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世界を旅したあと日本で百姓に落ちついた。 こんないい田舎が残っている国が好きダナ。
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変わりゆく体 無駄のない魂へ

2007-06-30 14:49:38 oyazの投稿 
アゲハチョウが畑の水路脇で

美しい姿のまんま横たわっていた。


何故、あれほど醜いイモムシが、美しい蝶になるのか

いまだに不思議だ。

もしかしたら、人間は今がイモムシの段階なのを

神様が示唆しているのかも、、、しれない、と思った。


今年81になった義母がウチからほど遠くない介護付き

施設に移った。大正15年生まれ、千里を行って千里を帰る

トラ年生まれは、若くして離婚し、看護婦を続けながら

一人娘を母一人で立派に育てた。その一人娘を

4大まで行かせ、そこでめぐり合ったコトモアローに

このワタシに嫁がせるのだ。そして退職を機にワタシたちと

協同して家を建て、一緒に住むことになる。

離婚したイヤな思い出のこの県に舞い戻ることになってしまった。

そして、おそらくは「終の棲家」になるであろう新施設に

隣町の施設から越してきた。この町こそ、結婚し嫁いで来

一人娘を産んだ、過去の因縁の地そのものだった。

なんという因縁だろう?


その義母はもういつ自分が逝ってもいい心積もりはできて

いるらしく、特別ナニが食べたいとか、ナニが着たいだとか

欲はなくなり、質素にいつもどおりの自分のペースで、毎日を

逝くその時まで過ごせればいい、といった高見の境地に

達しているようにワタシには思える。

そんな母を見ていると潔いとも思うし、

どうか100までも気丈で生きていて欲しいとも思う。

勿論老いさらばえれば人間生きていること自体しんどい

ことは「老人施設の宿直員」にはわかる気がするが、、。


固まっていく肉体はサナギなのではないのだろうか、、

サナギが硬化し乾く時、人はきっと飛び立つのである

と今は思える。

小さな旅 音楽:大野雄二

2007-06-30 04:38:45 oyazの投稿 
今朝、TVにスイッチを入れて、たまたま

NHK小さな旅を見ることになった。神奈川県開成町という

農道10Kmのあじさいロードがある小さな町のことだった。

チェックのシャツの似合う素敵な百姓家族の笑顔が良かった。

そして、いっつもほのぼのと、しかし心にジーンとするバックの

音楽がこの番組をいきいきと作り上げる不可欠のスパイス。

そういうBGMが良い番組や映画、芸術作品には必ずある。


テレビ朝日「大改造!!劇的ビフォーアフター」の音楽

『匠』もそのひとつ。あのBGMがなければ、あの大改造で

家族が涙しても、見ているコッチはそんなには感動しなかった

かもしれない、と思うほど、『匠』はナレーションのバックに

欠かせない良い音楽である。


NHK『小さな旅~忘れ得ぬ山河~』というのが音楽の題名で

あることを、今回初めて確認した。


新日本紀行[オープニング・テーマ~祭りの笛]の冨田勲の

音楽も誰もが一度聞いたら忘れ得ない旋律をもっている。


ワタシは音楽家ではない、ただの素人百姓の風来坊画家に

過ぎないが、きょうは、BGMについて前から思っていたことを

はじめて書いてみた。


「絵」や「写真」にも音楽を好きな人かそうでない人かの

違いが出る。結局、表現作品にはその作者の全人間性が

全部出てしまう。小さくも大きくも見せられない。

その人の持つ才能と感性と情緒と技術と人生の価値観が

「作品」そのものである。


冨田勲、大野雄二、松谷卓、武満徹、、、、、、、

日本には凄い才能の人たちが存在する。


長新太の『ヒューモア・ペイソス』

2007-06-27 04:06:16 oyazの投稿 
滑稽味・おかしさ(ヒューモア)には

人懐かしい情緒(ペイソス)が同時にある。


たとえば、夏目漱石の『坊ちゃん』、長新太の絵本。

そういう人や作品を一語で「ヒューモア・ペイソスな」モノと言おう。


