Jan.4,2006
年のご用初めに合わせ、精神修養を兼ね、日本の仏教伝来についてを考えてみる。
仏教は今のインドでお釈迦様が教えられたものをまとめた教え。
一方、キリスト教は、今のイスラエルのエルサレムで説いたイエスキリストの教えをまとめたもの。
キリスト教は12使徒たちが小アジア・アフリカ・ヨーロッパ各地に伝道して広め、主にローマを起点にヨーロッパに根付いた。
一方、仏教は釈迦の十大弟子たちによって広められ、シルクロード沿いにインドより西域へ、そして東の中国・朝鮮半島・日本へと伝播した。
日本に初めて仏教をもたらしたのは5度の航海で失明した鑑真によるのだったろうか?
一方、キリスト教をもたらしたのはフランシスコザビエルだったか?
ワタシの浅薄な知識ではこんなもんだから、少し文献を紐解きながら、あらためて再認識を試みる。
【仏教の創始者はしゃくそん】
釈尊(しゃくそん)=釈迦牟尼世尊の略(釈迦国の尊い人)、本名はゴータマ・シッダールタ、いわゆる:お釈迦様。インドのネパールの国境付近に釈迦族の国があった。その王子としてゴータマ・シッダールタは生まれ、生きた。彼は青年時代に、人の生・老・病・死などについて苦悩し、出家。6年の苦行や瞑想の末、仏陀(覚者)となった。紀元前6世紀または5世紀ころのこと。80年の生涯。その弟子たちがインド各地に仏教を広め、紀元前270年ころインドの宗教として仏教が推奨される。日本には紀元後の538年前後にに百済から伝えられた。
【仏教小史と日本への伝来】(「仏教の歴史」より)
仏教は、釈迦(しゃか)の創唱した世界的宗教の一つ。キリスト教、イスラム教とともに世界3大宗教。根本は、釈迦が菩提樹下で成道し、80歳で入滅するまで北インド各地で説いた教え。仏の教えという意味で「仏法」、仏となるための修行の意を含め「仏道」と呼ぶ。
釈迦の本意は、自らが悟った真理を広く社会に教え、苦悩に沈む民衆を救うことにあった。当時インドで大勢力を誇っていたバラモン哲学を打ち破り、カーストによる差別を認めない立場を貫き、人間の平等を訴えた。
「釈迦は人間の価値は現実の人間の存在と行為によってきまるとし、真理を発見し、真理に基づく正しい生活を確立しようとした。よって、
仏教の最大の特色は、神と人との関係において宗教が成立するのではなく、人間自身に根ざし、人間自身の生き方を根本問題とするところにある」とする視点もある。
釈迦を中心として出家信者の集団が構成され、それに在家信者が加わり、釈迦の教団は次第に広がった。釈迦の死後、その教えは数度の「経典結集(けつじゅう)」を経て、三蔵(大蔵経)という形で膨大な経典にまとめられた。
第2回経典結集の前後から(釈迦滅後100年ごろ)、戒律の解釈をめぐって仏教教団に分裂が起こり、戒律の規定に厳格な立場をとるのと、寛大な立場をとるグループの争いとなった。根本二部分裂の時代である。
さらに、マウリヤ朝時代も分裂は続き、上座部が12、大衆部が6部の18(あるいは20)の分派に分かれた。これを枝末分裂という。上座部系統は次第に思弁哲学的傾向を強め、閉鎖的な僧院生活に閉じこもりがちで、小乗仏教として大衆部系統から排斥された。
