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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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「板垣死すとも自由は死なず」って???

2007-09-12 02:22:00 oyazの投稿 
我々日本人は確かにオザワが言うようにまだ本当の

「議会制民主主義の成熟を見ていない」のである。


たとえばアメリカのブッシュはある企業や産業界の代表として

政治家をやっているのであって、あるグループの利益が上がるように

法律を変えたり、外交的圧力を加えたり、核で威嚇したり、国連を

無視して単独でもイラクやアフガニスタンというよそ様の国に暴力団まがいに

ジェット機とミサイルで攻め込み、市井の人々さえ殺めることさえ行っている。

つまり、政治家とは、極めて偏った、ある利権団体の組頭なのである。


だから、日本のように、

八方美人的な、博愛主義者の万人受けする政治家なんて本来

いないはずなのである。

「自民党」はTOYOTAや松下やCanonなどの鉱工業等の産業経済界を

代表する主張団体なのであって、決して労働者や百姓の味方ではない。

だから、我々庶民である百姓や、会社勤め人たちが、選挙のたび毎

「オレは今度は自民党の小泉がいいと思う」とか

「私は今度は同じ自民党でもシンゾーはダメだと思うわ」とか

そう言うこと自体まことにナンセンスきわまりないのだ。


何故ワタシのようには貧乏ではないにしろ、多くの日本「貧民層」が

富裕層の代表である自民党の「だれそれがいい」とか「悪い」とか

自民党を選ぼうと議論するのか?不思議でならない。

「貧民層」に属するほとんどの庶民は庶民らしく

共産主義者の山田洋二監督や、

「ご苦労ーさんっ労働者諸君!」と連呼する寅サンよろしく

労働者や一市井は、われら貧民たちを大切にしてくれる党に入れれば

いいだけの話である。「中流」とは決して経営者でも金持ちでもないのだから。


「板垣死すとも自由は死なず」的な

カッコよさや美しさ、潔さ、に日本人は弱いが

政治家とは本来、どっかの偏った、グループや層を代表する圧力団体。

そう、きちっと認識して、初めて、こらからの日本では

ようやく政治力学のバランスを考えた「選挙」を我々はできるようになる。

三島由紀夫とPapa

2007-09-10 04:12:04 oyazの投稿 
自分が中学2年の秋

三島由紀夫は東京市ヶ谷で、楯の会の憂国の士として檄を飛ばし

現代人である我々が初めて目にする「切腹」という衝撃的手段で果てた。

ワタシは即座に「三島は芸術のために死んだのだ」と同級生たちに語った。

35年以上経て、その考えは、基本的には今も変わらない。



「Papa」と愛称されたヘミングウェイも自らをライフルで撃ち抜いた。

自分が生きたいように生き、作品も、名声も、才能も、常人でない彼らが

なぜ最期の「生き方の終わり方」に自殺を選んだのか?



では「芸術のために死ぬ」とはどういうことか?

他からの要因、老衰でも、病死でも、事故死でもなく、

「自らの人生を自らの手で幕引きする」自らのエゴで死ぬこと。

その死を敢行するまでの筋書きと舞台は異なるが、

自らのエゴを押し通して死ぬことに決めたのだ。

結局、三島もPapaヘミングウェイも、そうした。


「ぼんやりとした不安」のために自殺したと言われる芥川龍之介、

その彼を敬愛してやまなかった太宰治もまた自殺で果てる。

「美しい日本の私」でノーベル文学賞受賞の講演をやった

現代日本文学の「美」を生み出して見せてくれた川端康成も

三島由紀夫の死に衝撃を受けたらしいと言われながらガス自殺した。



1億人の中のほんの一握りの人しか立てないお立ち台に立つ人でさえ

最期に「自殺」をして果てるのは何故か?

エゴという「強烈な自我」の自己主張を自身抑えられない結果か?

「長生きしたい」と思う多くの凡人とは違う彼らの目には

世の中はどう見えているのだろう?

