忍者ブログ
世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
[9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ホテルナイトフロント

2007-06-14 03:17:36 oyazの投稿 

ホテルナイト勤務。

誰もいない午前3時のホテルのロビー。

昨日の22時から勤務が始まり、朝8時までの拘束。


あと30分もすれば新聞配達の人に会える。

4時も回れば、陽も薄ら明るくなってきて

地球の中の日本の一日が幕を開けるのだ。

その明けやらぬ3時の今頃が一番眠い。

仮眠なしのナイトフロントという職業。

遅入り、早出のお客様のためにチェックイン

チェックアウトのサービス業務をこなし

6時半からの無料朝食の給仕をし

館内の巡回をしながら夜警もこなすナイトフロント。


夜勤が明けたら、日中は花農家の百姓に戻る。

真夏日の炎天下に、今は雑草狩りに、水やり。

真っ黒に焼けた両の腕を用水路の冷たい水で洗い流し

旬のイチゴをやさしく摘んで家路を戻る。

夕方からまた

老人ホームの宿直に行く。


その人にしか出せない魅力

2007-06-11 06:59:50 oyazの投稿


写真のプロでもないのに「いい」作品を

残す人がいる。

故人の岡本太郎、現役作家で探検隊長の椎名誠、

写真Blog『雨日和』のrutsu_bサン。


ワタシは考えた、なぜこの人たちの作品には

理屈や法則では説明しきれない魅力があるのかと。


左脳的な論理で完璧に構築しても

良いと評価されるあらゆる要素を入れて組み立てても

それだけでは決して魅力的な作品はできないのに、

その人でなければ出すことのできない「きらっ」と光る何かが

彼らの作品には理屈を超えたところで入ってしまっている。


だから右脳がどうのこうのと言いたい訳ではない。

意図的にある距離とアングルから対象を捉えるにせよ

彼らは言葉や論理や意図とは違った領域、、、

小さいときから現在まで培われてきた感受性や

価値観や職人的熟練の技や間や感覚で

一瞬にして

感動を切り取るのだ。


それはもはや「説明」を超えた分野や世界の話なのである。

それを理屈で絶賛しようとしても限界があるのは

理屈ではわからない「魂」「気」「迫力」「思い」が

本人にもわからないうちにこめられているから

なのではないかと、最近ひそかに考えている。



自分、自分と考えない

2007-06-10 12:26:55 oyazの投稿 

ワタシは誤解を恐れずに言えば

5歳くらいから、ずっと自我を持て余してきた。

強烈なのである私にとって「ワタシ」って。


良くも(どんな場面?)も悪くも自己中心的

自意識過剰、その実、考えが浅く、行動もおぼつかない。

「なんでワタシは生まれてきたんだ」と声の聞こえぬ神に

問い続けてきた15~16年間だった。


伴侶に出会い、家族に恵まれ、人並みにきた半世紀。


私の「ワタシ」はいまだに健在で意気軒昂だが

多くの経験を経、自分の衰えいく肉体とつきあい、

必ず亡くなる諸氏の寿命の終わりを目の当たりにし、

声の聞こえぬ神を察知しようと耳を澄ましながら

ワタシは今あらたな「心境」に立ってみようと試みる。


つまり

「自己否定」と言おうか「無私」と言うべきか

「自分が、自分が」はもうそろそろいいんじやあないか

自我中心な欲望や損得勘定の了見の狭さからは卒業

させてもらっていい頃なんじゃないかと、

そんなふうに自分に折り合いをつけようとしている。

そーして、思う、、、、

「何故神は人間を死ぬように創ったのだったか?

