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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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月燗『やさい通信』

2007-09-30 06:48:35 oyazの投稿

先日の中秋の名月は、久しぶりに日本中で見れたようで、よかったね~

「月」を愛でつつ「燗酒」でいっぱいやりながら「やさい」をアレコレ

論じてキョーじる集い、な~んてのがあっても面白いな、と考えながら

糸井重里氏の月に一回の『やさい通信』(毎月の最終日曜6:15~)を

けさもたまたまTVをつけたらやっていたので、楽しく見た。


ワタシは花栽培農家として去年から独立して今年で2年目、

ハボタン出荷の2回目の年になるわけだが、ホントーにワタシが

やりたいのは、自給自足のための「家庭菜園」ならぬ、米作りもモチロン、

エゴマなどの食用油まで自家製でかまなえるような「家庭農業」である。


2年前に農業研修先に選んだ農家は「米作りもしている花栽培農家」であり

チャリンコで家から通える近さにあったので選んだのであって

ハナから「花」栽培などにはまったく興味がなかった。

それが今、ワタシまで何故花栽培農家になったのかと言えば

米が安すぎて食っていけないこと、葡萄なんかも安くてだめなこと、

キューリにいたっては朝から晩まで収穫に追われ追われそのうえ安いこと

などがわかってきたからであって、最後に残ったのがワタシにも

できそうで、1鉢100円位で売れる、というハボタン栽培だった。

しかし、そのハボタン栽培も今時の原油高/灯油高の影響で

全国中で加温の必要ないハボタン栽培が急増し、価格は半値以下

前後で推移するようになり、米以上に食っていけない作物になろうと

している。では、ほかに何がいいかって、農家はみんな考えている、、、

、、、健康志向ブームだし「ブルーベリー」がいいらしい、、、となる

、、、するとあと5年もするとどこもかしこもブルーベリーだらけで

結局、価格暴落で、とどのつまりがブルーベリーでも食っていけなくなる。


こういう思考そのものが「食っていける」農業という、いわゆる

市場主義経済の考え方が日本中に蔓延している。

そんな中で『やさい通信』をみると、家庭菜園を楽しんでいた頃の

自分を取り戻せる気がする。「食っていける農業」なんて考えないで

「おいしい野菜を食べたい農業」にもどろう、と思う。


パワー至上主義ではない「オランダ人の発想」

2007-09-29 14:33:04 oyazの投稿 
機械は「ドイツ製」がいいものだと思い込んで

若い時は、ブラウンの髭剃りが1等上等だと信じていた。

ブラウン社は1921年マックスブラウンがフランクフルトで電気器具の

製造・修理の会社を始めたのがそもそも、だそうな。

とにかく、電気髭剃りは、パワーが強く、

ひげに当たる金属プレートの良し悪しが全てだと思っていたので、

ワタシにとってブラウンはスイゼンの髭剃りメーカーに思えていた。


ところが、ある時、ワタシは「変な形だし、相性ワルソー」と数十年間

敬遠していたフィリップス社のあのまーるい形が3つついた電気髭剃りを

買ったのである。これは大枚、はたいて、か~なり期待して買った。

家に持ち帰り、初のフィリップス社の髭剃りに電源を入れた瞬間、

ワタシは「大枚が飛んでいく」気がするほど愕然とした、、、、

、、、、、、なんというか細く、弱弱しい音と振動であることか!!?