それをわかる人とわからない人が世の中にはいる。

わからない人は、理屈や理論や既製概念に

縛られた価値観の人、と大雑把に、断定的に、

言ってしまおうか。


長新太の絵本は、圧倒的に子どもたちが喜び、好きなのに、

それが大人になればなるほどわからなるのは如実な例。

「なんじゃこりゃっ!?」ってなる。

理屈やモノを見る既製の常識を逸脱した概念を大人は

なかなか受け入れない、受け付けない。硬化してきている。

動脈硬化ならぬ、「情緒硬化」を患いつつある。

そんな人も子どもの頃は「ヒューモア・ペイソス」を

真っ白な心で受け入れていた、に違いないのだが。

それがダンダン、ただの大人らしいバカ頭になっていく。


大人社会を生きる、なんて、言うならば極めて簡単なんだ。

会社の決まりごとを守り、社訓に従い、実際にあった事件や

記事に話を合わせて一日過ごし、仕事を終わせばいい、

極めて語彙の少ない、単純作業の社会でしかないから。


そこにいくと「子ども時代」の興味や頭や心は「活発」だ。

不条理もふくめてなんにでも首を突っ込み遊びにする。

その自由闊達さこそ「ヒューモア・ペイソス」の真髄。


そんなもなぁー今更ワタクシごときが解説するのもアホらしい

人間が本来持つ、自由闊達洒脱創造の根底の情緒だった、、、





限りある肉体        汲んで尽くせぬ思い      溢れそうもない知識

2007-06-23 05:10:12 oyazの投稿

夜勤明けの体に遅い朝食をいただき

ごろねのひと時を得、しばし休息を楽しむ。


昼をまわり、午後の1時。

縦40mに及ぶハウス1棟の土方仕事を開始。

長さ1m60cm、幅35cmのコンクリートの板を

縦長に23枚敷いて1本の通路をこさえる作業。


これは昨年、一度埋設しおわっていたものだが

それをもう一度掘り返して、通路の位置を変更するのだ。

それをやろうと思い立って半日で23枚を掘り返したのが

4月の20日。そして翌日から腰が立たずに動けなくなった。

接骨院にソロリソロリと出向いたら「ぎっくり腰の寸前」だと。


あれから2ヶ月。

やろうとしたことがやっと実現し終わりに近づこうとしている。

重機は勿論ない、シャベル1本、鍬1本に腕2本。

外は雨。畑のきゅうりやナス、トマト、ベニアズマには恵みの雨。

(百姓は雨日和を喜ぶ、水やり作業が休みになるから)

雨の日は屋内の仕事がはかどる。

40kgのコンクリート板を一枚一枚、腰に負担をかけぬよう

注意をしながら縦にまっすぐに床に平行に埋設してゆく土木作業。


ワタクシ、文学部の英米文学科:不条理文学専攻の出である。

その文学青年が40mのハウスの中をただ一人黙々と重量力仕事

なんとゆー、コノ、生きるという、フジョーリッ!

なんぞと、深遠な哲学を考えもせで、

自分がせずには決して終わらない土方仕事に

汗まみれ、粉塵まみれ、あがる息と熱にまみれ

一歩一歩進んでいくしかない百姓という現実。


何故これを本業に選んでしまったのか

そーしていまだにこんなに苦しくて貧しくて儲からなくても

やめないのか、自分でもわからないが、、、、、


きっとこれが人間として一番人間らしいと思い至ったからか?

さて、2ヶ月かかってしまった土方作業もやっとめどが立った。

モチロンこれが終わりではなく、

準備のいろはの「い」ってところ。

7月から12月初旬まで、本格的な種まき、水やり、防除

定植、置き肥、荷詰め、出荷の日曜のない日々がまた始まる。

例えばレム睡眠障害の本質

2007-06-21 05:18:37 oyazの投稿

ほどんどが男性で

アルコールとストレスと不規則が

その障害を悪化させるとはわかっているが

根本原因と治療法はわからない、のだとか。


『レム睡眠』いわゆる「浅い眠りの状態」である。

脳で夢を見ていると、通常肢体に行動命令を発しないように

制御機能が働くそうだが、レム睡眠障害になると

この制御装置が働かず、夢と連動して声を発したり

起き上がってパンチを繰り出したりたりして

横に寝ている奥さんに怪我を負わせたりし出すそうな。


患者に何故そんなことをするのか?