それはこの世を“永遠にする”ために他ならなかった。

であれば、ワタシもかならずや“死ぬ”のだが、それは

神が望んだ“この世を永遠にする唯一の方法”のために

他ならないわけで、喜ばしいことなのではないのか?」と。


神は「産めよ増えよ地に満てよ」と言ったのだという、人間を

創りし時。

男と女を立て、子が生まれる、永遠のサイクルを設定し

今日まで到達した西暦2007年に生存する人類と地球。

65億人の人間がいるとすれば

その一人一人に神の分身的創造力が付与され

花が実をつけ、やがて枯れるが、種として栄え続けるように

人もまた一木一草と変わらぬ生成滅死の法則の中で

神と同じ、無から有を生む創造的芸術活動をしながら

自然と家庭生活を謳歌し、生きつないで連綿と永遠であれ

、、、、神はきっとそう願って我々を創ったに違いない

、、、、そう思えてきて、

自分にもまた遅かれ早かれ来る死も、まっこうから肯定し

「余生」を、連れと家族と共にし、自然を楽しみ、芸術を生み出し

袖触れ合いながら、遊びながら、生きて逝きたいものである、

と、今はそう思える。


やっぱり人間は「睡眠動物」

2007-06-09 16:14:53 oyazの投稿

夜勤を20日こなして日中も働く生活を

スタートさせ、10日。

不死身かと思ったワタシも、いやそーーではなく

徹夜の午前3時ころには耐え切れない睡魔に襲われる

極めて睡眠必須動物にほかならなかった。

観念的に「もう充分これまでの人生で寝貯めしてきたので

これからは寝ないで生きていくことにする!」と決めたのに

あっさりとその強い意志や思いつめた決意は打ち砕かれた。

ニンゲンという動物は他の動物や植物同様

寝ないでは生き続けることが不可能なように

神様はこさえなすったんだな、とハタと思い至った。


「睡眠」とは何だろう?

脳や内臓や神経やマッスルや細胞一つ一つの「休息時間」

であろうか?

いや、人が眠りに落ちてる時間さえも個々の細胞は

その人の、遠いあるいは近い「終わり」に向かって

神サマのしこみなさったプログラミングにそい活動し

続けている。ということは睡眠とは「脳の睡眠」か?