大衆部系統は大乗仏教興起の運動を起こし、上座部系統の流れをくむ部派仏教の出家信者中心のいき方に対して、在家信者を中心とした民衆救済を目的とする活動を展開した。このころ「般若経(はんにゃきょう)」「華厳経(けごんきょう)」「維摩経(ゆいまきょう)」「法華経(ほけきょう)」「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」などの大乗経典も成立した。
2世紀末、南インドに現れた竜樹(ナーガ-ルジュナ)は空観を中心として仏教の体系化をはかった。「中論」「十二門論」「大智度論」などを著し、後の中国、日本の仏教に大きな影響を与え、「八宗の祖」と呼ばれている。
さらに、4~5世紀に出た無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によってインドにおける大乗仏教は完成された。兄弟の開いた唯識派は、竜樹の開いた中観派とともに大乗仏教の2つの流れを形成したが、7世紀以後、仏教はヒンズー教、イスラム教などに押され、インドでは衰えた。
その後、仏教は世界各地に伝えられ、各地独自の発展を遂げた。スリランカ、ミャンマーには上座部仏教、ジャワ、スマトラ、ボルネオでは大乗仏教、カンボジアでは大乗仏教のち上座部仏教、ベトナムでは大乗仏教が伝わった。シルクロードの諸国では西域仏教が行われ、チベットではラマ教として発展した。
仏教が中国へ伝来したのは後漢の明帝の永平10年(67)とされるが、紀元前後にも西域諸国を通じて、すでに伝えられていたと見られる。天山南路、天山北路などのシルクロードを通って、仏教は中国に伝来した。
当初は一部の貴族や知識階級に広まり、大きな勢力となることはなかったが、後漢末から魏・西晋時代になると、インド、西域から来朝する僧も多くなり、経典の翻訳も行われ、次第に世間の注目を集めるようになった。
呉の支謙、西晋の竺法護ら優秀な漢訳者に加え、西域から鳩摩羅什(くまらじゅう)が入朝し、経典を数多く翻訳、中国独自の仏教の発展に大きく貢献した。法顕(ほっけん)、玄奘(げんじょう)などインドへの求法者も生まれた。
6世紀には達磨(だるま)によって禅宗が伝えられ、臨済宗、曹洞宗の2大派が生まれた。
隋代には智〇が「法華経」によって天台宗を開き、吉蔵が三論宗を大成した。唐代には浄土宗、法相宗、華厳宗、真言宗などが成立、仏教は黄金時代を迎えるが、会昌の法難(842年)を機として、次第に中国の仏教は衰退していった。
日本へ仏教が正式に伝えられたのは欽明天皇13年(552年)とされるが、『元興寺縁起』などでは538年になっている。いずれにせよ、それ以前から民間に仏教信仰が伝えられていたことは間違いない。仏教を受け入れるかどうかをめぐって蘇我氏(崇仏派)と物部氏(排仏派)が争ったが、結局、物部氏が滅びて、崇仏派が勢力を伸ばした。その後、用明天皇の皇子だった聖徳太子は仏教興隆に力を入れ、「法華経」など三経を講義し、法隆寺、四天王寺などのたくさんの寺院を建立した
【Oyaz感想】・・・結局、日本人の精神的柱をたてたのも、世界最古で理にかなった美しい1300年以上経った今も健在な木造建築物を建てたのも、日本に初憲法:17条をすえたのも、すべてこの聖徳太子の飛鳥時代だったことがあらためてわかった!