コンなんだったら2~3千円の国産の安いのにしとけばよかったと

「バイクにも負けない音とパワー」を期待していたワタシには

蚊の鳴くような音のフィリップス社製を「返品」するか、でなけりゃ

叩き壊したいような気さえしていた。それほど、、、裏切られた。


しかし悄然として、弱弱しい電気髭剃りをほおに当て、剃りだし

子どものおもちゃのようだと思っていたそのシュルシュルシュルの

音のする3つの丸い金属プレートが、か細い音とは関係なく

決して「勢いよく」ではないが「確実に、ジワジワと」剃り上げていくのに

ワタシは一転して、目を見張った。さっきまでの落胆が剃りあがって

いくにつれ、しだい次第に「第九、喜びの歌」に変わっていった。


以来、ワタシはブラウンやひいては、バイクのハーレーダビットソンの

ような「欧米型パワー主義」には疑問こそ覚え、決して憧れなくなった。

小さいパワーでも、いかに深剃りや、産毛そりさえできるかを探求する

オランダ人の目に、何か、「本当の現実主義者」を見る思いがした。

人まねではないのである。

そういえば「オランダサッカー」もそうであったと思い出す。

他の国々のチームが全て役割分担制で試合をするのに、オランダ

チームだけが、ここぞという攻めの局面になるとゴールキーパー以外

10人全員がフォワードになって、総攻撃を仕掛けていた。

そういう考えに考えたオリジナルなモノづくりの姿勢、戦術のこさえ方

発想をワタシは大いに自分の姿勢にも取り入れていこうと、感心している。



(フィリップス社の創業:抜粋)
1891年創業者ヘラルド・フィリップスが従業員20名の電球工場を設立したのがルーツである。以後、電球を欧州各地に販売して成功し、その後はラジオ受信機、蓄音機、電気通信装置などに拡大し、総合エレクトロニクスメーカーとなった。第二次世界大戦中、ドイツ軍に工場を接収され、また連合軍の爆撃で大被害を蒙った。


繊細で、優美な指をもつ百姓

2007-09-28 04:23:13 oyazの投稿 
繊細で、優美な、、、モチロン、ワタシのことではない。

そんな指があったらいいな~、というお話。


10年放置された藪に覆われたブドウ畑の開墾から始まった

ワタシの百姓生活は、あそこから数えれば3年になる。

それまでホワイトカラー1色だった人が、いきなり肉体労働者に

ある時突然変わった。日々の重労働、大鎌と鍬をふるい続けた反動で

今も、左腕がしびれ、両の手の指先に、感覚がない。

こまい、繊細なシゴトはできなくなった。

物を受け取ったり、紙パックのジュースにストローを差すのさえ

おぼつかないこの頃。まして、天才ピアニスト:ホロビッツ氏の

ごとくにピアノを弾くことは、まったくできなくなった

(注/最初からできない)