脳は車に例えると「エンジン」「内燃機関」だろう、

ヒダヒダがいっぱいあるのも似ているから。

で、働きすぎた「脳」が「エンジン」同様

使いすぎるとオーバーヒートするので「睡眠」が

必要になる理屈、に違いない。


そこまで合点のいく理論を構築したにもかかわらず

最後で腑に落ちなくなった、、、、

、、、ワタシはそんなオーバーヒートするほど

いやむしろ、ヒートもしない時間のほうが多いままに

ここまで生きてきたのに何故?ワタシまで睡眠が必要なの

、、、ノーカガクは奥が深いのである、きっと、、、






手相

2007-06-08 06:25:32 oyazの投稿

ワタシは若いころ

手相や顔相に興味を持ったことがある。


今は「人は面なんてドーでもいいんだよ

心だ、スピリットだ、生な情熱、思いだよ」

なんて思うようになったけど、、、、


、、、髪の毛でもない、皮膚の若々しさでもない、

弱ってたるんでくるインナーマッスルでも、衰え行く記憶でもない

人に一番大事なのは「生き生きとした心と笑い」である、と。


手相は、変わるのである。

ついでに言えば

「第六感」も訓練して鍛えることができるし

「英語耳」や「英語脳」も積み重ねると、できるのである。

人の頭脳は

パソコンにできる機能はすべて備わっているし

それを超えた「第六感」まで備えている。

そう思うと、「バカな頭」とか言ってないで

鍛えてあげたほうが良いよね、脳や六感。



何気なく久しぶりに手のひらを見た。

右の手相が変わっていた。

感情線の下のほうが以前はガチャガチャだったのに

今はすっきりとしたきれいな線になっていた。

あ~、迷いのない、すっきりとした、シンプルな

生き方に洗練されてきた証だな~

と、一人、素直に納得する。

一つとして同じでないコノ人生

2007-06-07 12:23:23 oyazの投稿 
最近知り合いになった34~35歳の男性が

自分の人生をかくのごとく表現した、

「今味わっている苦しみはもしかしたら夢なんじゃーないか」

って時々思うのだ、

それなら「耐えてやる」って思う、

「今にきっとこの夢が終わり、次の良い夢の主人公になって

ボクは絶対、幸せになるんだから」って。


ワタシもその気持ちはよくわかる気がする。

「生まれたくってこの家に生まれたんじゃあないし

生まれたくってこの親の子どもになったわけじゃあないし

生まれたくってこの顔と体と頭に生まれついたワケじゃあないし

生まれたくって貧乏一家に生まれたわけじゃあないし

生まれたくってこれらの親戚を得たワケではないし、そもそも

生まれたくって日本人に生まれたワケじゃあないし

生まれたくって今の時代に生まれたワケでもない」のだから。


けれど一方でワタシにはこういう考えもある。

「そうは言っても、大学や会社など未来の

進路を決めたのは自分の意思だし

つれあいを決めたのも自分たちの意思だし

我が子をもうけたいと思ったのも、自分たちの意思だし

元気なうちにサラリーマンをリタイアして

あとは好きな生き方をしてみたいと決めたのも自分の意思だ」


結局、人間は誰も先天的なものは時間軸の整合性の中で

絶対“自分の意思”で自分の生を生み出すのは不可能だが

そのかわり

少なくとも20歳前後位の「一丁前になってからの後半生」は

充分“自分の意思”で選択をし、生きて、形作られた人生

と、言うことはできるのであろう。


だから

「今の苦しみも、悲しみも、あるいは幸せも

けっして“夢”や“仮想のゲーム”中の出来事ではなく、

あなたの意思と才覚と信じる価値観で築きあげてきた正に

コテコテの現実、そのものにほかならない。


「髪を金髪に染めたり、肉体改造して欧米体形に似せたり

似合わないのにジーンズにこだわったりする

変なコンプレックスは捨てて

自分ではどうしようにもなかった“先天”はそのまま受け入れ

いかにその“先天的能力”を存分に発揮させ“後半生”を豊かに

幸せに「自分自身を生きるのか」に時間を費やしたほうがいい。


あなたの時間もワタシの時間も

私たちの意志などにまったく関係なく

ただただ無機的に一秒たがわず進み続けている。

いつ「ワタシのタイムオーバー」が来てもいいように

「日々の凡庸な日常の営み」を大事にし

家族や袖ふれあうご縁のある人たちを大切に思うことだ。





玉もみがかざれば石

2007-06-04 13:02:13 oyazの投稿

先日あった、老人施設入居中の老女Kさんの小話。


「最近XXサンは幻覚を見るようになったので要観察です」と

看護士と介護員に決めつけられ、心療内科にまで受診させられた

Kさんについて、簡単ないきさつを教えられ、ワタシたち宿直員に

夜中にナースコールが来るかもしれないよ、って申し送りがされた。


その夜、申し送りどおり、夜11時に宿直員を呼び出すナースコールが

響き、Kさんから「今、目覚まし時計のところに人が立っているのが見えた」

と、幻覚が現れた報告が来た。今はもう消えた、というので、では

もう少し様子を見てみましょう、と引き取ってその場はやり過ごした。


仮眠時間の夜中の2時。2回目のナースコールが寝静まった施設の

しじまを裂くようにベル音を響かせ、宿直員を飛び起こさせた。

今度は2人で来て、タンスを開けて服を持っていこうとしている、と言う。

では部屋に行ってみましょう、と言ってワタシはKさんの部屋にお邪魔した。


幻覚は、夜だけ起きる、ということだった。

それも、危害を加えたり、恐怖心で声も手も出ないってワケではなく

普通に体も動くし、服を盗もうとしているのを見て「だめでしょっ!」って

声も普通に出せるのだと言う。、、、そんな夜がKさんに2週間ほど続き、

ワタシの宿直の晩にも、3回ほどナースコールで呼び出されることが

繰り返された。そうして話を聞いているうちに、ワタシには“自然に”