子は宝だが、所有物ではない
Jan.3,2006
ワタシとカミさんには子どもたちへの共通認識がある。
「子どもは自分たちの所有物ではない。1同じ人格を持つ人として、たまたま我が家に生まれた。生まれたのが我々より遅いか早いかだけの話で、1人格者であることに何の変わりもない。」そういう共通のスタンスで、ワタシたち夫婦は子どもたちに接してきた。
殊にウチは娘3人だから、男親にして我が家唯一のオスであるワタシは、ドラマで描かれるような「ウチの娘は絶対によその男になんかくれてやらんぞっ!!」なんぞと頑張る、娘溺愛オヤジには絶対にならない、と決めて今日まできた。
何故我が子を猫かわいがりしたり自分のモノ扱いにしないかといえば、自分自身が「何故この親の子どもでなくてはならなかったのだろう、何故この家の子どもでなければならなかったのだろう?」という強烈な自意識を幼い頃からもちつづけているからにほかならない。
それは「自分とは何か?」「生きるとは何か?」「家族とは?社会とは?この世とは?あの世とは?」と考えるワタシの、自分探しの原点・起点である。
48年生きてきて、今、はっきりわかることがある。
* 人はどんな人も、植物が枯れるように、やがて死ぬ。次の子らにバトンを渡し、逝くのだということ
* どんなにお金をためてもあの世には持っていけない。天国があるとすれば、大金持ちは絶対に天国には入れないことになっているってこと
* この自然界では人だけが唯一、思考・創造力を持つ生き物であるということ
* 様々な宗教があるが、人だけが神を信じたい、という信仰心を持っているということ
* 仕事でも、音楽でも、絵・彫刻でも、創造し、思ったような自己表現ができた時、人は一番の満足感が得られるようにできているということ
* 自我や自意識・思考力・意思が、神がさづけた人の持つ「神性」であるということ
* 神はその「神性」として与えた総合創造力で、人にも芸術をおもいっきり楽しんでほしいと思っているに違いないということ
* 神の総合芸術作品でもあるこの地球を、暗愚な地球人である我々が破壊し、汚染し、温暖化し、狂わせ始めているということ
* 「神性」を金儲けばかりに使いすぎて、世界平和どころか、この地球を各国が利害確執と利己中心的対立と戦争の舞台にしてしまっているということ(利益が各国の目的の中心にある“国益”を尺度にすえた今の政治家たちの力による綱引きやかけひきは、根本が間違っている)
* 人は人に対しても自然に対しても見えない力に対しても、もっと謙虚でなければいけないっていうこと
* 人の肉体も時間のなかの法則によって生かされ律されているのに、人の意思だけはその認識を欠き、鈍く、好き勝手に私利私欲追求につっ走っているということ
* 様々な機械・電気・携帯電話・自動車・リモコン一つで何でも制御できる住宅、それらを手に入れることが進歩だ、と人は勘違いしている。とんだ間違った方向にものすごい「スピード」で突き進んでいることに気もつかずに、人類は滅びに向ってなだれこもうとしているっていうこと
* この世のものは全て、円・球から成り立っているっていうこと
・ 人の愉悦とは、芸術家としての自己表現・自己実現にある。
・ 人の幸せとは、平凡な家庭の居心地のよい営みにある。
・ 地域の平和とは、その愉悦と幸せを維持するために、互いが認め合い、尊重し、相重なる部分は協力・相互扶助しあう関係であるべきである。
長女のフィアンセのTakuちゃんは、ギターを奏で自己表現し、シルバー細工を極める職人たらんと日々努力している。そうして娘とささやかな日々の営みをおくり、幸せそうだ。親は、そういう価値観でいいんだよ、と言ってあげたい。
ワタシの「壁」、アンタの「壁」
Jan.2,2006
1月1日の穏やかや新年を迎えた。
さっそく朝一番で山のお不動様にわけいる。
そこは、だーれも除雪なんかしない雑木林のただ中にあるので、50cmくらいに積み上げられた雪道をラッセルしながら、300mほどをゆるやかに登っていく。
ところどころでは倒木が道をふさいでいる。
「森の守人」を任ぜられているOyazは、今度来る時は、この倒れた丸たんぼを大鋸で切り倒し、道からのける作業をしなければならない。