百姓に「向き不向き」があったとして、論じれば

ワタシは実に百姓に不向きだ。何故なれば、その麻痺した腕や指

の問題以前に、繊細さや計画性、丹精さが少ない。そういうものが

にじみ出ない。無骨で粗暴な基本的人格のヤカラであるからである。


でもいい、

ワタシはそんな百姓不向き人間でも、

痛い腰をかばいながら、こうして畑の中でコグンフントーし続け

土と水と太陽とナメクジとバッタとチョーチョと思うようにままならない

3万鉢の作物に翻弄されながら、雑なB級品を作り続けるのである。

それは天才百姓でも天才画家でも、天才ピアニストでもなかった

凡人の『それでも生きた格闘の日々』なのであるから。

いつ旅立ってもいい身ぎれいさ

2007-09-27 00:49:14 oyazの投稿 
夕べ老人ホームの夜勤に出たら、

「○○さんが昨日病院でお亡くなりになり、で、本日の在籍数は、、」

と、淡々と事務引継ぎがなされた。


『あぁ1週間前は元気にお風呂に入りにこの前を通っていった○○さん

元気そうだったのに、、、、亡くなったんだぁ~』

そう、心の中で呟いていた。

ここは80、90のお歳の方々が多数住んでいる「家」なので

いつ、誰が逝ってもおかしくないし、職員たちにとっても

極端に言えば「死はめずらしいことではなく、日常茶飯事」なのだ。


こういう類のことは、10代、20代はもとより30代いや40代でも

ピンッとこない感覚のお話だろう。50、60代となり親戚、知人の

逝去に接する場数を踏まざるを得なくなって、死は他人事では

なくなってくる。そしていつかワタシにも訪れる死を意識しだす。

若いモンなら「訪れる」ことさえ信じまいが。


そこで、先日考えたような「ジガと肉体」の思索に入っていく。

「ワタシは誰?」「生きるとは何?」「死とは何?」という疑問。


ワタシは

「ワタシを3~4歳頃に目覚めたジガ」

肉体は「服」である、

と思っている。

「生きる」とは、ジガが服と格闘し、なじんでいく過程。

「死」とは着こんでボロボロになったその服をジガが

「ご苦労様、もう十分楽しませてもらったよ、ありがと」と

ねぎらいながら、看取って、共に消えることである、と。

タネと、現代テクノロジーと

2007-09-25 03:39:58 oyazの投稿 
バイオ技術の発達、ナノテクノロジーの進展、半導体、

ワタシ以外のすごい技術者、科学者が開発した人間の技術は

この世の自然界をまさに支配するかごとき錯覚を覚えさせる。


他方、土器についていた縄文時代の種を現代によみがえらせたり、

古代の蓮を現代の科学技術で発芽させ、咲かせた話題などが

取り上げられる。そんなことができる現代技術はたいしたものだとは思うが、

それ以上に感嘆してしまうのは、その「種」の生命力である。

人間がどんな技術を手に入れようが、遺伝子組み換えができるように

なろうが、乗り越えることのできない「神の領域」が、種である。


種自体は硬い殻に覆われた「中身を守る」というたった一つの

役割だけのために形成され、機能させられている。台風が来ようが

大津波、大地震、溶岩流が来ようが、生き続けて来た「種」の強さ。

人間は現代文明の優れた機械や技術、ソフトを、戦争で、

あるいは自然災害で、一瞬にして消失してしまうかもしれないが、

そんな事態が起きてこの地球上から人類と機械が絶滅したとしても

植物の種だけは地球が他の星に衝突されたり、自滅し爆縮するまで

死なずに生き続けることが、きっとできる強さを持っているのだろう。


そう考えると、神の創造の究極の作品は「種」なのである。

1mにもなる美しい花になるのも、元々はほんの数ミリの一粒の「種」だし、

1m70~80cmにもなる我ら人間も、元は0.0何ミリの精子である。

こんなこの世の根本的な生命科学の「種」の一粒を、

現代科学技術の粋を集めても人間は決して作り出すことができていない。

人間は自然をネジ伏せて、制覇して、支配できてるわけでもなんでもない。

自然界のほんの一部を解剖し、仕組みを突き止め、モホウしているだけだ。

神の領域の無限大分の1くらいのテクノロジーを手にしたに過ぎない。


だから現代文明のTopRunnerたる

ブッシュも、プーチンも、オンカホーも、サルコジも、フクダも

この世を人間の力技で支配したり、一人勝ちしようだなんて

バカな市場主義経済のゲームにいつまでも酔っぱらってないで

地上に落ちた一粒の雑草の種の何たるカかを、もっと考えてほしい。

                             ~現代琵琶法師~



辿りついたら、、人は、、、

2007-09-24 00:43:49 oyazの投稿 
ワタシというジガは

3~4歳で目覚め、同じ肉体に張り付いて

その肉体の変化に、抗えるはずもなく、ここまで来た。


「三つ子の魂百までも」というのは

「三つ子のしつけや教育が大事なのじゃ」

という世間一般で用いられる意味ではなく、本来は

「三歳で目覚めたジガは変わることなく、変わり続ける肉体が

百歳を迎え終わりを告げられるまでも、ずっとその様子を

見続けなければならない、人は定めにある」

という、精神と肉体の関係を意味することであったかと

今は思えるようになった。


「命~みーじーかーし~、恋せーよ~オトメ~♪」という

『ゴンドラの歌』という、そのフレーズをワタシは時々口ずさむ。

そして、乙女に限らず、振り返れば(きっと誰だって)

「我が人生は、実に長かったような、しかし

あっと言う間だったような、、、」と

えもいわれぬ感慨を持つのだろう、と想像された。。

まして、若くみずみずしい時代は矢のごとく一瞬にして過ぎ去る。


老いさらばえていくだけの肉体という「殻」から離脱することを

許されないジガは、

さて、はて、後半生をどんな風に生き生きと楽しんで

生き抜いて、ミショ-かっ!?