“誰かの霊がかまってほしいとか、少し未練があるとかの感情で

この新米入居者のKさんに何かを訴えたり、気を引きたがっているん

だな”って漠然と、しかし素直に直感的にそう思えた。

そうして「実はね、Kさん、この部屋に前に住んでいてなくなった方は

赤いカジュアルな上着の似合うとってもステキな良い人だったんですよ。

その方が亡くなる前の日に宿直員のワタシのところにやって来て

「腕時計がうまくはまらなくなったので、あなた、はめてくださらない?」

ってお願いに来たこと。その腕のか細さやぬくもりを今も覚えていること、

そしてとってもステキな良い方だってことを、もう一度Kさんに言って

きかせてあげた。

ワタシには“彼女”もまたKさんと一緒にワタシの話を聞いている

んだろうなって、なんとなくそんな気がした。


その晩は、それ以来、ナースコールはなく、朝を迎えた。

朝食を済ませたKさんがワタシに「昨晩はありがとうございました。

あれからもう現れませんで、ぐっすり眠ることができました」とお礼を

言われた。ワタシは「それは良かったですねー。Kさん、もしかすると

もうこれ以上その人は出てこないかもしれませんよ、きっと、ね」

「そーでしょうかー?」Kさんはワタシが何のことを言っているのか

ピンと来ない様子で、曖昧に受け答えをして、別れた。


それから4-5日後。Kさんの「要観察」は解除されていた。

「幻覚」を見ることがなくなったのだとか。


勿論そーでしょうよ!

あれは「幻覚」なんかじゃなかったんですから、

って

ワタシは誰にも言えないことを、

心の中で一人つぶやいていた。


別の自分を生きる

2007-06-03 15:26:28 oyazの投稿 
本日は日曜日。

ワタシは一睡もできないホテルのナイトフロント勤務を本朝

8時にあがり、居眠り運転せぬよう顔に冷や水をザバッとかけて

30分の80キロ走行で帰宅の途につく。

自宅の5分手前に位置する我が家の野菜ハウスに立ち寄り

赤く実を付けたイチゴを30個ほどをそこらのかごに入れ、帰宅。

家人の驚く顔に満足しながら、遅い朝食をいただいた。


五月晴れならぬ、ジュンスカイブルーな空に誘われて

9時半ころ、隣接する運動場のテニスコートに立つ。

有害紫外線もモノともせず、徹夜明けは嬉々として

テニスに打ち込む。


1時過ぎに遅い昼食をとり、お風呂掃除をし、溜め水を

チョロチョロ出して、買い物に出かけ、3時帰宅。

晩げのオカズを3~4品料理し、『日曜クラス』のシゴトに

出かけた家人が帰ったらひとっ風呂浴びてすぐ大好きな

ビールをプハーッと飲めるよう、下準備をあらかた終え、

夕刻、老人施設の宿直夜勤にでかける。

これが本日のワタシの一日、、、(というか、二日と言おうか)


おまけの人生を生き始めたワタシは、かくのごとく不死身のように

あるいは化け物か、妖怪人間ベムベラベロのごとくに、

はたまた「試験も何にもない」お化けの学校の生徒のごとく

「不眠、時々休憩」の我が別モノ人生を

「チェケラッー」って感じで、睡眠不要連絡不要返品不要

ブツクサ不要の勢いで、きょうもかくかくしかじか生きている。



眠ると、人生は短くなる?

2007-06-02 03:49:13 oyazの投稿

ワタシはホテルの夜勤を始めた。

これまで続けてきた老人施設の宿直10日に

今度のホテルのナイトフロント10日が加わり、

月の3分の2を夜勤で過ごす。


一日24時間で毎日8時間眠れば、3分の1は寝ている計算。

90まで生きるとしたら、人生のなんと30年はただ寝ているわけだ。

そう考えると我々は90まで生きても

実質的な活動や思索をできる時間は、60年しかないということになる。

そう考えたら「まるで眠ると、人生を損した」気分になった。


で、夜勤に出て夜は眠らず、明けたら日中、畑仕事をして

また夜に夜勤に行く生活に変えたみた。

変えてみたら、ワタシの「変な理屈」どおりにはいかず、

体が、脳が、「眠たくって眠たくって」しょうがなくなった。

しょうがないので日中2~3時間だけ寝ることにした。



この世にある絶対法則は

『時間は決して止まらない。まして、逆戻りしない』

だけかと思ったら

『この世に生きるものは皆すべからく、眠らなければならない』

ことになっていた。

(なんという『大発見』をしてしまったことかっ!)コロンぶす






PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
プロフィール
HN:
Oyazar
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索