最近知り合いになった34~35歳の男性が
自分の人生をかくのごとく表現した、
「今味わっている苦しみはもしかしたら夢なんじゃーないか」
って時々思うのだ、
それなら「耐えてやる」って思う、
「今にきっとこの夢が終わり、次の良い夢の主人公になって
ボクは絶対、幸せになるんだから」って。
ワタシもその気持ちはよくわかる気がする。
「生まれたくってこの家に生まれたんじゃあないし
生まれたくってこの親の子どもになったわけじゃあないし
生まれたくってこの顔と体と頭に生まれついたワケじゃあないし
生まれたくって貧乏一家に生まれたわけじゃあないし
生まれたくってこれらの親戚を得たワケではないし、そもそも
生まれたくって日本人に生まれたワケじゃあないし
生まれたくって今の時代に生まれたワケでもない」のだから。
けれど一方でワタシにはこういう考えもある。
「そうは言っても、大学や会社など未来の
進路を決めたのは自分の意思だし
つれあいを決めたのも自分たちの意思だし
我が子をもうけたいと思ったのも、自分たちの意思だし
元気なうちにサラリーマンをリタイアして
あとは好きな生き方をしてみたいと決めたのも自分の意思だ」
結局、人間は誰も先天的なものは時間軸の整合性の中で
絶対“自分の意思”で自分の生を生み出すのは不可能だが
そのかわり
少なくとも20歳前後位の「一丁前になってからの後半生」は
充分“自分の意思”で選択をし、生きて、形作られた人生
と、言うことはできるのであろう。
だから
「今の苦しみも、悲しみも、あるいは幸せも
けっして“夢”や“仮想のゲーム”中の出来事ではなく、
あなたの意思と才覚と信じる価値観で築きあげてきた正に
コテコテの現実、そのものにほかならない。
「髪を金髪に染めたり、肉体改造して欧米体形に似せたり
似合わないのにジーンズにこだわったりする
変なコンプレックスは捨てて
自分ではどうしようにもなかった“先天”はそのまま受け入れ
いかにその“先天的能力”を存分に発揮させ“後半生”を豊かに
幸せに「自分自身を生きるのか」に時間を費やしたほうがいい。
あなたの時間もワタシの時間も
私たちの意志などにまったく関係なく
ただただ無機的に一秒たがわず進み続けている。
いつ「ワタシのタイムオーバー」が来てもいいように
「日々の凡庸な日常の営み」を大事にし
家族や袖ふれあうご縁のある人たちを大切に思うことだ。
玉もみがかざれば石
2007-06-04 13:02:13 oyazの投稿
先日あった、老人施設入居中の老女Kさんの小話。
「最近XXサンは幻覚を見るようになったので要観察です」と
看護士と介護員に決めつけられ、心療内科にまで受診させられた
Kさんについて、簡単ないきさつを教えられ、ワタシたち宿直員に
夜中にナースコールが来るかもしれないよ、って申し送りがされた。
その夜、申し送りどおり、夜11時に宿直員を呼び出すナースコールが
響き、Kさんから「今、目覚まし時計のところに人が立っているのが見えた」
と、幻覚が現れた報告が来た。今はもう消えた、というので、では
もう少し様子を見てみましょう、と引き取ってその場はやり過ごした。
仮眠時間の夜中の2時。2回目のナースコールが寝静まった施設の
しじまを裂くようにベル音を響かせ、宿直員を飛び起こさせた。
今度は2人で来て、タンスを開けて服を持っていこうとしている、と言う。
では部屋に行ってみましょう、と言ってワタシはKさんの部屋にお邪魔した。
幻覚は、夜だけ起きる、ということだった。
それも、危害を加えたり、恐怖心で声も手も出ないってワケではなく
普通に体も動くし、服を盗もうとしているのを見て「だめでしょっ!」って
声も普通に出せるのだと言う。、、、そんな夜がKさんに2週間ほど続き、
ワタシの宿直の晩にも、3回ほどナースコールで呼び出されることが
繰り返された。そうして話を聞いているうちに、ワタシには“自然に”
“誰かの霊がかまってほしいとか、少し未練があるとかの感情で
この新米入居者のKさんに何かを訴えたり、気を引きたがっているん
だな”って漠然と、しかし素直に直感的にそう思えた。
そうして「実はね、Kさん、この部屋に前に住んでいてなくなった方は
赤いカジュアルな上着の似合うとってもステキな良い人だったんですよ。
その方が亡くなる前の日に宿直員のワタシのところにやって来て
「腕時計がうまくはまらなくなったので、あなた、はめてくださらない?」
ってお願いに来たこと。その腕のか細さやぬくもりを今も覚えていること、
そしてとってもステキな良い方だってことを、もう一度Kさんに言って
きかせてあげた。
ワタシには“彼女”もまたKさんと一緒にワタシの話を聞いている
んだろうなって、なんとなくそんな気がした。
その晩は、それ以来、ナースコールはなく、朝を迎えた。
朝食を済ませたKさんがワタシに「昨晩はありがとうございました。
あれからもう現れませんで、ぐっすり眠ることができました」とお礼を
言われた。ワタシは「それは良かったですねー。Kさん、もしかすると
もうこれ以上その人は出てこないかもしれませんよ、きっと、ね」
「そーでしょうかー?」Kさんはワタシが何のことを言っているのか
ピンと来ない様子で、曖昧に受け答えをして、別れた。
それから4-5日後。Kさんの「要観察」は解除されていた。
「幻覚」を見ることがなくなったのだとか。
勿論そーでしょうよ!
