論付けている。

そ~して生きるに対して「死ぬ」と考えるのではなく「生き終わる」ことを

「死んだ」と過去形で言うのが本来正しいのである、と理論を整理した。


こう考えるとタイヘン気持ちが気楽になり、落ち着いてくる。

「ああ、生きて生きて、やがて、生き終わるのだな誰も、、、もっともだ」



次に、どう生きるか。

これは1億人いれば1億とおりの生き方になる。ケースバイケースだ。

そうならざるえを得ない部分である。一つだけ普遍的に言えることは、

人は一人では本来は生きていけない動物であるということ。一人では

生きている意味がない。誰をも受け入れず孤独で生き続けるには

よっぽど打ち込める創造力を持っている人か、我慢強い精神力の

持ち主、と言うことができると思う。人は誰かと「出遭う」べきである。


では「誰と出遭う」ことができるのか。それは、自分が一番知っている。

「ワタシ」は常に取捨選択している、モノでも人でも。これはちがう、

これはちがう、、、、コレだっ!!、、、というように。ダカラ、出遭う

べき人を人は誰も「ワタシ」自身がジュアストフィット人を捜し当てる。


ここまで生き進むことができたら、あとは人生は「楽ありゃ苦もある」が

なかなか面白い。実務的に子育ても含めて生き出すし、一方で

自分本来の才能、創造力を発揮し始める。極端に言うと家庭を

かまえて人は本来のスタートラインにようやくつける、のであり、

生き方はそこから初めて始まる、といって過言ではない。

その家庭をめちゃくちゃにしてしまうケースがあるが、それは

ワタシがここで書き述べているようなことを、深く考えないで家庭

生活に入ってしまったケースがほとんどではなかったのだろうか?


さて「スタートライン」まで、ようやく話が辿りつけたのできょうは

この辺で。次回この種の話題を語る機会や意欲があれば、今度は

持って生まれた各人各様の「才能と創造」について語ろうと思う。


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