昨年末に誰か一人、この道を歩いたらしい。一筋、雪原にくぼみができていた。
あとは不規則に、斜めに、てめぇ勝手に、自由闊達に、ウサギの足跡が数匹、交錯している。
それにしても今シーズンは異常に雪が多い。
大晦日に一晩で30cmを越す雪が降ったのは30年ぶりくらいだろうか。
Oyazは毎冬、自宅の中庭に雪をかき集め、2~3mの高さのそりすべりスロープや様々な雪の造形をこさえるスノーアーティストになる。
ケッコウな雪運びの重労働を伴うのだが、仕事ではないし、遊びだし、設計計算書も無ければ、鉄骨も無く、偽装も無い。ヌードモデルもいなければ、佐藤忠良も船越保武もいない。設計図無しで、自由に、好きなように雪造を創っていく。今年は「ベルリンの壁」ならぬ「Oyazの壁」をこさえてみた。その壁のところどころに三角や丸や四角の穴を掘り、ローソクを点ける。ほのぼのとかわいく、きれいだ。雪と火という相性はなかなかよいものである。
グローバル化がナショナリズムを喚起し、あちこちに「壁」ができる、という記事が特集になっていた元旦の分厚い朝刊。期せずしてOyazも12月31日に我が家の「壁」を築いた。可視的にも、心にも、人は、他人に干渉されたくないので「壁」を作り始める。
畑にも本当は「壁」を作りたい。無農薬で、葉っぱボロボロのキャベツや白菜やジャガイモを、人がどう作ろうが、他人からかまわれたり、意見されたり、好奇な目で見られたくはないから。てめぇがてめぇの好きなように植え、育て、てめぇで食べるんだからなんだかんだ「かまねでけらっしゃいっ!」。
9.11以来、アメリカでは「Gated community」という、高級住宅街をすっぽり壁で囲んだ地区ができ始めたという。1対1の米ソ冷戦の時代よりももっと深刻な事態を迎えている。イスラム原理主義的無差別テロ対米国先進諸国の対立。アメリカは今や見えないテロの攻撃を恐れ、壁で、武力で、自国を「鎖国」し始めた。イスラエルがパレスチナ領土に家を建て壁を築いて封鎖したように。
アメリカは自分たちが一番自由で、正しくて、フロンティアスピリットも兼ね備えた模範的人間だと思っている。実力のある人はどんどん仕事をやって何億でも収入をあげアメリカンドリームを実現したらいい。こういう実力主義と自由な経済活動を世界中に広めようとしてきた。
イスラム教の教義の核心は5つ。
1、唯一神アッラーと最後の預言者ムハンマドだけを信ぜよ
2、日に5回メッカの方向に向って祈れ
3、断食をして身を清めよ
4、肉体的的金銭的に可能ならば一生に一回メッカに詣でよ
5、喜捨
この最後の「喜捨」の精神がことさらアメリカとは異質なのである。
喜捨とは、持たない貧しいものに、持っているものが恵み与えることである。そうすることが徳を積み、あの世で祝福されると信じられている。だからイスラム圏では貧しいものが富んだ人に物乞いを堂々とするのである。日本人観光客は彼らからすると「富んだ人々」だから、当然、ぼったくってもいい存在となっている。日本人観光客の一人が小銭やキャンディを一人の子どもにあげようものなら、次から次へと子どもたちがわんさか集まってきて「オレニモ、オレニモ」と千手観音のように手を伸ばしてくるのは、あんたが現地人に人気がある訳でもなんでもなく、そういう訳である。持っているものは持たない人に恵み分け与えることが神の言いつけであり、持たないものは持っている者に徳を積ませるためにもおっきな顔で堂々と物乞いをする、物乞いをあんたのためにしてあげている、ということである。イスラムの社会は平等はこうして保たれている。個々人の自由と平等とは異なる、相互扶助の精神と公平な社会への意識がある。むしろ「宗教のある社会主義」と言ってもいいかもしれない。
これは「権利が平等に公平に与えられている」民主主義国家の「平等・公平」の概念とは異質な「平等・公平」である。むしろ、同じ言葉なのに相反する「平等と公平」である。だからアメリカ民主主義とイスラム原理主義とは、絶対にかみあわない。そうしてもっとも深刻なことには、どちらも、自分たちの主義や思想や宗教が一番正しいと信じて疑わないことである。