あれは「幻覚」なんかじゃなかったんですから、
って
ワタシは誰にも言えないことを、
心の中で一人つぶやいていた。
別の自分を生きる
2007-06-03 15:26:28 oyazの投稿
本日は日曜日。
ワタシは一睡もできないホテルのナイトフロント勤務を本朝
8時にあがり、居眠り運転せぬよう顔に冷や水をザバッとかけて
30分の80キロ走行で帰宅の途につく。
自宅の5分手前に位置する我が家の野菜ハウスに立ち寄り
赤く実を付けたイチゴを30個ほどをそこらのかごに入れ、帰宅。
家人の驚く顔に満足しながら、遅い朝食をいただいた。
五月晴れならぬ、ジュンスカイブルーな空に誘われて
9時半ころ、隣接する運動場のテニスコートに立つ。
有害紫外線もモノともせず、徹夜明けは嬉々として
テニスに打ち込む。
1時過ぎに遅い昼食をとり、お風呂掃除をし、溜め水を
チョロチョロ出して、買い物に出かけ、3時帰宅。
晩げのオカズを3~4品料理し、『日曜クラス』のシゴトに
出かけた家人が帰ったらひとっ風呂浴びてすぐ大好きな
ビールをプハーッと飲めるよう、下準備をあらかた終え、
夕刻、老人施設の宿直夜勤にでかける。
これが本日のワタシの一日、、、(というか、二日と言おうか)
おまけの人生を生き始めたワタシは、かくのごとく不死身のように
あるいは化け物か、妖怪人間ベムベラベロのごとくに、
はたまた「試験も何にもない」お化けの学校の生徒のごとく
「不眠、時々休憩」の我が別モノ人生を
「チェケラッー」って感じで、睡眠不要連絡不要返品不要
ブツクサ不要の勢いで、きょうもかくかくしかじか生きている。
眠ると、人生は短くなる?
2007-06-02 03:49:13 oyazの投稿
ワタシはホテルの夜勤を始めた。
これまで続けてきた老人施設の宿直10日に
今度のホテルのナイトフロント10日が加わり、
月の3分の2を夜勤で過ごす。
一日24時間で毎日8時間眠れば、3分の1は寝ている計算。
90まで生きるとしたら、人生のなんと30年はただ寝ているわけだ。
そう考えると我々は90まで生きても
実質的な活動や思索をできる時間は、60年しかないということになる。
そう考えたら「まるで眠ると、人生を損した」気分になった。
で、夜勤に出て夜は眠らず、明けたら日中、畑仕事をして
また夜に夜勤に行く生活に変えたみた。
変えてみたら、ワタシの「変な理屈」どおりにはいかず、
体が、脳が、「眠たくって眠たくって」しょうがなくなった。
しょうがないので日中2~3時間だけ寝ることにした。
この世にある絶対法則は
『時間は決して止まらない。まして、逆戻りしない』
だけかと思ったら
『この世に生きるものは皆すべからく、眠らなければならない』
ことになっていた。
(なんという『大発見』をしてしまったことかっ!)コロンぶす