葉花栽培は金儲けじゃなくアートだ‘@>>

2007-09-21 02:28:40 oyazの投稿 
ワタシは指が不器用である。

だから、ピアノがひけないし、借りたギターも長続きしなかった、、

、、ということに、全ては指のせいにしておこう。

さて、そんなワタシだが、何故か図画工作は小さい時から得意だった。

というか、小刀で何度指を切ろうが、お前の絵の具の色使いはヘタだ

と言われようが、唯一無二の自分だけの独楽や、絵やオブジェを

生み出す面白さ、満足感、喜びを知ってしまったのである。

コレこそが、ワタシたちが皆カミサマから与えられた能力、

創造する才能、なのだと確信するようになる。勿論

百人が百様であり、分野もそれぞれ得意分野に分かれていい。


いつの頃からか、ワタシは「画家になる」ことが天職なんだと

ひそかに思うようにまでなった。いまだに画家にはなっていないが


けれど最近気が付いた、ワタシがハボタンなりの園芸をするように

なったのも、「形と色のコーディネート」が面白いからであって、

決して金儲けの手段とだけ考えているわけではないんだ、ってことを。

ワタシはハボタンや花という画材ではない素材で絵やオブジェを

作成しているんだってことにハタと気づいて、笑ってしまった。

そういうふうに自分が百姓であることの意味を認識した時

「百姓芸術だってバクハツでェ~っ!」って思えてきて

実に面白い素材を扱う芸術分野にワタシは分け入ってきているんだ

と思えた。

巡り遇う人、そうならない人

2007-09-19 12:59:48 oyazの投稿 
20のムスメは2度、彼氏と別れた。他方、

24のムスメは17で出逢った彼とずっと一緒にきょうまで生きている。

16のムスメは社会に出れなくなり、彼なんて、とんでもない、いない。

50の男は、19で初めて結ばれた女と暮らし始めきょうまで生きてきた。

ポッポ屋、旅行屋を経て、今、百姓。妻も花栽培の手伝いをしてくれる。

今は16の赤ちゃんがえりした大きいムスメ一人が我々と暮らしているが

20のムスメも、24のムスメも、ワタシの妻が産んだ。

産み育てた妻は、母になり、親になり、女性の病をも去年乗り越え逞しい。

その逞しい母から産まれた3人ムスメたちもそれぞれの自分の人生を

「Make drama」し始め、笑ったり、泣き叫んだり、人生の荒海に

漕ぎ出した。平穏ではないんだよ、大海原は。嵐だってある。

だからこそ「平凡が1番」「普通が幸せ」なのだ。

けれどそれが実感としてわかるまであと、何回別れ、傷つき、挫折し

時の癒しを受けながら、立ち上がっていくのだろう。

ワタシも19の時、カミさんに出逢っていなかったら、、、、、

、、、、、、、今の真っ黒に日焼けした百姓の姿はなかっただろう。

「人生に カンパイしよう カンパイしよぉカンパイしよOh~♪」

Coffee colorの『人生に乾杯を』のさびを時々

ふと

口ずさみたくなるのは、

「いい出逢い」と「自分なりに精一杯」の人生に

悔いはないと思うから。

脳は天才

2007-09-16 00:41:18 oyazの投稿 
歌を聞き流しながら何かをやっていても

いつの間にか歌詞もメロディも覚えてしまう。

それがドラマや映画のせりふであれ、CMであれ、

選挙カーからの連呼であれ、はたまた英会話であれ、

スペイン語やロシア語、中国語でさえ、リズム感やおぼろげな

特徴だけかもしれないが、我々の脳は「履歴」として記憶してしまう。

ある人はそれを一度聞いただけで、オウム返しに口に出すことさえできる。


うちの娘にもそんなTalentが顕著に見える。

中学にもいかず、だから今、高校にも行っていないが

人の脳というのは、学校にいこうがいくまいが関係なく、

本来の能力を発揮しようとする。

人の頭というバレーボール位の大きさの中に

高性能なパソコンがおさまっており、しかも

それは、使い手がキーボードをいじらなくても自動で

しかも瞬時に、適時に検索したり、しゃべったり、体を動かす

指令を出したり、泣いたり、笑ったり、怒ったりするのである。

「人間」それは

すごいし、おもしろいし、無限の可能性を「秘めた」ではなく

現に「持っている」すばらしい存在なんだな、って

あらためてしみじみと思う、このごろ。

記憶

2007-09-14 10:38:49 oyazの投稿

「次の誕生日が来ると98歳だじゃー」

ワタシの勤めるパート先の老人ホームのあるおばーさん。

耳が少々遠いが、それでも補聴器もかけないで会話する。

膝がこの頃しびれるというが、毎朝部屋の掃除をし、ゴミ出しに来る。


(いったい長生きは、誰が良いなどと決めたのだろう。)

一方、

同じホームの97の同い歳のジーサンは、この頃ボケがひどくなり、

事務室の横にあるオープンスペースの椅子に腰掛け

「ジュゲムジュゲムゴボーノスリキレ~」みた独り言を、

延々と口ずさみ過ごすように変わってしまった。

「こんにちわ」と声をかけても「ジュゲム」を止めない。

ついこの間まで「おっシャジョー、泊まりか?たいへんだな~」と

若僧をねぎらう声をかけ、掛け合い漫才じみた会話ができていたのに、、、

(そろそろお迎えが近いことを、本人が一番わかっているかもしれない)


おばーさんも、ジーサンも、この宿直員のワタシも

アベさんやフクダさんと違って、まったく無名の一日本国民でしかないが

1世紀を生きようが、半世紀を生きようが、誰からも注目もされずに

人知れずやがて逝ってしまうのである。

いろんな時代を、好き嫌いに関係なく生き、歳を重ね、知恵と知識と

知略の限りを尽くして、それぞれが精一杯に生きているわけだが、

100人100様のドラマがあったわけだが、クランクインされるはずもなく

99.99人は、「名もなく、貧しく」されど野の花のように「美しく」生き

去っていくのである。日本の大勢には何の石ころ一個の波紋も投げずに。

誰からも、勿論歴史からも、記憶されることもなく。

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