少なくとも彼らは「平凡な幸せ」に安住できるような「平凡な自我」は

持ち合せていなかったのである、生まれた時から。


誰にとっても生きるとはある意味「修羅」を生き続けることではあるが。







人類みなショウガイ

2007-09-09 04:11:25 oyazの投稿

娘が不登校からひきこもって6年。

赤ちゃん帰りを経て、今や、堂々たる知的障害者。

勉強はモチロン、身の回りのことはほとんどできなくなった。

下のことさえ、自身コントロールできないことも。

最近は四六時中母親であるワタシのパートナーにまとわり付いて

「キスしましょっ!」「やめなっ気持ち悪いっ!」の応酬が繰り返されている。

勿論、そんな娘だから一緒に畑に連れて行っても何一つ手伝えるわけでもない。


一時は、そんな娘が、将来自立して食うに困らないために、

と思って始めた花栽培農業でもあったのだが、「娘のために」は

まったく余計なおせっかいだったな、って最近思いなおしている。


さて、最近気づいたのは、いつかは皆、障害者になるんだってこと。

「自分だけはそうはならない」と思っている人ほどあぶない、とか

「考えてみれば歳をとれば足腰が弱りやがては障害者になる」とか

そういう意味合いのことを言いたいわけではない。


「人間のひとつの能力としての、障害になる能力」のこと。

それまであんなに活発に外で自転車に乗り、バスケで走り回り、

毎朝本読みを欠かさなかった子が、対人恐怖症のようになり、

家から一歩も外に出ようとしなくなり、社会から自らをシャットアウトし

そうこうして4~5年経つ間に、運動能力を司る能力が衰え、

反射神経が衰え、まともな会話ができなくなり、知的障害、発達障害

という様子があきらかになってきた。

いわゆる「まともになる」「もとのような健常者に快復する」様子はない。

むしろ、どんどん知的障害が進んでいる観さえある。


そうして気づいた、娘は実は「障害者になろうとしている」のでは、と。

「故意に演じている」というのではなく、自己防衛のため無意識に

脳が「障害を発症することでこの子を守る」的に作用しているのでないのか、と。

人は何か生きにくいことがあった時、生きにくい障壁があった時、

その壁を乗り越えるために「病気を発症する」のではなかろうか、と。

だから一見知的障害、精神障害に「陥る」ように見えるのは

そういうネガティブな意味で「陥る」とか言って扱うのではなくて、

むしろポジティブに「変身して」その人はその困難を乗り越えようと

している。人間のひとつの能力を持っているのではないか?

そうワタシは考え始めているそう考えれば朝青龍もそうかもしれない。

人が「患う」のは逆に何かを乗り越えるためのステップを踏んでいる

そういうことなのかも知れない、と思うようになった。

「死」が近づいて「ボケる」のもまたしかり、

死という恐怖や苦痛を乗り越えるための人間のひとつの能力なのである

きっと、だから、人は皆、障害者になる、

その能力を持っているのである。


台風9号がまともに来る

2007-09-07 03:51:54 oyazの投稿 
日本の皆さんは認識しているだろうか?

山形県ほど災害の少ない県はないってこと。

お隣の新潟県はここ数年、豪雪と地震にダブルで見舞われ、

弱り目にたたり目的に、ものすっごくつらい苦難をこうむった。

山形もいつ地震が来てもおかしくない「空白地帯」を抱えており

新潟同様、いつ天災に襲われるかはわからないのだが。


さて、今回ばかりは話が違う。

この台風9号は、現在、その「災害のない県」にも

まともに突っ込んでくる形勢であり、ちょっと楽観視できない状況なのだ。

ワタシのような農家はことさら心配が人並み以上に募る。

せっかく昨日まで順調に生育してきた稲も果樹も花も

風速30~50mの暴風雨が通過していけば

被害甚大なることは火を見るよりも明らかだから。


昔っから、百姓は、自然の脅威の前には「なすすべがなかった」だろう。

森の鎮守様、お不動様、カミサマ、ホトケサマにおすがりするほか

手はなかったのだろう。現代とて同じ。このコンピュータ時代にも

人は災害を阻止できない。


超強大国アメリカさえ、核兵器を持とうが最新鋭迎撃ミサイルを持とうが

「カトリーナ」の暴風雨とその被害を防ぐことは全くできなかったように。


人は傲慢になったのか?

人為的に何でもできると勘違いしだしている。

縄文時代が、何の進化も変革も遂げずに(実に不思議なことだが)

2000年続いた歴史をもう一度考えてみる時に来ているのかもしれない。




ヨカン

2007-09-05 05:48:53 oyazの投稿

「平凡が一番」

「一人の人と死ぬまで添い遂げる難しさ」

「この世に生き続ける苦行修行試練」

「ブラザーサン&シスタームーン」

「この世でしか価値のないお金」

「人間関係の煩わしさ」

「ハイジのオンジ」

「予感」


ワタシの生きる価値観のモノサシになっているキーワードを

アットランダムに思いつくまま並べてみるとこーなった。

己の価値観も頭脳も人間性も、所詮こんな浅薄さしかない。

しかし、いかに博覧強記な脳の持ち主だろうが

商売にたけ、大金持ちになろうが

(すぐに辞任せざるを得ない)大臣に上り詰めようが

どんなに世界中を旅しようが

パートナーを何百人取り替えようが

人のこぶし大のアタマはそう変わるはずもなく

思考が急に深まるわけもなく

寝る広さが拡大するわけでも

三度三度フランス料理のフルコースを美味しいと思うわけでもない。


畳半畳にあぐらをかいて

茄子漬のふたきれやダシで

あったかいご飯をいただく「幸せ」を

人は本能的に本当はみな分かっている。



首はクルマのハンドル

2007-09-04 06:44:02 oyazの投稿 
今時の人は「首ブリッジ」って知ってるんだろーか?