一体どんな夢を見たから、そうなるのか?を

きくと「狼が出てきたり、ライオンが出てきたり

悪い奴が出てきたりして怖かったんだ」と言う。


ワタシには「ピンッ」ときた。

そういう人に問題なのは死生観だと。

この世の「認識不足」による価値観・世界観の希薄な

精神構造の人に多いはずである、と。


この頃、成人で、何か個人的事件や病気になれば

よく「ストレス」の一言で片付けがちな風潮があるが

確かに10の内の1つの要因である可能性はあるが

むしろ根本は、死生観価値観世界観を自分で確立

あるいは確信できない『不安』が根底にあるのであり

さもアルコールやストレスが原因の核心のような

そんな思い違いや早合点は、うかつにするなよ、

とワタシは言いたい。

キスのアンケート

2007-06-20 04:00:00 oyazの投稿

うちの三番目の娘。

小学5年で不登校に陥り、今16歳。

相当なストレス障害をわずらったと思われ、

体も心も、いまだ、小学1-2年レベルにとどまる、、


学校で何があり、

彼女の幼い無垢な精神がどんなに追い込まれ

我慢の末に、運動神経のスジの何本が切れ

知能のスジの何本が切れてしまったのかわからないが

とにかく、いったん、彼女の脳は、小学5年で相当に壊れた。


かたくなにただただ家に引きこもり続けて3年が過ぎた。


ワタシは会社をやめ、農業を目指し、この娘の将来を思い

たとえ一人になっても食べていける道を農業に残して

あげようと、浅薄にも考えて、花作りをスタートさせた。


そして2年。

素人花栽培は、技術的にも、採算的にもまだまだ半人前。

娘に引き継ぐどころか、このまま栽培し続けられるのかさえ

めどが立たない今日このごろ。


仕方なく、夜勤を2箇所に増やし、日銭を稼ぐ。


しかし、そんな親子3人に、悲観も、悔いも、

自他共に意外にも、ないのである。

むしろ「学校と言うルールやレールから逸脱した娘」を

筆頭に、私たち夫婦も牽引されるように、

社会の既成概念からはじめて「自由」になって

何ものにも縛られない開放感を手に入れたのである。


学校に行かず、本も読まず、勉強もしない娘は

ADHDや発達障害の様相を呈している。

けれど「明るい」し「ひょうきん」である。

このごろは母親にやたらと「チュー」をしてくる。

知能は幼くとも体は一丁前に“思春期”なのだろう。

逃げ惑い、しつこさに疲れ、辟易する妻。

しかし救われるのがこの娘の「ひょうきんさ」だ。

「ハイ、ではこれからキスのアンケートをします」と

突然娘がその妻に呼びかけ始める。

思わずワタシは爆笑、、、そんな我が家の一コマの風景。

ファーブルさんと私

2007-06-18 01:06:20 oyazの投稿

『ファーブル昆虫記』は読んだことはない。

でも日本の虫博士が彼のことをラジオで紹介していた。

何でも、南仏の出身で貧しかったが勉強好きで

19歳で小学校の代用教員をしていたんだとか。

もともと数学専攻で、天文学や化学、物理を独学し

南仏の暖かく昆虫の多い場所柄に生まれ育って

やがて「トンボ」や「糞ころがし」などの昆虫観察の先駆者

として日本では戦前から有名になったのだそうな。

その集大成の昆虫記は全10巻。一巻が百科事典ほどの

量があり、それをものしたのが56歳からだったというから

驚く。


自分のこれまでの歩みを振り返って見た時

自分は何を残せてきたのか?、、と思う。


きょうも明け番だというのに一睡もせずそのまま

炎天下でテニスに打ち興じて、いい汗流して

「ビールがうまいっ!」とのどをうるおし、再び

夜な夜なホテル夜勤づとめの連ちゃん2日目。


見ようによっては、バケモノのような並外れた

バイタリティとスタミナ、強靭な気力・体力の持ち主だが

言ってみると「ただそれだけ」だ。

「ただ無駄に膨大なエナジーとCo2を排出するだけの」

ワタクシの存在自体が「無駄」とさえ思えてくる。


人間は何のためにこの世に生まれ

何のために存在し、何を残してあの世に行けば

「いい人生」だったことになるのだろう?

生まれたばかりの赤子も

半世紀生きた中間人間(中年)も

100歳寸前のご老体も

おんなじ疑問をもったまんま

おんなじ地球の表面にきょうもうごめいている。




98歳が言う「生きるって苦しい」って

2007-06-16 13:57:15 oyazの投稿


「毎朝部屋をきれいに掃除をすることからはじめるの」

「そして毎朝、ラジオ体操を欠かさずにする」

「それから1階から4階までの入居者の名前を口に出して

姓字と名前を全部暗記してて、言うのよ」

「あと小さい時、姉が言うのを聞いて覚えてしまった

ABCをXYZまで唱える」

「この口と、この頭を毎日使うように、してきたわけよ~」

「それからあそこの習字展示コーナーに貼ってあるけど

“感謝”と“思ひやり”を大切にして日々送っている(合掌)」


足のしびれがなかなか取れないと言いながら

10月が来ると満98歳になるキミエさんが

これまで長生きしてボケないで生きてきた秘訣を教えてくれた。

“感謝”と“思いやり”に言及するあたり、流石、徳の人だと思った。


そのキミエさんが1階事務所から部屋に戻る刹那にポロッと言う

「でもやっぱりこうして生きてるってのも、苦しいことだよ、、、」

「でも、投げやりになったり、怠けたりし始めたら

もう、きっと動けなくなったり、病気になったりするって思うのね、

だから自分で自分自身に気合をかけて、

毎日同じことでも繰り返し繰り返し

動いたり、言葉に出したり、するようにしてんのよ~」


若くて、有り余る力と才気と猪突猛進する勢いは

誰しもがその衰えを覚え始め

やがて髪が抜け

皺が増え

目がかすみ

インナーマッスルがたるみ

胸も腹も顎もたるみ

足腰が弱り

ボケる。


さ~て、そー考えると

『大往生』できる人間は

大金持ちになるより、さらに難しいのかもしれない。



悔いなく往生できるよう

1回こっきりの人生

アナタは どー 生き抜きますか?










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