たとえばイランのテヘランに身を置いていると、遠くのほうから弾道弾ミサイルやスカッドミサイルを隣国イラクに平気で撃ち込んで来るアメリカって国が、世界の保安官でもなんでもなく、悪魔に思えてくる。日本人観光客のワタシでさえそう思えるのだから現地で生活している人々においてをや、だ。だからオサマビンラディンがどんなに極悪非道な悪魔の化身のような存在だとしても、イスラム教徒からして見れば、アメリカのブッシュやイギリスのブレアはそれ以上の悪魔だと言える。
アメリカの民主的自由と個人の経済活動を開放してきた拝金的資本主義は今や日本にも完全に根づいた。わらぶき屋根の民家と牛馬が姿を消し、日本古来の風習やしきたり、文化も、消えようとしている。それを惜しむワタシを人は懐古主義のナショナリストと呼ぶだろうか。それでも言いつづける「日本人はもう日本人でなくなりつつある」ことを。
百姓一揆
Jan.1,2006元旦
12月30日、31日、2日つづけて朝の6:15。
『新日本紀行ふたたび』というNHKテレビをたまたま見ていた。
小学生の頃、親爺はいつも『新日本紀行』というつまらないNHKを見ながら朝飯を食べ、勤めに出て行った。
「おもしゃぐないこだな番組、なして大人は見るんだがな~?もっとおもしゃいマンガ見っだいなぁ、三馬鹿大将も見っだいなぁ、ナショナルキッド見っだいずぅ・・」と、子ども心は思っていた。
そおして40年。
Oyazは『新日本紀行ふたたび』を中年オヤズ顔で見ている。その音色に情緒を感じながら。
その番組には、今の自分が愛してやまない日本の自然の美しさも風物も、田舎の文化も祭もあった。
そして大学時代、カミさんと出あい、初めて行った鎌倉の七里ガ浜や湘南電車が切り取ってあった。
明治35年創業の江ノ電。その当時は結核療養所があったり作家が住んだりする閑静な保養所であり江ノ島電鉄は庶民には縁遠い高貴な乗り物だったこと、初代の300型と呼ばれる緑とクリーム色の電車が2005年9月に引退したことが語られ、昭和52年放送の『新日本紀行』をふたたび再現して見せていた。もう1本は、愛媛県今治市菊間町に伝わる子どもが騎乗する馬の祭がとりあげられていた。昔から農家にいた馬は農業機械にとって変わられ、18頭だてで子どもがたずなをさばく、米の収穫を祈願した神事競馬ができなくなる危機を描いた『新日本紀行』だった。岩手のチャグチャグ馬こみたいな馬の飾り。これまた明治時代、1頭につき今の金で百万円かけて衣装と馬具があつらえられたものだと聞き、驚いた。
『特集:小さな旅 忘れ得ぬ山河』だとか『ふだん着の温泉』だとか『百歳ばんざい』だとか、日本や日本人のぬくもりや知恵や美しい営みをNHKはよく丹精に根気づよく切り取って映像として残していると思う。こういう面では、民放にはない情緒と堅物さを残しながらいいものを作っている。そんなNHKが日本の宝と言えるものを撮り集めていることには大いに感心している。ただ受信料を多くの人が払わなくなったは、一部の不心得者が我々の受信料を不正に私物化しているから、が一つ。そして、次のような疑問と意見を持っているから。今やどれだけの人が『紅白歌合戦』を楽しみに見て除夜の鐘を聞くのか?誰がそんな巨額な予算で大河ドラマを作ってくれって言って、見ているのか?国民の何割が通勤通学の時間帯に流される『朝の連ドラ』を見れるのか?そしていまやNHKも放送会社の選択肢の一つに過ぎなくなったのだから、たとえばNHKは報道専門テレビまたはラジオだけに特化し、受信料を大幅に下げるべきだとも思うのである。そんな二つの大きな理由が表にはある。そして、隠れた本当の三つ目の理由がもう一つある。これが実はもっとも大きい理由である。それは、国民はいつの間にか貧乏になってしまったということ。ジワジワと公的負担が過重になってきているのである。だから余裕のあった昔なら言わなかった公務員批判やNHK批判がゾクゾク噴出してきているのだ。国民は、百姓は、民は、貧して頭にきだしている。これから迫り来る大増税のおふれまでまわっている昨今、なおさらだ。犬年の今年は、ますます吠えられッゾー。NHKの職員の皆様はじめ、国会議員も市町村長議員も行政官も学校の先生たちも隠れ天下り財団法人も、暴風並みの風当たりが強くなることをカクゴし、鍛錬、修行、日々精進する必要がある、ということですナ。百姓一揆に気をつけらっしゃいよぉ~公務員諸君っ!!!(民はもっと貧しく苦しいんだじぇ~)