プロレスラー(今はK1ファイター?)たちがよくやる、アレ。

手を使わず、首だけで体を支えてブリッジする技。

2年前、ワタシも久しぶりに体を鍛えようと、若い時にしていた

「首ブリッジ」をしたら、突然左腕がしびれて思うように使えなくなった。

「すわっ!」と、あわてて血相かいて整骨院に駆け込んだ。


「Oyazサン、何をしました?」

「え~、、、、首ブリッジ、、」

「はぁ~?、、、、あのね~Oyazサン、、今時、首ブリッジて誰もやらないですよ

トレーニングジムでも。すでに首の筋肉の強化できているプロレスラーや

柔道家なら大丈夫ですが、そうでない素人さんが

いきなり首ブリッジなんかやったらアンタ

神経断裂して、こんなふーになるに決まってるでしょうがっ!!!」

「(ボーゼンとしながら)ハー、、、」としか言えなかった。

「神経が2~3本切れたんですな、その首のところで」

と、人の神経を簡単にセンセーは切って捨てて、電気マッサージをONにした。


そんなことがあった。

簡単に切れるンだソーダ、神経って。

今でも、農作業で体を1ヶ月も酷使しつづけていると

左腕全体と指先がしびれ、痛く重い感覚麻痺状態になる。

そんな時はあの無情なセンセーの言葉を思い出して、

首筋を揉んでみる。すると不思議なことに痛みが和らぐのである。


そうして悟る、首はクルマで言えばハンドルなんだと。

エンジンは心臓、コンピューター制御装置は頭脳、手足は両輪、、、

中枢部分は確かに大事なんだが、それはハンドル操作一つで

いかようにでもなるわけで、その操作の要であるハンドルが大事なんだと。


そー言えば、「首相」というのも「首」と書く。

さしずめ内閣官房は心臓で、幹事長が頭脳ってーところか、、、

鬼門の農水大臣をはじめ各閣僚を一箇所で束ねて握っているのが「首」相。

初心者マークを付け忘れたヨーダ、安倍心臓クンッ!

儲け方 変わる百姓

2007-09-01 02:44:45 oyazの投稿

お金の儲け方はシンプルである。

売上(販売高)に対して、経費(コスト)をいかにかけないで

利益を残すか、経理上はただそれだけの構図である。

ここ15年くらいの日本企業の動きを見ればそれは顕著である。


バブルがはじけ、消費者の購買力が弱くなった。結果、社会全体で

モノが売れなくなって、日本企業全体がマイナス成長期に入った。

その中で生き残るために企業はなりふりかまわずコスト削減に突き進む。

従業員の賃金を下げた、原材料や人件費までも中国やアジアに求めた。

工場そのものを賃金の安い外国に移す企業も多数現れた。

ユニクロがそうであり、TOYOTAやSUZUKIもそうである。

100キンという信じられない値段の店も登場し、今も存在している。

すべてコスト削減に成功したからこそ存続し、儲けを出せている。


「損益分岐点」とは要するに、

原価50円のモノを何個以上売れば利益が出るのか、その境目のこと。

だから企業にとっては、車なら「販売数がGMを抜いてトップ」とかが重要なのだ。

それもこれも、売上(販売高)-経費(コスト)=黒字、という儲け構造が

基本設定されて、できていることが大前提である。


そこにいくと、日本の百姓の「大間違い」は

「なんでもたくさん作ればいい」という感覚でこれまできたことである。

そして「コスト意識」が極端に希薄だったこと。

身近な例では、農業資材をJAに買いに行く。

すると百姓は年末に一括して口座から引き落とされなおかつお得な

ポイントが貯まるというJA買い物カードなるものでツケで買ってしまう。

ここが最大の「感覚麻痺」「コスト意識ゼロ」の温床になっている。

5000円も、5万円も、50万も一色単に年末引き落としのツケに

回してしまって、個々のコストを把握しないで日々の生産に汗している。

これではいくらコストがかかっているか分からないから、

何を、いくらで、何個売らなければならないのか、

そういう基本的な戦略が全くできていないことになる。

こういう点でもJAは生産者をJA生き残りの食い物にこそしているが

良きフィナンシャルアドバイザーには全くなっていない。

百姓も直接中国から資材を輸入したり、JA以外の小売業者に

見積り競争させたり、もっとシビアにビジネスしない限り

100キンやマックのように、低単価でも「儲けが出ている」企業のようには

なれない。


それにしても、マックの100円バーガーは瞠目だった。

100円でも50円の黒字を出せているとのことだったから。

単価は安いのに収益構造がしっかり計算されていた。

驚くべきことだった(何の肉なんだ?って話題にもなったが)


だから百姓も、一ビジネス企業として、JAとの馴れ合い

ご近所づきあいはやめにして、コスト削減に血眼になってみればいい。

そうすれば必ず、利益は残せる構造ができあがる。

流通業者も今までのお付き合い的な業者は切ってしまうことだ。

市場も手数料だけ取って、生産者に味方しない市場なら切ることだ。

生産者の百姓だけが赤字で、

JAも流通業者も市場も黒字、だなんてバカな「いじめ」から

そろそろ百姓はきっぱりと決別しよう。
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